嫌われ令嬢の最期の願い

蕪 リタ

本編

「あなたにも、悪い事をしたわ・・・・・・今までごめんなさいね」



 そう力なく微笑むのは、仕えている侯爵家のお嬢様――だった人。彼女は、ついこの間まで王太子妃になるはずだった。そんな彼女に、刃を向ける俺。この状況がおかしいのは充分にわかっているが、それは彼女のしてきた行いの所為だから仕方のないことだ。



「・・・・・・なぜ、あんな事をしたんですか?」

「そう、ね。一言で言うと『私だけ』を見て欲しかったからよ」

「え?」



 たったのことであんなことを? この人は、いったい何を考えているんだろうか。意味がわからなかった。『自分を見て欲しい』で、人ひとり貶めることができるのか――いや、貴族なのだから人ひとり消してもおかしくないのに、虐めるだけで済んだの方が正しいのか。んん?


 まあ所詮しょせん、俺のような一使用人が考えたところで理解できないので、刃先にいる元お嬢様の言葉を待つことにした。




 五分――いやもっと長かったかもしれないし、一瞬のように短かったのかもしれない。とにかく、彼女の言葉が発せられるまでの時間が、時が止まっていたかのようだった。



 ゆっくりと、たっぷりと時間を使って、閉じられていたまぶたがまるで壊れ物でも扱うように上がった気がした。



「何をしても、できて当たり前。今まで一度も褒められたこともないのに、実の兄にもうとまれて・・・・・・。『家族』というより、そこにただ『生きている人たちがいた』って感じ。そんな窮屈きゅうくつな屋敷で、何をしたら『私だけ』を見てくれるかなんてわからなかったわ」



 返す言葉が、出てこない。侯爵様から褒められもせず、ただただ「努力が足りない」と言われ続ける日々を目にしていた。血の繋がっているはずの、実の兄上からの侮蔑ぶべつ混じりの視線に傷ついていたことも、知っている。だって彼女ので仕えていたのは、専属の執事として育てられたこの『俺』なんだから。



「幼いころから・・・・・・寄付の一環で教会を訪れる時に、ね。いつも孤児院の子たちが、羨ましかったの」

「・・・・・・孤児院の子たちが?」

「そうよ。だって、彼らにはたくさんの『自分』を見てくれる兄弟たちがいるんだもの」



 空を見つめる彼女の顔は、心の底から羨ましそうに微笑んでいる。貴族にとっての家族は、確かに『家族』というより『赤の他人』のほうが近いかもしれない。平民のように家族を『家族』として思うことの方が少ないのは、仕えていてよくわかる。だけど、だからと言って、彼女がが許されるわけが・・・・・・な、い? あれ? 何かがおかしい。


 引っ掛かる『何か』が気になる。考えようと思考が切り替わろうとした時、元お嬢様が思いもよらないことを話し出した。



「そんな中、ね。突然知ってしまったの」

「何を、です?」

「何をしても『私が死ぬ』未来を」

「え・・・・・・」



 何をしても死ぬ? どういうことだ? それに、何故それを知ることができたのか・・・・・・。妄言とも言えるそれが、どうしようもなく頭にひびき渡る。気になる。何故? 先程の『おかしい何か』に似ている。


 一度深く考えたいのに、彼女の話は続く。考えさせたくなかったのか、と後から思った。



「何をしても死ぬしかないなら・・・・・・いっその事、嫌われてしまおうって。そうすれば、嫌々でも『私だけ』を見てくれるでしょう?」

「そんなことで・・・・・・」

「確かに、あなたには『そんな事』かもしれないわね」



 目の前でおかしそうに笑う彼女の赤に近い茶色の瞳が、一瞬かげりを見せた気がした。



「それに私がいなくなったって、誰も悲しまないし。殿下には・・・・・・素敵な女性が現れるのも見えたの。それなら、初めから私のことを嫌っていた方が離れやすいでしょう?」



 そう自信満々に話す元お嬢様は、反省している様子もない。彼女がしたことは――いや、侯爵令嬢である彼女がしたのは、小さな小さないじわる一つだけ。本来なら、不敬罪で処されてもおかしくないのに。何故、が断罪されたのか。


 俺には汚い貴族たちの思惑なんてわからないが、一つだけ、急激に理解した。俺もただの駒としてされていたようだ。


 でなければ――ずっとしまい込んでいた秘密の想いが、彼女の瞳を見て思い出すはずなんてないはず。忘れたくて、でも忘れたくない。葛藤かっとうしていたはずの俺だけの想いが、いつのまにか事実に気づいてしまった。


 自分の思考で行動出来ていなかった事実に、呆然とする俺。彼女はそんな俺の顔に視線をよこしたが、直ぐにそらして見なかったことにしたようだ。だが、そんな俺の表情を読み取ったからか、なら話がわかると思ったのだろう。彼女は、最初で最期の願いを口にした。そういえば、専属の執事であったはずなのに――彼女の願いは、聞いたことがなかった。



「お願いがあるの」

「・・・・・・何でしょうか」

「私が死んだら、平民の共同墓地に埋葬してほしいの」

「何故です?」

「だって、彼らは沢山の人と共に眠っているのよ? 一人じゃない。素敵じゃないの」

「だから何故、死ぬことしか考えないのですか!?」

「言ったでしょう? 何をしても死ぬしかないのよ」



 思い出したからには、この状況がとてつもなく歯がゆかった。何でも手に入るはずだった彼女の願いが、死後の『眠る場所』だけなんてあるはずがないのに。忘れていた俺を拾ってくれた時の、幼かった時の彼女の笑顔を、今なら容易に思い出せる。赤茶色の瞳が、背後に沈む夕陽を切り取ったようで・・・・・・初めて美しいものがあるんだと知った、あの笑顔を。少なくとも今のような泣きそうな笑い方ではなかった。


 刃を向けている反対の手で、どうしようもない怒りを壁にぶつけた。彼女は何も見ていないと言わんばかりに、静かに目を閉じた。



「・・・・・・ほかに、他に願いはないのですか?」

「あら、他も聞いてくれるの?」



 閉じられた目が嬉しそうに上がる。上がったまつ毛に、風に吹かれて舞い上がる月明かりと同じ色の髪が一本引っかかった。彼女はそれも気にせず、見つめてきた。



「私が聞ける範囲であれば、です」

「じゃあ、一つ。名前で呼んで? お嬢様ではなく」

「それは・・・・・・」

「どうせ勘当されて、もう貴族でもない。ただの女よ?」

「・・・・・・スティナ様」

「様はいらないわ」

「・・・・・・スティナ」

「ありがとう」



 満足そうにうなずく彼女に、最期の別れを告げなければならない。思い出したからと言って、このまま仕事を放棄するわけにはいかないのだ。俺が消されてしまう。消されてしまっては、この先をどうすることもできない。



「・・・・・・覚悟してください」

「カイがもう一つのお願いを聞いてくれるなら、本望よ」



 思い出してしまった、大切にしていた秘密の恋心が溢れる前に。


 彼女の首に手をかけた――。




***



 静まり返る侯爵邸の廊下を、音もなく歩く。今の時間なら使用人ですら部屋に下がるため、見回りや急な呼び出し以外誰も部屋から出てこない。そんな真夜中。薄く光が漏れる一部屋の前で立ち止まる。今回の依頼主の執務室。


 戸を二回と一拍おいて三回ノックする。依頼の時の決まり事だ。


 「入れ」と一言だけ聞こえた廊下から、誰にも気づかれないよう静かに戸を開け、中に滑り込んだ。



「始末は?」

「済みました。こちらが証拠です」



 ただ淡々と応えて、めずらしい白に近い金色の髪を一房ひとふさ差し出した。忘れず侯爵家の紋が入った彼女の愛用していたロケットも一緒に。


 侯爵様は迷わず半分ロケットを手に取り、中を確認した。中には侯爵様自身と彼女の兄映った写真が入っている。


 侯爵様は用が済んだと言わんばかりに、ロケットを書類用のくずかごに投げ捨てた。手は忌々しい物でも見たかのように顔をしかめながらハンカチでこすり、拭き終わったハンカチもくず篭へ投げ入れた。・・・・・・そんなに嫌なら、わざわざ血のついた物を触らなければいいのに。


 あの子の特徴的な髪には触りもせず、ただにらみつけていた。



「よくやった。お前の仕事も終わりだ」



 机の中から取り出した煙草たばこに火をつけながらそう話す侯爵様は、煙草とは別の引き出しから上質な布で作られた小袋を取り出した。ジャラッと金属がぶつかるような音を立てながら、俺が立っている方に近い机の端に置かれた。



「・・・・・・これは?」

「今回の臨時ボーナスだ」

「・・・・・・受け取れません」

「何?」

「私は・・・・・・お嬢様だった方の死に顔を見ました。出来れば、このままここも辞めさせていただきたいです」

「別のところに仕えるのか?」

「いえ。田舎に帰ろうと思います」

「なら、尚更なおさら受け取りなさい。退職金がわりとして」

「・・・・・・そういう事でしたら、受け取らせていただきます。ありがとうございます」

「今までご苦労だった」

「お世話になりました。荷物をまとめ次第、失礼いたします」

「あぁ」



 小袋を内ポケットにしまい、部屋を出た。暗闇に染まる廊下を、使用人棟の一角まで音もなく進む。


 はやく、早く部屋を片付けてしまおうと、知らぬ間に足がけていた――音も立てずに。


 ・・・・・・田舎に帰ろう。いや、国を出るのがいいか。この侯爵家いえの手の届かないところに行って、静かに暮らそう。もう、自分の手を汚したくはないから。




◆◆◆



「カリーナ〜。どこにいるの?」

「あ、お母さん! こっちよー。行こう!お父さん」

「あぁ、そうだね」



 風のうわさで聞いたのは、とある国が反乱分子によって制圧されたという話。どうやら、王族を中心とした上位貴族に『魅了魔法』をかけて掌握しょうあくしたらしい。その中には、かつてお世話になった侯爵家もあったとか。・・・・・・大陸をまたいだ、今の俺には関係ないが。


 今はただ、手を握る小さな手とともに、愛しの彼女のもとへ向かうだけ。この広い畑の中では、少し離れただけでも見失ってしまうから。今度こそ、簡単に見失わないように。


 閉じ込められていた恋心を『愛』という名に変えて、彼女にたくさん届けよう。


 『俺だけ』が『君だけ』を見つめて、大切な『家族』としてずっとそばに居ようと思う。





 だから、スティナ。もう一つのお願いは、もう少し先まで叶えてあげられそうにないんだ。ごめんね。

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嫌われ令嬢の最期の願い 蕪 リタ @kaburand0

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