第10話 現場の大学へ
現場の都内私立大学に着くと、昨日とは打って変わって学生の姿がなかった。キャンパスの中はしんと静まり返っている。近くにいた制服姿の警察官に訊ねると、一週間の休校になったという。
「まあ、それが妥当だよな」
その措置に、晴人は当然だなと頷く。
確かに殺人犯が学内にいるかもしれないのだ。学生を登校させると混乱を招くかもしれない。愛海はなるほどねえと納得。
「それにしても大学か、久しぶりだな」
一方、晴人は大学の雰囲気が懐かしいのか、きょろきょろと辺りを見渡している。普段は泰然自若としている晴人には珍しい反応だ。
「緒方さんだと、大学を卒業したのはもう六年前になるんですよね」
愛海は懐かしいのかなと思って声を掛ける。ちなみに愛海は二十四歳なので卒業したのはつい最近だ。まだ懐かしいという気分にはならない。
「学部を卒業したのは六年前だが、院に行っていたからな。大学自体に行かなくなって二年も経ってないよ」
晴人は何を言っているんだと顔を顰めるが、愛海からすれば晴人が大学院に進学していたなんて事実は知らない。
そもそも、WIOに関することだって愛海は簡単にしか知らされていない。生活をしていくうちに本人が喋るだろうと思っているのか、詳しい説明はなかった。
「そうなのか。まあ、これでも一応は博士号を持っている」
「へえ。そんなすごい頭脳を持っているのに、WIOなんかに入っていたんですか。学者でやっていこうと思わなかったんですか」
愛海がそう突っ込んで問うと
「学者としては生きていけないと思ったから、WIOに技術を売ったんだ」
と、しれっと返された。
「それって」
「中井がWIOとコンタクトを取っていたのも、技術を高く売りつけるためなのか」
愛海の言葉を遮って、それって重要なことじゃないのかと小川が晴人に詰め寄る。それに晴人は違うだろうと冷たい。
「ち、違うのか」
「もし人工知能を利用しようとして連絡を取っていたのならば、サイバー犯罪対策課がすでに掴んでいるはずだ。俺も捜査協力しているが、あそこでは相当執念深くWIOに関して監視している。そこで見落としがあったとすれば大問題だが、確認されたメールにはそんな具体的な内容に及んでいなかったのだろう。だから俺が呼び出されて尋問される事態になり、さらに捜査協力しろなんて命じられるんだ。というわけで、中井が自ら開発した人工知能を売ろうとは、殺された段階ではしていなかったわけだ」
晴人の淡々とした説明に、小川の高揚も収まったようだ。そして、やっぱり事件を地道に解くしかないのかと頭を掻いた。
「そういうわけだ。ほら、現場に案内してくれ」
「へえへえ」
小川は適当な返事をすると、先に歩き出した。昨日は慌てて駆け付けた場所だが、改めて通るとキャンパスの奥まった場所にあることが解る。
「院生用の研究室がある建物と言っていたな。だったら、奥にあるのは当然だろう。表側に近い場所に学部生用の大教室が密集しているもんだよ」
「そういうものなんですか。いや、私が卒業した大学ってこじんまりした大学だったんで、あんまり実感がないんですよね」
そもそも大学院はどこにあったんだろう。そう思っている。自分に関わりのない場所にはとことん行く機会がないのも大学だ。愛海は法学部にいたのだが、法科大学院がどこにあったのかさえ知らないまま卒業してしまった。
こうして、ひと悶着ありつつもキャンパスを突っ切り、現場の建物、正確には工学系研究科の使う建物へと到着した。入り口には見張りの警察官が立ち、出入りをチェックしている。
「ご苦労さん」
「お疲れ様です」
小川と愛海が挨拶をし、晴人は軽く手を挙げて入った。その様子で晴人が二人の上司だと思ったのではないか。そう思ったものの、余計なことを言うとまた時間を食うので愛海は黙っておく。
「現場は三階だったな」
「ああ。三階から上に教授や准教授の研究室が連なっている。一階には実験室、二階がさっきも言ったように院生の使う研究室があるんだ」
「なるほどね。学部が違うと勝手が違うから面白いな」
「ああ、そう」
まさか面白いと言われると思っていなかったので、小川は間抜けな返事しか出来なかった。そうしている間に階段を昇り終え、研究室のある三階に辿り着く。現場の研究室は三階の端、階段から最も遠い位置にある。
「一番端か。大きな音がしても気付かれ難いか。とはいえ、犯行時刻は夜中だから関係ないか」
かつかつと、歩くたびに革靴が立てる足音が響く。すでに初動捜査が終わっているため、建物の中にいるのは晴人たち三人だけだからだろう。とすれば、この状況は犯行時刻と大して変わりがないことになる。晴人は音に関して気にするだけ無駄かと顎を擦った。
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