第7話 だけど期待してしまう
「みーくん、お風呂入ったよー?」
肉じゃがのできる音を聞きながら部屋で待っていると。
和葉に呼ばれた。
「あ、うん。じゃあ先に入るよ」
「ねえみーくん」
「な、なに? お腹は空いてるよ?」
「あのね、お風呂から上がったらちょっとお話あるの」
「え、話? そ、それなら別に今でも」
「ううん、大切なお話なの。だからね、ゆっくり入ってる間に、いっぱい考えててね」
「か、考えるって何を」
「それも考えてね」
「……うん」
和葉が笑顔で。
まったく目だけが笑ってない歪な笑顔で俺にそう言って。
俺は何も聞き返せずに風呂へ。
沸いたばかりの風呂は本当にちょうどいい温度に調整されていた。
俺の好みは少し熱めなんだけど、しっかりとそうなるようにお湯が張られている。
こういう嫁力に関しては、和葉は多分日本一、いや世界一……じゃなくて世界唯一だと思う。
料理の好み、食べたいタイミング、身の回りの世話、うちの親との関係、すべてパーフェクトだ。
加えて容姿は完璧な美少女。もうここだけ聞けば俺は絆されてダメ人間にされたっておかしくないレベル。
でも、その完璧さの帳尻を合わすかのように、嫉妬に狂い、怒ると暴走どころか迷いなく俺を殺しにくるという二面性を持っている。
それさえなければと思って眠った夜は数えきれない。
まあ、それがあってこその和葉なのかもしれないけど。
一体明日からどうなるんだろう。
ていうか、まず風呂あがりになんの話をされるんだろう。
考えておけっていわれても見当がつかない。
和葉が何を言い出すかなんて、常人の理解できる範囲ではないから。
「はあ……でも、気持ちいい」
肩までお湯に浸かって、とりあえず頭をからっぽにする。
さすがに風呂にまでは入ってこないから、この時だけが昔から唯一心安らぐ瞬間だ。
ずっと一緒、か。
考えてみればやっぱり怖い言葉だ。
◇
「和葉、出たよ」
「あ、みーくん。ずいぶん長かったね。気持ちよかった?」
「うん、和葉が入れてくれるお風呂に勝るものはないよ」
「えへへ、よかったあ。てっきり一人になりたくて長風呂してるんじゃないかって心配だったんだよ?」
「そ、そんなわけ、ないだろ」
「だよねー。もしそうだったら和葉、湯船にスタンガンをぽちゃんってしちゃおうかなとか考えてたけど」
「も、もったいないからやめようよ。ほ、ほら、スタンガンも安くない、だろ?」
「だね。じゃあ晩御飯の前に、お話いいかな?」
「う、うん」
会話の内容は相変わらずだけど、どこか機嫌はよさそう。
だけど油断することなかれ、こういう時の和葉が一番珍妙なことを言ってくることが多い。
何を言われるのだろう。
やっぱり、逃げ出したことに対するペナルティだろうか……ああ、胃が痛い。
「みーくんはさ、和葉にどうなってほしい?」
「……へ?」
聞き間違いだろうか。
なんか、普通にまともな質問が聞こえたけど。
「もう、一回で聞いてくれないとお耳もじょりじょりだよ」
「い、いや聞こえたから。どうなってほしいっていうのは?」
「和葉ね、昨日みーくんがいなくなっていっぱい考えたの。もちろん最初は怒ってみーくんの部屋に行ってお気に入りのプラモデルとか全部壊して漫画も全部破いて机も壊してみたけどすっきりしなくて。何がいけないのかなって。みーくんは和葉がどうしたら、逃げずにそばにいてくれるのかなって」
「和葉……」
いや、待て待て。
ちょっと最後の言葉で感動しかけたけど、俺の部屋がひどいことになってないか?
え、プラモデル全壊したの? 漫画、全部破られたの?
「ね、みーくん。和葉はみーくんにね、理想のみーくんを求めるけどそれだけじゃダメなのかなって。みーくんは和葉にどうなってほしい?」
「……」
いや、今は部屋のことは忘れよう。
さらば思い出。またいつの日か買いなおしてやる。
それより多分、今は千載一遇のチャンスが巡ってきてる。
あの和葉からこんな言葉が出るなんて、思いもよらなかった。
だとすれば、逃げたことにも意味が出てくる。
どんな和葉になってほしいか。
いっそのこと素直にぶつけてみてもいいのかもしれないな。
「俺は……和葉のことは好きだよ。でも、友達も欲しいし、みんなでワイワイするのも楽しそうだなって。浮気とかは絶対しないし、だけど和葉もみんなと仲良くしてくれてる方が俺も嬉しいんだ。たまには男同士、女同士で遊びにいったりさ。そ、そういうのって、おかしいかな」
あまり高望みせず。
でも、胸の内をちゃんとさらけ出してみた。
すると和葉が笑った。
柔らかい笑顔をこちらに向けて、小さくうなずいた。
……まじか。まじでいける流れか?
俺が長年追い求めてきた自由がもしかして。
「あはは、無理」
「え?」
「なにそれ、それだと和葉とみーくんが一緒にいる時間減るじゃん。え、減らしたいの? 和葉といるのがやっぱり嫌なんだ。そうなんだ。あ、もしかして和葉がお友達と遊んでる間にこっそり他の子と会うつもりなんだ。みーくんはそういう考えなんだあ」
ガタッと立ち上がると、和葉はポケットからナイフを取り出した。
「や、やめろ! そ、そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味? 和葉と一緒の時間が減って、それが和葉といたくないって意味じゃないなら説明してくれるー?」
「そ、それは……」
わずかコンマ数秒の間にさまざまな考えを巡らせた。
この言い訳を間違えたら今度こそ死ぬ。
まさに必死だった。
そして、
「み、みんなに、和葉とのことを、も、もっと自慢、したいん、だ……」
ナイフの鋭利さと鈍い光沢に漏らしそうになりながら、声を振り絞った。
つまり、俺がみんなと仲良くすることも和葉がみんなと仲良くやることも全部、俺たちの仲睦まじさを自慢して惚気るためでしかないと。
そんな適当な理由が通用するとも思えなかったけど、それくらいしか思いつかない。
「……みーくん」
「う、嘘じゃない! お、俺はもっと他の連中にお前のことをだな」
「……嬉しい」
「……へ?」
「嬉しいの。みーくんが、みんなに和葉たちの関係をみんなに自慢したいんだなんて、言ってくれたの初めて……すっごく嬉しいの」
和葉の頬に涙がつたう。
そして、大きな目を潤ませながら俺に瑞々しい唇をそっと向ける。
「怒ってごめんなさい。ちゅっ、して?」
「う、うん」
三回、軽く口づけして。
そのあと和葉を抱きしめて深くキスをする。
しながら、慣れたはずのキスの最中に胸の高鳴りが激しくなることに気づく。
高揚感、というより何かへの期待感。
もしかしたら、明日から和葉が変わるかもしれない。
もしかしたら、昨日までの散々な日々が終わるかもしれない。
もしかしたら、積年の悩みが全部解消されるかもしれない。
そんな期待が俺の胸を打つ。
そしてキスが終わると、和葉はそっと俺にもたれかかって「和葉ね、明日からみんなと仲良くするよ?」と。
その言葉にまた、心臓が激しく脈打つ。
やっと、俺の執念の脱走劇が報われる時が来た。
この時はまだ、そんなことを思っていた。
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