第17話 そして迷いが生じる

「……ん」


 目が覚めると、外はまだ明るかった。

 時計を見るとちょうど正午。

 そして、隣にはすやすやと眠る和葉の寝顔が。


「なんだ、眠たかったのかよ」


 和葉は超人でもなければ人一倍タフなわけでもない。

 だからこうして、普通に眠る。

 なぜか俺といると、劇薬を飲んだように元気になるけど、その効果だっていつまでも続くわけじゃない。


 寝顔を見ていると、いつも少し気が緩む。

 和葉は魔王でもラスボスでもない、ただの女の子なんだと。

 だから、俺がうまく付き合ってやれば可愛い幼馴染としてやっていけるんじゃないかって。


 何度挫けても、この無垢な寝顔は何度も俺に同じ過ちを繰り返させる。

 それくらいかわいい寝顔だ。


「……ん、おはようみーくん。起きてたんだ」

「ああ、おはよう和葉。ぐっすりだったな」

「うん、おめめがちょっとしょぼしょぼするの」

「ゲームのやりすぎだよ。ほら、顔洗いにいこ」

「うん」


 そして寝起きの和葉はおとなしい。

 まるで赤ん坊のように甘えたがりで、俺に手を引かれないと洗面所へも行けないくらい頼りない足取りで。

 ずっとこうだったらいいのにって、俺は一体何度神様に願ったことだろう。

 神様なんて、一度も仕事してくれたことはないが。


「……ふう、さっぱりした。歯磨く?」

「うん。みーくん、和葉お腹空いた」

「そっか。じゃあ、何か食べる?」

「食べるー。和葉ね、昨日の夜食用にって思ってたピザ、焼きたいの」

「ああ、それじゃお願いしようかな」

「えへへ、待っててね」


 まず、朝の会話は間違うことなくこなせた。

 こんな何気ない会話にだって、最大限の配慮が含まれていることを他の人間はわからないだろう。


 大前提として、和葉の作ったごはんが食べたいという以外に俺の選択肢はない。

 出前でも取るか、とか、俺が何か作ろうか、なんてことを言えば一瞬で和葉は機嫌を悪くする。


 和葉の作ったものは食べたくないの? って泣き出して、刃物を持って暴れだす。

 だから何か食べようと、さりげなく和葉が作ってくれる方向にもっていくのが定石である。


 それに、何か作ってくれといきなり頼むのもちょっと違う。

 あくまで和葉から、そうしたいと言わせることが機嫌を保つ秘訣。

 俺がお願いや命令をしても多分和葉は聞いてくれるのだけど、その代わり和葉に借りを作ることになってしまう。


 頼まれたことをやってあげたのだからこうしてくれと。 

 あとで帳尻を合わせにくるのが和葉という女。

 だから頼まない。

 和葉が自主的に動いてくれるような話し方をするのがベター。


「みーくん、お部屋でテレビ見てていいよ」

「うん、ありがと。じゃあ朝のワイドショーでも見てる」

「あれ、変なおじさんばっか出てるよね」

「はは、そうだな。でも、結構おもしろいから」


 そしてテレビも何を見るかをちゃんと伝えるのが吉。

 見る番組も女性タレントやきれいな女子アナが極力出ない番組をチョイスする。


 こうやって責められる部分を一つでも減らしていくことが、うまく和葉と付き合っていく方法だ。


 うん、今日はなんか調子がいい。 

 このままうまく…………って違う違う!

 俺、なんで和葉とうまく付き合う方法を自慢気に語ってるんだ?

 

 いかん、朝のほっこりモードな和葉にあてられて、このまま仲良くずっといられたらなあとか、和葉が変わるんじゃなくて俺が頑張ればいいんだとか、そんな思考にさせられていた。


 危なかった。

 そんなこと、いくら考えたって無駄だということを俺はこれまでの人生で何度も学んできたじゃないか。


 いくらなだめる方法があったところで、それは根本的な解決にはならない。

 どこかで和葉は豹変して、俺は危険にさらされて苦しめられる。

 で、またおとなしい彼女に戻ってもいずれ狂気の和葉が現れて。


 これを何度繰り返したらいいんだってなって、逃げたはずだ。

 忘れるな、絶対に和葉はこの後おかしくなる。

 今は寝起きだから機嫌がいいだけだ。

 絶対に気を許したり、このままうまくいくなんて思ってはいけない。


「みーくん、ピザ焼けたよー」


 それでも、今日の和葉はすこぶる調子がいい。

 これが俺の日ごろの行いによるものか、ただの気まぐれかはわからないが、とにかく一秒でも長く和葉の機嫌が保たれることは、俺の寿命が一秒でも伸びることと同義だ。


 だから願わくばずっとこのままで、なんて叶わない夢を見てしまいそうになる。

 見るだけ、あとで襲ってくる落胆に心を病むだけだとわかっていながらも。


「ね、みーくん。ピザ、熱いから気を付けて食べてね」

「あ、ああ。いただきます」

「どう、おいしい?」

「うん、すっごくうまい。このままお店出せるよ」

「えへへ、よかった。でも、和葉の料理はみーくんにしか食べさせないからお店はしないよ?」

「例えだよ。俺も、和葉の料理を他の奴に食べられたくないし」

「みーくん……大好き。ね、ちゅう」

「う、うん」


 今日の和葉はアツアツのピザを口に無理やり放り込んでこない。

 キスをするときも、脂ぎった口を一度拭いてから、優しく唇を重ねてきた。

 こんなこと、今まで一度もなかった。

 いや、マジでどうしたんだ今日は?


「みーくん、いっぱい寝たらね、なんかまたゲームやりたくなったんだけど、やっていい?」

「ああ、いいよ」

「えへへ、みーくんはそのままピザ食べてていいからね。ゆっくり食べてね」

「う、うん」


 しかも俺に気遣いだと?

 おかしい、何があってもどう懇願しても一切妥協しなかった和葉の心境に一体どんな変化が起こっているというのだ?


「あのね、この前ゆかちゃんといっぱい話したんだけど、あの子すっごくいい子なんだ。和葉、もしかしたら気が合うかも」

「そ、そうか。それはよかったな」

「週明けはやっぱりゆかちゃんともう一回ごはん行こうかなあ。みーくんもその間、ごみむ……土屋君とでも遊んできたらー?」

「そ、それはいいけど」

「えへへ、やっぱりみーくんに言われた通り、お友達と遊んでよかった。なんか学校が待ち遠しいね、みーくん」


 理由はよくわからないが、俺が友達を作ったらどうかと提案したあの日に遊んだゆかちゃんって子と、和葉は意気投合してるみたいだ。


 和葉ほどの狂人と仲良くなれる子、か。

 いや、普段の和葉は普通だし、そうそうこんなメンヘラと話が合う子なんていないだろうから、そのうち和葉の本性をしってその子も離れていくんだろうけど。


「みーくん、ゲームは二時間だけね。そうしたら、またねんねしよ?」

「そ、そうだな。目にいいもんな」

「うん。ずっとお布団でみーくんといちゃいちゃする」


 ただ、今のところはゆかちゃんに感謝だ。

 こんなに素直な幼馴染がずっと目の前にいてくれるんだから。


 ……でも、もしずっと和葉がこのままだとしたら。

 逃げるなんて必要は、やっぱりないのかな。


 俺は、和葉のことを実際どう思ってるんだろう。

 和葉から逃げて、和葉以上に俺のことを愛してくれる子に巡り合うことなんて、あるのだろうか。


 ……なんか、だんだん自分の気持ちがわからなくなってくる。

 何をどうしたいのか。

 和葉にどうしてほしいのか。


 自分の気持ちを整理しながら、ゆっくりピザを食べる。

 もう、すっかりピザは冷めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る