第3話 司法取引の代償
「ふうん。どうやって刺されたか解らず、凶器も不明の死体ねえ」
「ええ。おかげで捜査本部は頭を抱えていますよ。しかも、死亡推定時刻にアリバイのある関係者もおらず、どこから調べればいいのかって状態です。って、それ私の肉ですよ」
勝手に鉄板の上にあった肉を攫っていく晴人に、愛海は猛然と抗議した。それは愛海がいい焼き加減になるのを待っていた肉だ。しかし、晴人はすでに熱々の肉を口に放り込み、何食わぬ顔でビールを流し込んでいた。
「はあ、うまっ」
「そ、そうですか」
非常に幸せそうな顔に、愛海の文句も尻切れトンボになってしまった。たまにこういう毒気のない顔をするのだから、愛海としては憎み切れなくなって困る。普段は憎々しいうえにふてぶてしい男が、安い肉で幸せを感じるんだと、奇妙な気分になった。
「家で焼き肉なんて味気ないって思っていたが、これはこれで楽だな」
晴人はテーブルにあった肉をホットプレートの上に並べながら、いいもんだなと笑う。それに愛海はそうですねと頷き、なんでこうなるんだろうと、こそっと溜め息を吐く。
現在、二人は保護という名目のもと監視するために同居しているマンションの一室にいる。3LDKのこの部屋は警察が用意したものであり、晴人は必要最低限の外出以外は、ここで過ごすように命じられている。
そのダイニングで焼き肉の最中だった。窓を少し開けて換気しているが、家の中が焼き肉臭くなるのは避けられない。しかし、晴人はまったく気にしていないようだ。
「外食するにも外出許可を得なきゃいけないってのは面倒だし、家で十分いいやって思うね」
「はあ」
息苦しいだろう生活だというのに、晴人は外食できなくてもいいやと軽い。一方、この生活に参っているのが愛海だ。焼き肉くらい外食で済ませたかったなあと思ってしまう。
そう、監視しなければならないということは、当然のように愛海も自由がないということだ。若いから大丈夫だろうという謎の理由で監視役を命じられ、晴人に合わせた生活を送る羽目になっている愛海は、書類くらい書きますよという気分だった。
ちなみに男女が一つ屋根の下で同居するということに、他の問題もありそうなものだが、愛海はそれに関して言及しないようにしている。
というより、それ以前に警察の目論見が透けて見えすぎていて、晴人は愛海に必要以上に近付いて来ないのだ。警戒するだけ無駄だし、警察側の別件逮捕狙いも上手くいかないままだ。よって、共同生活は恙なく平和に進んでいる。
「で、謎の事件だって。殺されたのは大学関係者か」
じゅうじゅうと焼きあがる肉を見ながら、晴人が話題を戻してきた。意外にも事件に興味があるらしい。
「興味あるんですね。殺人事件なんてどうでもよさそうなのに」
「まあな。実際どうでもいいと思っているけど、暇だから」
「ああ」
愛海は頷いて、自由のない生活に全く不満がないわけじゃないんだなと、少しほっとした。そもそも、晴人に許されていないのは外出だけではない。
この部屋にはテレビもパソコンもなかった。それと同時に晴人はスマホも許可なく触れられないから、自分の持ち物としては持っていない。愛海は仕事で使うから持っているが、もちろん勝手に触られないように、常に身に着けている。持ち運べる小型のゲーム機ですら、今ではネットに接続できるという理由で許されていない。
ネット犯罪のプロとして生きてきた男なのだ。この部屋には、ネットに繋がるものが徹底して排除されている。そんな生活は、二十八歳の男にとって非常に辛い生活だろう。一般人であっても音を上げそうなほど、外界から隔絶されている。娯楽は許可を得て買うことが出来る本くらいだ。
果たしてそれは、司法取引に応じた人物に相応しい処遇だろうか。もちろん自由が大幅に制限されているとはいえ、刑務所に入るよりは自由だろう。罪にも問われていない。しかし、晴人はあまりに厳しい監視下に置かれていることは間違いない。
それが犯した罪の代償だというのならば、今後の司法取引の運用はどうなるのだろうと、一刑事でしかない愛海でも心配になる。だが、これほどの処置を取られる人物は後にも先にもいないのではと、小川が指摘していた。
「まだ俺のいた組織の大部分の連中は捕まってないからな」
黙り込んだ愛海が何を考えているのか、晴人はすぐ理解したらしく、にやりと笑って見せる。これを仕方がない処置だと考えなければならない。そう自分を納得させているかのようだ。
「でも、この処置が世間に知られたら問題になりそうですよ」
「ふん。漏れるわけがないだろ。俺がネットにアクセスできるのは刑事が見張っている時だけだぜ。誰がリークするんだ。お前か」
「まさか」
「だろ。だから、何一つ問題ないんだ」
「ううん」
そうだろうか。問題ない。そう言い切っていいのか。これって十分に人権侵害じゃないのか。しかし、当事者に否定されてしまうとどうしようもない。
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