第8話 判決の時を待つ
「みーくん、ねむねむしよー?」
話し合い後、食事を終えて風呂に入ってきた和葉は、寝巻姿で部屋に戻ってくると目をしょぼしょぼさせていた。
昨日、あれだけ夜更かしをしたんだから当然っちゃあ当然だが。
眠そうな和葉を見るとほっとする。
今日は俺もぐっすり寝れそうだ。
「うん、寝よっか」
「えへへー、みーくんと一緒におねんねだ。お布団入ろ?」
「おいで、和葉」
「うん」
一緒にベッドに入って、まず和葉は俺にキスを求めてくる。
そしておやすみの前は一回だけ、そっとキスをすると猫のように俺の腕の中で丸くなる。
「んー、みーくんのにおいだあ。えへへへ、落ち着くの」
「うん、俺も、眠くなってきたよ」
「おやすみ、みーくん」
「おやすみ、和葉」
そして彼女はそれ以上俺に何も求めてこない。
正確にいえば、これ以上を知らないのである。
和葉は典型的な箱入り娘。
しかも俺以外の人間との接触は、うちの家族か自分の家族しかないため、性に関する知識とかが乏しい。
知らない、というわけではないのかもしれないけど、今のところはキスさえしておけば結婚も同然、みたいな常識が彼女の中にある。
俺はそれを教えるつもりはない。
教えたら最後、絶対に求めてくるから。
いや、俺だってあんなことやこんなことをしてみたい。
隣ですやすや眠る美少女を押し倒して襲っちゃおうと思ったことも数知れず。
でも、それはいばらの道。
いや、進んだら最後、帰り道など存在しない。
ヤッたら終わり。
それくらいは俺だって理解してる。
だから今は絶対に和葉とはしない。
こんな状態の和葉と一生一緒なんて、地獄を生きるだけだ。
「……寝顔はかわいいのにな」
すやすやと、安心しきった様子で眠る和葉の寝顔を見ているといつも思う。
かわいいし、俺に一筋だしなんでもしてくれるし。
彼女と一緒になる未来もいいんじゃないかって。
だけど、そう思って翌日には惨劇がいつも待っていて。
だからやっぱり俺は逃げたい。
幼馴染の手から、どうにかして。
和葉が変わってくれる未来がないのであれば。
◇
「おはよ、みーくん」
「あ、ああ。おはよう」
「ごはんできてるよ? 食べるよね?」
「うん、いただくよ。あ、今日はオムレツか」
朝から豪華な食事。
そしてさわやかな幼馴染の笑顔。
贅沢だよな、ほんと。
まったく、何かどうにかならんもんかね。
「いただきます。うん、おいしい」
「みーくん、今日はね、友達作ろうと思うんだあ」
「そっかそっか、そりゃいいな……今、なんていった?」
「え、聞こえなかったの? お耳さん、ちょんぱしないとだね」
「き、聞こえてます! え、友達?」
「うん。きのうみーくんが言ってたこと、和葉もやってみようかなって」
「……うん」
あれ、これはどういう風の吹き回しだ?
あの和葉が、俺の言うことを素直に聞くだと?
いや、ありえないだろ。
今までいくら懇願しても、それこそ血の涙を流しながら土下座しても無理だったというのに、こうも素直になるなんて、絶対変だ。
「みーくんのいうことも一理あるかなって。みんなに自慢、しちゃいたいなって」
「……そう、だな。俺も、今日友達を作って全力で和葉のこと、惚気るよ」
「うんうん。でも、女友達はダメだよ? そんなことしたら」
「し、しないから! それより、早く食べて学校行こうよ」
「うん、そうだね。えへへ、なんか楽しみー」
和葉の機嫌はすこぶるいい。
そして友人を作ることにも乗り気。
もしかして本当に昨日俺が苦し紛れに吐いた言い訳が響いたとでも?
いや、まだ油断はできない。
できないけど、期待はしたい。
和葉に友達ができて、その子たちと一緒に遊んでくれるようになって、俺に自由な時間ができるようになれば。
……それだけでも十分すぎる。
ああ、なんかテンション上がってきた。
◇
「おはよー」
教室に着いた時、開口一番和葉が大きな声でみんなに挨拶をした。
すると、女子の数人がこっちを見てから寄ってくる。
「あ、時雨さんおはよう。今日も彼氏さんと一緒なんて仲いいね」
「うん、すっごく仲良しなんだ。ね、みーくん」
「う、うん。あ、俺は先に席戻ってるから」
「うん、またねみーくん」
女子が近づいてきたとたん、和葉は俺に目で合図を送ってきた。
絶対に女子と話すんじゃねえ。
そんな殺気がこもった目を向けられて、俺は先に席へ避難する。
そして和葉の様子を見守るのだが、意外や意外、普通に会話をしているようだ。
あんな一面があったのは意外だな。
俺としか話ができないコミュ障のメンヘラかと思っていたが、どうやらその気になれば社交性ってやつは備わっているようだ。
ふむ、このまま順調にみんなと仲良くなってくれたらいいんだけど。
「よう悠木、彼女がとられて辛いのかー?」
「あ、土屋。まあ、和葉も友達出来たほうがいいだろうし、これでいいんだよ」
「はは、べったりなのもいいけどたまにはな。四六時中一緒とか、飽きるだろ」
「……飽きる、ともちょっと違うかな」
飽きるなんて感情はとっくの昔に捨てた。
飽きさせてくれない。
そんなそぶりを見せたら俺の首は胴体と離れ離れだ。
死の恐怖の前では、いかなる感情も無に帰るのだ。
「ふーん、まあいいや。それより今日はカラオケなんだけど行かねえか?」
「お、いいねえ。あ、でも初音さんとかは」
「なんだ、来てほしいのか?」
「い、いやその逆というか」
「ま、彼女いるんだもんな。今日は男子だけだよ」
「ほっ……なら、和葉に言ってみるよ」
「尻敷かれてるんだな、お前」
「そんなかわいいもんじゃねえよ……」
できたら尻に敷かれるくらいになりたい。
今は虐げられてるだけなのだから。
なんて憂いを込めてため息をついたところでチャイムが鳴る。
和葉は、嬉しそうに俺の隣へと戻ってくる。
「えへへ、いっぱいお話しちゃった。案外みんな、いい子だね」
俺と離れて不機嫌になってないか心配だったんだけど、和葉は初めてまともにクラスの女子と会話をしたことを満喫している様子。
なんだ、結構いい感じだな。
「そっか、よかったじゃん。あのさ、今日の放課後、土屋に誘われたんだけど」
「女の人も?」
「い、いないよ。男友達だけ、なんだけど」
「ふーん」
いいとも悪いとも言わず。
ふーんという濁した返事だけで会話が終わる。
ただ、即否定されないだけでもこれはすごいことだ。
以前ならこんな質問をした時点で刃物が机の上に並べられていた。
ほんと、もしかしたらもしかするかもしれない。
和葉から逃げ回る必要がなくなる。
それならそれに越した話はない。
まともな和葉なら、俺だって大歓迎だ。
頼む、遊びに行かせてくれ。
それで俺の進む道は大きく変わる。
ひたすら和葉からいい返事がもらえるように祈りながら、判決の時を待つ。
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