第9話 間に合ったはずなのに

「行ってもいいよ」


 俺に執行猶予判決が出たのは昼休みになった時。

 耳を疑った。

 いや、そもそもここはパラレルワールドなのではないかと疑った。


「え、まじで?」

「うん、和葉も今日は女の子たちに誘われたの。お友達になるなら、そういうのって参加した方がいいんだよね?」

「そ、そりゃあ友達だったら一緒に遊ぶのは自然だけど」

「じゃあ和葉も行ってくる。その代わり、六時にはおうちに帰ること。約束だよ?」


 小指を立てて、指切りを迫ってくる和葉の笑顔にどうやら嘘はない様子。

 ただ、この指切りは実質の”契約”である。

 約束は絶対に、何があっても必ず守る。 

 死守する。

 できなかったらそれこそ、針千本を飲まされてから指を切られるだろう。


「か、かならず六時までに帰るよ」

「うん。それじゃ放課後は別々だね。なんかちょっと寂しいな……」

「お、俺も。寂しいけど……み、みんなにいっぱい和葉のこと自慢しちゃうから」

「和葉も。じゃあ、みんなに遊び行けるって言っておくね」


 どうして友人とカラオケに行く約束を取り付けるだけでここまで冷汗がでるのか。

 手の震えを抑えながら和葉と指切りを終えたあと、脇汗でぐっしょりだった。


 でも、これから自由を獲得していくにはこういう試練を乗り越えていくしかない。

 地道な一歩だが、確実に前へ進む一歩だ。


 放課後は、つかの間の休息を楽しもう。



「じゃあね、みーくん」


 放課後、先に教室を出て行ったのは和葉の方。

 どうやらみんなでファミレスに行くそうで、一緒に行く連中に連れられて和葉は俺の前から姿を消した。


「……ふう」

「おい悠木、俺らも行こうぜ」

「あ、土屋。うん、六時までには家に帰らないとだから早く行こう」

「はは、門限付きかよ。ま、いいけど」


 で、俺も土屋と一緒に学校を出る。

 場所は先日初音さんと一緒に行ったカラオケ店。

 到着すると、あの日のことを少しだけ思い出してしまう。


 ほんと、楽しかったなあ。

 あの日だけは、マジで前途洋々としてたってのに。

 いや、悔いても過去は戻ってこない。

 今をよりよいものにするんだ。

 強い気持ちでそう願っているからこそ、こうやって和葉のいない時間を過ごすことができるようにもなったんだし。

 きっとよくなる。

 自分の可能性を信じろ、俺。


「で、他に誰がくるんだ?」

「あー、それがさあ、みんな忙しくてさゆり誘ったんだけど」

「え、初音さんを? いや、それは」

「別に二人っきりじゃないんだしいいだろ。それに時雨さんだって友達と遊びに行ってるんだから」

「で、でも……」


 躊躇しながらも。

 土屋に押し切られて店内に入ると、受付のところに初音さんがいた。


「ちょっと遅いわよ土屋。あ、今日は悠木君もこれたんだ」

「う、うん。まあ、ちょっとだけだけど」

「そっかあ。じゃあ、部屋は取ってあるから早速歌っちゃお」


 ノリノリの初音さんを前にすると、君がいるから帰るなんてことはやっぱり言えなくて。


 不安を抱えながらも彼女についていき、三人で部屋に入る。


「……」

「どうしたの悠木君? 顔色悪いけど」

「い、いや大丈夫。それより、和葉はみんなとどこ行ったのかなって」

「あ、時雨さんたちは学校裏の方のファミレスだって。もしかして彼女さんがいなくて寂しいの?」

「え、あ、いや、それは、まあ」

「ふーん、ラブラブなんだ。いいなあ、そういうのって」


 まず土屋はデンモクを取りに行って、俺は遠慮気味に端っこに座ったのだが、その隣にピタリと初音さんが座って、のぞき込むように話しかけてくる。


 こんな姿を和葉に見られたら俺は死ぬ。

 いや、この部屋ごと爆破されて三人とも死ぬ。

 死ぬ……。


「おい、いちゃいちゃするなよな二人とも。カラオケなんだから歌え歌え」

「もう、変なこと言わないでよ土屋ったら。悠木君には彼女いるんだよ」

「とかいって、ちょっと悠木のこといいなあとか言ってたの誰だよ」

「ちょっ、その話今しないでよ!」


 マイクで煽る土屋と照れる初音さん。

 そして初音さんは少し頬を膨らませながらかわいい顔をこっちに向ける。


「ゆ、悠木君、今の話は忘れてよ!」

「う、うん」

「あーもう最悪。恥ずかしい……」


 また顔を赤くして下を向く彼女を見て、俺の心臓はドクンと脈打つ。

 え、もしかして初音さんって俺のことを好き、なのか?


 い、いやいやそうだと言い切るのは早計だけど、確実にいい雰囲気ではある。

 照れた顔もめちゃかわいい。

 ああ、もしあの時和葉から逃げきれていたらひょっとしたかもなのに。


 ……でも、今は彼女いることになってるし、実際和葉と別れられてないから初音さんを口説くなんてできない。

 めちゃくちゃ悔しいけど、この場はやり過ごそう。


「そ、それより歌おうぜ。次、マイク貸せよ土屋」

「お、乗り気になってきたな。よっしゃ、どんどん行こうぜ」


 初音さんとこのまま対面してたら本当に恋してしまいそうだったので、ごまかすようにマイクをもらって席を離れる。

 歌ってる間も、あんまり初音さんの顔はあんまり見れなかったけど、時々拍手をくれる彼女はやっぱりかわいい。


 ……でも、和葉がいる限り彼女と恋仲になることはないんだろうな。

 仮に和葉を裏切ってほかの誰かと付き合おうとしたところで、多分その相手もろとも殺されて終わりだ。

 できるとすれば、和葉の病的性格が劇的に改善されてから別れて、そっからなんだけど。

 そもそもあいつの性格が普通に戻ったら別れる理由もないわけだし。


 ……なんかやっぱり詰んでないか?

 

「はあ……」

「おいおい、ため息つくなよ悠木。そういや、時間は大丈夫なのか?」

「え、時間?」


 あれこれ考え事をしすぎて、すっかり時間を見るのを忘れていた。

 やばい、今何時だ?


「な、何時!?」

「ええと、五時四十分だけど」

「わ、悪い! 俺、今日は帰るわ」

「え、あと十分くらいいてもいいだろ」

「だ、ダメダメ! 金、置いておくから、それじゃ!」


 慌ててカラオケルームを飛び出した。

 土屋は呆れたように、初音さんは少し戸惑ったように俺を見ていた。


 でも、それどころじゃない。

 約束の六時までに家に帰れなければ俺は死ぬ。


 一度だけ、休日にデートの約束を俺がすっぽかしそうになったことがあった。

 といっても、前日の朝の六時まで俺の部屋でゲームをしてた和葉が、着替えを取りに帰ってる間に俺が寝てしまったってだけの話で。

 約束は朝の七時に家の前でってことだったんだけど、限界を迎えた俺は和葉が部屋から去った瞬間に爆睡。

 もちろん約束の時間を過ぎても俺は寝ていたんだけど、その時は家族ご近所だけでなく警察や救急隊まで巻き込む大騒動に発展した。


 いくら連絡をしても返事が来ず、家のチャイムを鳴らしても俺がうんともすんとも言わないもんだから、強盗が来て人質に取られてると思ったようで。

 まず警察に連絡。

 そして、もしけがをしていたらいけないからと、救急車を呼んで。

 なんだか外が騒がしいなと目を覚ました俺は、窓から外を見て飛び上がった。

 警察官が家を取り囲み、救急隊が出動し、近所は大騒ぎ。

 慌てて家を出て、何事だと警察に尋ねると。

 なぜか身柄を確保されて保護されたあと、俺の家に警察が押し寄せているはずのない強盗犯をみんなで大捜索。

 怪我どころか擦り傷一つない俺は救急車の乗せられて搬送。


 まあ、のちに全て和葉の勘違いということで終わったんだけど。

 あの時だってなぜか警察の人に、「彼女さんとの時間をちゃんと守るようにしなさい」って俺が怒られて。


 いや、怒られて終わっただけなのが奇跡的なくらいだったけど。

 あんなこと、もう二度と繰り返してはならない。

 

「い、今何時だよ」


 スマホの時計を見ると時刻は五時五十五分。

 あと五分でタイムリミット。

 でも、アパートが見えてきた。


 間に合った。

 ホッと一息つきながら足を緩める。


 そして息を整えながら階段を昇って、部屋の前に。


 よかった、生き延びた。

 まだ三分も余裕がある。

 

「た、ただいま」


 とはいえ、和葉は五分前どころか俺と待ち合わせを約束した場所には三十分くらい前からずっといるのが普通で。

 当然帰ってきてるものだと思ったが部屋は真っ暗。


「……まさかかえってない、のか?」


 和葉が俺との約束を自ら破るなんてことは、今までもちろん一度もない。

 しかし、廊下の明かりをつけても、部屋の電気をつけても和葉の姿はない。


「もう、六時過ぎてるってのにどうしたんだろ」


 もしかして、友達と話すのが楽しすぎてうっかり時間を忘れてる?

 いや、だとすればこれ以上の僥倖はない。

 ついに、ついに和葉に貸を作ることができた。

 この後帰ってきたらなんて言ってやろうか。

 約束破るなんてどうかしてる、そんなやつとは付き合っていられないとでも言って、別れ話にまで一気に……。


「いや、それはさすがに無理だな。でも、これを盾にもう一個くらい要求してもいい、かもな」


 もう少し門限を伸ばせ、とか。

 休みの日も午前中は自由にさせろとか。

 うーん、一気に話がしょぼくなったけど、それだけでも全然違うもんな。


「ま、なんにせよ今のうちに風呂でも入っておくか」


 和葉がいないってだけで肩が軽い。

 気分が軽い。

 足取りも軽い。


 さっさと風呂場へ向かい、明かりをつけて中へ。


「あ、おかえりみーくん」

「ご、ごめん入ってたんだ和……は!?」

「や、やだ。じろじろみないで恥ずかしいよ?」

「……え、いつから、いたの?」


 真っ暗だった風呂場の浴槽に、和葉がいた。

 お湯の中に肩まで体をつけてじっとしながら。

 え、なんで電気ついてないの?


「一時間前からずっといたよ? 早く帰ってこないかなって、待ってたの」

「な、なんで電気もつけずに、風呂入ってるんだよ」

「だって、もしみーくんが浮気相手を連れて帰ってきてシャワー浴びようとしたら、びっくりするでしょ? それにここなら、返り血もきれいきれいできるから」


 ざばっと、彼女の手が湯船から出るとその手には折り畳み式ナイフが握られていた。

 そして、そのナイフを反対の手でそっと撫でて。


「でも、ちゃんと一人で帰ってきたんだ。よかった」

 

 そう言ってからナイフをそっと畳む。


「い、いや……友達とご飯は?」

「行ったよ? でね、いっぱいお話聞けたから帰ってきたの。北原さんは学校の前のおうちだって。あと、阿部さんはスーパーの裏手にあるマンションの301号室なんだってさ」

「こ、今度はその子たちの家に遊びにいく、のか?」

「えへへ、そうするつもり。だってね」


 もしその子たちとみーくんが浮気したときのために、勝手口とか探しとかないとね。

 そう言ってから、和葉は首を温めるように、少し深く湯船に体をつける。


「……勝手口って、それは」

「みーくんがもし、私に嘘ついて女の家に行っても私がちゃんと連れて帰れるようにね。オートロックとかだと面倒だけど、その時は塀をよじ登ってでも迎えにいくからね」

「な、何言ってるんだよ……そんなこと、するわけないだろ」

「わかってるよ。でも、念のためだよ。私がみんなと仲良くしてたら、浮気する気も逃げる気もなくなるだろうから」


 そのあと、俺は無言で扉を閉めた。

 そして、まだ風呂に入ってもいないのに廊下に出ると身震いが止まらなかった。

 

 もしかして和葉をほかの人間と接触させたのは間違いだったんじゃないか。

 とんでもないことに、クラスの連中まで巻き込んでしまったんじゃないか。


 そう思うと、汗も止まらない。

 どうしよう、明日も誰かと遊ぶって言ってたけど。

 これ以上クラスの子の個人情報をあいつに与えない方がいい。


「か、和葉」

「ん、なあに?」


 廊下から、風呂場にいる和葉に話しかける。


「あ、明日は一緒に帰らないか? 俺、やっぱりちょっと寂しかったから」

「ほんと? うん、嬉しい。でもね、明日だけはどうしても大切な用事いれようと思ってるんだ」

「そ、そんなに大事な約束かよ。俺と帰ることよりも」

「うん、みーくんに悪いことしようとしてる初音さんと一緒にご飯食べようかなって。大丈夫、すぐ終わるからね」

「え……」


 ざばんと、浴槽から和葉が出る音がした。

 

 そしてそのあとでシャワーの流れる音がして。

 きゅっと、水が止まる。

 時間が止まったような感覚のまま、何をどう話していいかわからない俺に、風呂場から和葉が一言だけ。


「あの子も、絶対逃がさないからね」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る