第6話 そして泣き始める

「諸事情ありまして今日からの登校になりました紫雨和葉さんです」


 朝のホームルームで。

 和葉のことが紹介された。


 どうして昨日席割を見て、和葉が同じクラスだということに気づかなかったのだろうという疑問の答えは、何も俺の視野が舞い上がって狭まっていたからではなかった。


 先生がうっかりミスで彼女の名前を入れてなかったそう。

 そして今日、彼女の為に用意された席は。


「悠木君、あなたの隣だから教科書とか準備できるまで見せてあげて」


 こういう運びだ。

 でも、これは奇縁でも偶然でもない。

 仕組まれている。

 紫雨和葉という人物は、俺と同じクラスになるためには、俺の隣の席を確保するためにはなんだってすると知っている。


 中学二年生の春休み。

 彼女は一度、職員室の前で自殺を図った。

 原因は、そう、俺と同じクラスじゃなくなる可能性があるからだと。


 意味不明だ。

 まだ結果が出る前だというのにそれだ。

 実際そんなことがあってもなお俺たちを別のクラスに分けるようないじわるな先生はいない。

 当然、必然の結果で同じクラス。

 なんなら先生の方から忖度して隣の席にまでしてくれた。


 してくれやがった。

 しかも「お前に全部任せた」とか言って。

 匙を投げた。


 誰だって彼女と関われば、最後は全部嫌になる。

 めんどくさくて、暴力的で、発想が狂気で、実際に凶器で襲ってくる。


 でも、みんなは逃げられる。

 みんなにとって彼女はラスボスではない。 

 魔王でもない。

 もちろん、幼馴染でも、ない。


「みーくん、また隣の席だよー? へへっ、教科書みーせて」

「せ、席くっつけるか?」

「うん、くっつくー」


 教室での仲睦まじい光景。

 それは田舎の連中には少々刺激が強かったのか、皆興味津々な様子でチラチラと俺たちを振り返りながらも、最後は目を逸らす。


 一方で和葉はお構いなしに俺の肩に寄り添って、授業中なのにキスをしそうなほど顔を近づけて甘い香りをばらまく。


「昨日、寂しかった」


 そして本音を呟く。

 本気で寂しかったのだろう。

 それは言われずともわかる。

 だって、


「ぐすんっ、寂しかったの、寂しかったのー!」

「お、おい」


 授業中にも関わらず号泣。

 しかし慌てたのは俺よりも周りの生徒と先生の方。


 俺にとってこんなことは日常茶飯事。

 感覚が麻痺しているという自覚はちゃんとある。

 でも、泣いてる彼女はまだマシなのだ。

 可愛げもある。

 それに誰も傷つけない。


 喜怒哀楽ある中で、この哀が全面に出た和葉は他人から見れば面倒くさく、俺から見れば愛おしい。

 そんな感じ。


「し、紫雨さん? あの、大丈夫ですか?」


 初めてのこととはいえ、授業中に意味不明な動機で泣き出す生徒を気遣う更科先生は偉いなあと感心する。


 でも、それも持ってこの一月の間だろう。

 中学の先生たちは早い段階で自分の手に負えないことを自覚して、和葉が泣き出すとすぐに俺を見ながらなんとかしろと訴えるように睨んでいた。


 で、もちろんなんとかするのは俺。

 ていうか俺じゃないとなんともならない。


「せ、先生。和葉は調子が悪いみたいなので保健室に連れていきます」


 ざわつく教室の雰囲気なんて知らんぷりで、俺は和葉を抱えて退場。


 泣きじゃくる女子に寄り添いながら授業中にどこかへいく一年生の姿は遠くの教室からでも目立ったそうですぐに学校中の噂になるんだけど。


 それはまあ、いい。

 問題は目の前の彼女である。


「ぐす、ぐすんっ」

「おい、もう泣き止んでくれよ。なあ」


 保健室にて。

 保健室の先生に事情を説明してベッドを借りると、そこに彼女と一緒に腰掛ける。


 ここからはひたすらなだめる。

 よしよししたり、手を握ってみたり色々。

 そして今日は、背中をさすってあげたあたりで落ち着いた。


「……うん、もう大丈夫」

「ほっ……全く、クラスの奴らがびっくりしてただろ」


 もちろん俺も。

 慣れたところで驚かないわけではない。

 人より少しだけ心の準備ができているというだけの話。


「だって、みーくんがいない時間のことを思い出したら辛くなって」

「わ、悪かったよ。ほんと反省してるから、急に泣くようなことは」

「急にいなくなっておいて?」

「……ごめんなさい」


 太ももに冷たい感触が伝わる。

 目線を下げる度胸がないので彼女の目を見たままジッと耐えているが、この感触はおそらく彼女のお気に入りのナイフ。


 折り畳み式の果物ナイフは、お嫁さん修行のためではなく護身用として母親から送られたそうだが。

 彼女はこれを「なーちゃん」と呼んでいる。


 コンパスのコンちゃん、アイスピックのアイちゃん、ノコギリのノンちゃんなど、彼女には危ない友達がたくさんいるのだけど。


 それについてはあまり思い出したくない。


「和葉が泣いたのはみーくんのせいだよね? どうして和葉が悪いみたいな言い方になるの? ねえ、どうして? もしかしていいカッコしたいの? あの教室の中に気になる人とかいるの? いたら死ぬよ? みーくんも、その人も、その隣の人もみんな」

「……いません」


 どうして俺やその人だけでなく他まで巻き添えを喰らうのかは疑問だけど、彼女ならクラスの殲滅どころか学校までをも爆破しかねない。


 流石に大袈裟?

 いや、あるんだよ実際。

 小学六年生の秋。


 俺たちが通う学校の理科室は。

 爆発した。


 薬品の混ぜ間違いとアルコールランプへの引火による事故として片付けられたあの日の事件。

 しかし犯人が誰かも俺は知っている。


 なんせ、その日投入した爆弾は俺の部屋で彼女が作ったものなのだから。


「和葉ね、みーくんを寝取ろうとする悪い人たちを殺さないといけないの」


 爆破事件の前日、俺は告白をされた。

 クラスの女子に。

 さりげなく。

 でもはっきり好きだと。


 それをもちろん和葉は聞いていて。

 怒りに満ちた彼女は殺すなんて物騒なことを呟きながら爆弾を作ると言い出した。

 とはいえ、小学生に爆弾なんて作れるわけないと。

 一生懸命何かを組み立てる彼女を見ながら、部屋で工作を頑張ってるくらいにしか思ってなかったんだけど。


 理科の授業の時。

 六人一組でかける机の一つの、その上には彼女の作ったそれがあって。


 ボン。


 幸い、その机にいた連中がたまたま他の席の実験の様子を見るためにと離れたところだったし、さすがに素人が作ったものだから威力もさほどなく怪我人なんかはいなかったけど。


 仕掛けられたその席にいたはずの子の中には、俺に告白をした子もいた。


 そいつも、その隣のやつも。

 もろとも吹っ飛ばすことをためらわない。


 それが和葉のやり方であると俺は知っている。


「な、なあ。どうしたら許してくれる? 俺、和葉といつまでも喧嘩をしたくないから」

「和葉だってそうだよ? でも、いつもみーくんが和葉を怒らせるんでしょ? 和葉はこんなにみーくんのこと好きなのに」

「……もう、絶対に逃げない」


 彼女が望む答えを俺が絞り出すまで、和葉は質問をやめない。

 だから望む答えを提供する。

 それが俺にとって、いや、世界にとっての平和につながるのだ。


「そっか。うん、みーくんがそこまで言ってくれて嬉しいな。和葉、絶対みーくんを逃がさないから」

「うん……」

「じゃあ帰ろ? 今日はね、肉じゃが作るんだ。楽しみ?」

「うん、楽しみ、だよ……」


 もう、百回は食べた肉じゃがを。

 今日も帰ったら初めて食べたように驚きながら「おいしい、唯一無二だよ!」って称賛しなきゃならないのが辛い。


 胃が痛い。

 食欲なんてない。

 でも、


「お腹空いてないの? 残したらめっ、だよ?」

「だ、大丈夫。今から楽しみすぎてお腹がすいたんだよ」

「えへへ、よかったあ」


 残したら「めっ」される。

 めっ、なんて言えば可愛いけど。

 実際は滅されるだけだ。


 つまり死ぬ。


 俺は毎日命の危機を感じながら食べる夕食がとても嫌いだ。

 ああ、昨日カラオケで食べたパフェ、うまかったなあ……。

 


 

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