第19話 微かな希望


「……ん、今何時だ?」


 随分と寝てたようだ。

 でも、目が覚めた時に部屋の明かりがついていた。


「和葉、帰ってきたのか?」


 ゆっくりベッドから起き上がる。

 すると、


「おはようみーくん」

「わっ!」


 布団の中から声が。

 隣を見ると、布団に潜り込んで丸まった和葉が目をパッチリ開けて俺を見ていた。


「えへへ、びっくりした? 気持ちよさそうに寝てたから、お隣きちゃった」

「そ、そっか。今、何時?」

「んーとね、もう朝だよ」

「朝……」


 時計を見ると朝の六時。

 随分と疲れていたのか、熟睡してたようだ。


「いつ帰ってきたんだ?」

「んとね、一時間くらいゆかちゃんとお話して帰ってきたよ」

「そっか。楽しかった?」

「うん、すっごく。和葉たちのこともね、応援してくれてるの」

「へえ、すっかり仲良くなったんだ」

「えへへ、気が合うんだあ。こんなの初めて。みーくんにも、ゆかちゃんなら会わせてもいいかなあ」

「そ、そっか。いや、でも別に無理にはいいよ」

「うん。それじゃ朝ごはん作ってくるから、もうちょっと寝てていいよ」


 いつから起きていたのかは知らないが、和葉は今も変わらず機嫌がいい。

 もしかして、本当にゆかちゃんとやらと知り合ったことで和葉の心境に変化が?


 ……まだ、そうだと言い切るのは早計だけど。

 でも、少しくらいは期待してみてもいいかもしれない。


 間違いなく、和葉と一緒に歩んできたこの十年間で一番和葉の調子がいい。

 そして、ここまで機嫌がいい時間が持続してるのもおそらく新記録。


 ただ、続くほどに不安も大きくなるが、そんな不安すらかき消すように和葉は機嫌のいい声をキッチンから俺に向けてくる。


「みーくーん、明日のお弁当は何がいーい?」

「え、ええと、ハンバーグとか?」

「うん、じゃあそうするね。あー、でも食材がないの。買ってきてもいーい?」

「あ、ああ。別にいいけど」

「じゃあ、先に朝ごはん食べながら待っててくれる?」


 運ばれてきた朝食は、目玉焼きとご飯と味噌汁。

 ただ、それを持ってきた和葉の嬉しそうで曇りのない笑顔は、本当にあの和葉なのかと目を疑いたくなるほどのものだった。


 いくら調子がいいといっても、いまだかつてここまでさわやかな和葉は見たことがない。

 

「うん、いただきます」

「じゃあゆっくりしててね。あ、でも和葉がいない時に女の子の番組とか見たらめっ、だよ?」

「み、見ないよ」

「えへへ、じゃあすぐ帰ってくるね」


 朝食を置いて、和葉はゆっくり部屋から出て行った。

 そして確信する。

 確実に和葉には、なんらかの変化があったことを。


 以前までは、どこに行くときだって絶対に俺と一緒じゃないと嫌だって泣き叫んでいたってのに。

 こうして一人で何度も出かけるなんて俺の知ってる和葉ではない。

 何の影響かは知らないが、確実にいい方向に向かい始めてはいる。


 絶対にありえないと思っていたけど、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。

 和葉がまともになるなんて夢物語が、現実のものになるかもしれない。


 そんな可能性がちらつくだけで、俺は胸が熱くなった。


 逃げなくてもいいかもしれない。

 和葉を嫌いにならなくていいかもしれない。

 幸せになれるかもしれない。


 そう思うと、今は和葉がいない時間なのに眠気なんてどこかに飛んでいた。



「ただいまあ」


 和葉が戻ってきた。


 二十分くらいだったが、ずいぶん長く出ていたような感じがした。


 寂しかったのだろうか。

 それに、和葉の声をきくとなぜかほっとした。


「おかえり和葉」

「あ、起きてたんだ。みーくん、何してたの?」

「いや、なにも。和葉が帰ってくるの、待ってたよ」

「ほんと? えへへ、嬉しい。ごめんね置いてって。和葉ね、一人でもお買い物できる練習しておかないといけないの」

「そっか。急に感心だなそれは」

「うん。みーくんと一緒に暮らすようになったんだから、もうすぐ妊娠も考えておかないといけないなって」

「え、にん、しん?」

「そうだよ。そうなったらみーくんはお仕事いっちゃうし、その間に一人でお買い物とかお掃除とか、ちゃんとできるようにならないとなあって」

「い、いやそれはさすがにまだ」

「みーくんは、和葉と子作りしたくなあい?」

「い、いや、それは」

「したい? したくない? やなの?」

「い、いやなわけ、ない、だろ」

「だよね。えへへ、この前ね、ゆかちゃんに教えてもらったの。大切な人とは、ちゅう以上のこともするんだあって。ね、いつする? いまする?」

「い、いや、だからそれは」

「んー?」

「……」


 怒ってはいない。

 でも、和葉のメンヘラはやっぱり治ってなんかいなかった。


 どころか、メンヘラの方向性が変わったような気がする。

 声をきいて安堵した気持ちなんてすぐにどこかに消えた。


「ね、みーくん。和葉ね、みーくんの赤ちゃんがほしいよ?」

「ま、まだ高校生だからさ、そ、それは」

「赤ちゃん作ろ? ね、ちゅうして?」

「……」

「え、和葉とちゅうしたくないの?」

「そ、そうじゃない、けど」

「けどー?」

「……ん」

「ん、んん」


 いつものように三回軽く、ではなくて。

 もう、最初から深いキスになる。


 段々と、いつもより濃い感触と、和葉の甘い香りに頭がぼーっとしてくる。

 そして当然、ムラムラさせられる。


 このまま、求められたら俺は抵抗できる気がしない。


 そのまま和葉の手は……ん、そのままだ。


「みーくん、いっぱいちゅうしたらね、できるかな、赤ちゃん」

「……え?」

「もっとしないとできない? それなら和葉、もっとする」

「う、うん」


 また、濃厚なキスを繰り返す。

 ただ、和葉の手は俺の下半身にのびてくることもない。

 和葉はひたすらキスを繰り返す。


 それが十分、二十分と続くうちに俺の思考力は回復していく。


 そういや、和葉はエッチなことの知識がほとんど皆無なんだった。


 調べないせいか、それとも興味がないからかは知らないけど、とにかくどうあってもキス以上のことをしようとしない。


 そして俺も手を出したら終わりだと思ってたから自ら行動することはなかったけど、さすがに子どもが欲しいと言われて覚悟した。

 

 どこからかそういう知識を得てきたんだと。

 もう、終わりだと思っていたけど。


 ……まだ、希望は残されていたようだ。

 このまま十六歳でパパになるなんてことは、ひとまずない。


 そんな安心感と、しかし同時に和葉が誰かからエッチな知識を享受された瞬間が俺の終わりだと。


 震えながら和葉が心行くまでキスを繰り返した。

 


 


 

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