第7話 ややこしい存在
「さあ。俺が主に担当していたのは量子暗号に関してですからね。残念ながら、量子暗号を人工知能に解かせるのは無理ですよ。やらせたところで解が発散してしまう。だからこそ、次世代の暗号として注目されているわけです。量子力学の世界では人工知能の最適化は役に立ちません、今のところね」
しかし、その質問にも晴人は冷静に答えてみせた。自分は今回の件には一切関与していない。それを正しく証明できるという自信に満ち溢れていた。
愛海としてはそんな言い方でいいのかと不安だったが
「長谷川部長。彼の身の潔白は我々が保証します」
ここまでのやり取りで、松島を十分に納得させることが出来たらしい。そう長谷川に対して太鼓判を押した。
「よく解らんが、その男がWIOでやっていたことと中井が関連することはないというわけか」
「はい。中井と緒方が以前に会っていたということもないでしょう。あとは部長のご随意に」
「ふむ」
ああ、なんか嫌な予感。
愛海は晴人の身の潔白が証明されただけでは終わらないんだと、またしてもハラハラしてしまう。
まったく、この男と関わるようになってからというもの、愛海はこうしてあちこちでハラハラする羽目になる。これで倒れたら絶対に晴人によるストレスのせいだ。その場合、労災認定されるのだろうか。そんなことまで考えてしまう。
「緒方君。今回の件に関して、捜査一課に協力したまえ。事件が解決するまではサイバー犯罪対策課の仕事は休んでよい。捜査一課での指示は絶対だ。菊池、しっかりとサポートをしろ」
そして、愛海の嫌な予感は的中し、長谷川は平然とそう命じてきたのだった。
「何だ、これは」
「捜査中、はぐれた時のためだと聞いていますよ」
「ちっ」
差し出された物を受け取って、晴人は明確に舌打ちしてくれた。しかし、舌打ちしたい気分になるのは解るので、愛海はそれ以上のことは言わなかった。横にいた小川も、にやにやと笑っていたものの、嫌味は口を突いて出なかった。
それもそのはず、晴人に渡されたのは子ども用携帯だった。電話機能しかなく、GPS機能は常に作動していて外せないものだ。ついでに防犯ブザー機能付き。
いくらネットにアクセスするのを制限したいとはいえ、そして監視を怠らないためとはいえ、捜査協力させる男に支給する物品ではないだろう。明らかに監視のニュアンスに重きが置かれている。
「登録されている番号は警視庁になっているのか。確か三つくらいしか登録できないんだろ」
渋々受け取った子ども用携帯をズボンのポケットに押し込みながら、晴人は確認してくる。
「短縮ダイヤル機能はそうだ。一番がこいつ、菊池の番号。二番が捜査一課直通。三番はサイバー犯罪対策課だ」
「へえ」
小川の説明に、使うことはねえなと晴人はやる気なく頷く。確かに、こちらから掛けることはあっても、晴人が掛けることはなさそうだ。
そもそも、一番に登録されている愛海とは常に行動を共にしている。本当のところはGPS機能さえ使えればいいというわけだ。ただ、相手は名目上犯罪者ではないし保護する必要のある人間だ。だから露骨な監視システムを付けることが出来なかったに過ぎない。
「さて、ようやく電話での続きが話せるな。コーヒーでも飲みながらやろう」
無事に子ども用携帯を持たせることに成功してほっとした小川は、捜査一課のデスクから離れて休憩スペースに移動しようと提案した。それに晴人はもちろん、愛海も反対する理由はない。ここまで気疲れの連続だ。コーヒーブレイクを挟んだとしても、文句を言われる筋合いはない。
何かと騒がしい捜査一課の部屋を出て廊下を進むと、そこに休憩スペースが設置されていた。飲料の自販機だけでなくカップ麺や軽食の自販機もある。昼食や夕食を買いに行けなかった面々に重宝されるエリアだが、同時に長時間勤務の温床でもあるなと、常々言われている。自販機の傍には電子レンジも置かれていた。愛海もよくここで、昼に買ったものの食べ損ねた弁当を温めている。
「それにしても、あんたってややこしい存在なんだな」
自販機でそれぞれコーヒーを購入しつつ、小川が興味津々で晴人に声を掛ける。普段は相棒を取られているようなもので、しかも晴人とは接点がないから、ここぞとばかりに聞きたいことがあるのだろう。
「まあね。そもそも、犯罪組織にいた奴に司法取引を持ち掛けるなんて、日本の法令を無視してアメリカのようなことをやってのけるくらいだ。それなりに事情はあるさ」
一方、晴人は何でもないように肩を竦めるだけだ。
この男は常にこんな感じで、一緒に生活する羽目になっている愛海にすらまともに説明しようとしない。しかし、言われてみれば日本の司法取引としては不自然な感じだ。いや、警察にがっつり監視されている時点で不自然でしかない。
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