第5話 そして和葉は学校へ行く

 ちゅんちゅんと鳥のさえずりが聞こえて目が覚めた。

 目をあけたらそこには、いつものようにニコニコ笑う和葉の笑顔が。

 

「おはよう、みーくん。昨日は和葉より先に寝ちゃったんだ?」


 その笑顔が怖かった。

 背筋が凍るほどに眩しい笑顔。

 彼女が笑えば笑うほど、俺はその裏を読んでしまう。


「お、おはよう……ごめん、さすがに」

「んーん、いいよ。昨日は無理して付き合ってくれたんだってわかったから」

「そ、そう、か」

「それより朝ご飯、食べて。ピザトーストにしてみたよ」


 どうやら今日の和葉は機嫌がいいらしい。

 俺と一緒に過ごしたからか、それとも俺の居場所を見つけたからか、はたまた。


 いや、そんなことはどうでもいい。

 今は彼女の作った朝食を食べなければ。

 さもないと。


「ねえ、いらないの?」

「い、いるいる! いただきます!」


 なぜ起こしに来ただけなのに手にバターナイフを持っているんだ。

 死ぬ気で飛び起きて、テーブルの上にあるトーストをかじる。


「ん、うまい」

「みーくんは昔っから好きだよね、それ」

「まあ、うまいんだもん」

「毎日食べれるのって、幸せ?」

「う、うん。幸せだよ」


 和葉はもう、俺のお嫁さんという気分でいる。

 そのつもり、とかそうなりたい、とかではなく。

 お嫁さんなのだ。

 だから毎日ご飯を作ってあげたいとか、逆に作ってほしいかと訊いてくることもない。

 それが当たり前。

 毎日俺の為に料理をするのが当たり前というのが彼女の意見。


 それはどう説明しても彼女の中で既に確立された感情なので覆すことはできない。

 できなかった。何度試みても俺の命だけが危険にさらされて終了する。


 だから幸せだよと。

 自分に言い聞かせるつもりも込めてそう言ってみたんだが。


「嘘」

「え?」

「じゃあ、どうして昨日の朝はコンビニで済ませたの? どうして和葉の朝食を食べたいのに逃げようとしたの? ねえ、どうして嘘ついたの? 和葉のこと、適当にあしらってるんでしょ」

「ち、ちが」

「違わないよ? ねえ、パンの耳って削いだ方が好きだったよねえ?」

「そ、それが何か……」

「みーくんのお耳も、一緒に削いであげよっか?」

「ひっ、ひいっ……」


 ただピザトーストを食べてほっこりするだけの時間でこれ。 

 最も、その原因を作ったのは今回ばかりは俺なので何とも言えないけど。

 でも、逃げなかったところで同じような朝の繰り返しだ。

 たぶん俺が耳なし芳一になるまで、そう時間はかからない。


「ねえ、学校でお友達できたのー?」


 怯える俺を見て、とりあえず耳の一件は終わったのか話題を変える和葉。

 彼女の話はコロコロと移り変わる。

 相当な気分屋だ。

 まあ、気分一つで殺されかけてるってのは正直身が持たないが。


「……できた、つもりだけど」

「昨日の人たち?」

「……まだ、知り合った同級生ってだけかも。友達ってほどじゃ」

「じゃああの人たちに誘われても私がいるから断る?」

「……断るよ。今までもそうしてるし」

「断らなかったら?」

「俺を、その……す、好きにしろ」


 生きるためにはリスクを背負う。

 それが俺の身に着けた処世術である。

 保身に走ったら負け。

 ビビったら負け、なのだ。

 いや、ビビりまくってこうなったんだけど、それでも命の一つくらい投げ出す覚悟がないと彼女と過ごすことはできない。

 高校生だというのに、もう白髪が何本も生えている。

 高校卒業の頃にはきっと、白髪のダンディになっていることだろう。


「そっかあ。ならよかった。ねえ、ちゅーして」

「……うん」

「間があったのは何?」

「な、ないよ! 嬉しくてびっくりした、だけだ」

「そ」

「……うん」


 朝から三回、キスをして。

 最後の一回はお約束の濃厚な奴。

 

「ん、んんっ、んちゅっ……」

「ん、ふっ、んん……」


 ピザトーストで脂ぎった俺の口を美味しそうに舐める和葉。

 彼女はこうなると俺を離してくれない。

 キスをしていて学校を遅刻したことだって一度や二度ではない。

 でも、


「みーくん、おいしい」


 時々息を漏らすように呟く和葉のキスは、俺の時間感覚すら狂わせる。

 嫌なことも、辛いことも、怖いことも、全部。

 彼女のキスは俺を狂わせる。



「おはよう悠木……ってその子、誰?」


 幸いなことに今日のキスは始業前に終わり、一緒に部屋を出たところまではよかったんだけど。

 そういえばここは地元ではなく、県外の学校だったってことを今更思い出す。

 土屋に声をかけられて、自分の現在地を再認識する。


「あ、おはよう土屋……この子は」

「みーくんのお嫁さんの和葉っていうの。よろしくね」


 初対面の人間に対して、彼女は何のためらいもなしにそう自己紹介する。

 お嫁さん。

 彼女とかではなくお嫁さん。

 それに、和葉は決して自分の苗字を名乗らない。

 なぜか。いうまでもないだろ。


「おいおい聞いてないぞ。めっちゃ可愛い子じゃねえか。なんだなんだ、カップルで県外に来たってのか?」

「え、ま、まあ、そうなる、かな?」

「へー、彼女連れてくるとはやんちゃだな。ま、邪魔しちゃ悪いしまた」

「あ、ああ」


 土屋は、多分和葉の空気感を察していた。

 笑いながらも決して彼女の方は見ず、最後の方は無理に笑顔を作っていたようにも見えた。

 ま、初見でお嫁さんとかいう痛い女子にドン引きするのも無理はない。

 ていうか引いてくれた方がいい。

 関わらない方が身のためだ。


「ふう」

「土屋君っていうんだ」

「え、うん。同じクラスで」

「へえ。身長は……百七十あるかないかくらいだね」

「な、何の話だ?」

「んー、段ボールに入るかなあって」

「だ、段ボール?」

「だってだって」


 何がだってなのか。

 段ボールに人を入れる理由って何なのか。

 色々訊きたいことがあったがその前に。

 和葉は怒っていた。


「私のこと彼女っていった。お嫁さんだっていったのになあ。バカな耳はとっちゃおっかあ」


 ね、みーくん。

 彼女の手には、今朝一度も使われなかったバターナイフがぎゅっと握られていた。

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