第3話 そしてあーんされる

「おいしくなあれ、おいしくなあれ」


 呪文のように、いつもそう呟きながら和葉は料理をする。

 彼女曰く「気持ちを込めた分だけ料理はおいしくなる」だそう。


 だからなのか、彼女の料理は死ぬほど美味い。

 決して大袈裟ではない表現である。

 今まで外食をしても宅配をとっても彼女の料理よりうまいものは食べたことがない。

 唯一まずかったのは、そうだ、幼稚園の時に食べさせられた泥団子。

 あれは死ぬかと思った。

 実際、三日三晩高熱で死にかけた。

 なんであんなものを食べたのだろうと、普通の人なら幼少期の笑い話で済むだろうけど、俺の場合はそうでもない。

 今、彼女に泥団子を差し出されて、食べないという選択をする自信がない。

 俺は、それほどまでに彼女に怯えている。


「みーくん、もうすぐご飯できるよ」

「あ、ああ助かるよ」

「今なにしてるの?」

「え、別にテレビを」

「テレビで何を見てるの?」

「べ、別にニュースを」

「何のニュース?」

「や、野球、かな」

「へえ」

 

 細部まで、俺が何をしているかを彼女は知りたがる。

 ちなみに今は野球のニュースをたまたま見ていたことに嘘はなかったけど、これが仮に嘘だとわかった場合、彼女は急変する。

 

 常に携帯している武器はおそらく三つ。

 金槌とナイフ、それにアイスピックだ。

 のこぎりまで持ち出してきたのは意外だったけど、まああれも初めてではない。

 あとはターボライターとかもあったっけ。

 ああ、思い出しただけで汗が止まらない。


「みーくん、できたよ。今日はお鍋にしてみたの」


 ぐつぐつと。

 煮えた鍋を鍋つかみで持つ和葉はエプロン姿も相まってすっかりお嫁さんのよう。

 小柄で華奢なのに、胸は大きくてスタイルの良さがエプロン越しにでもよくわかる。

 くりっとしたぱっちり二重の目は少し垂れていて、ちょっと幼さの残る顔立ちだけど本当にかわいい。

 肩口まで伸びた髪の明るい毛先は、今も変わらない。

 地毛らしいけど、珍しいだけでなくよく似合っている。

 ほんと、見た目は完璧すぎる。

 いつ見たって飽きないほどに整っている。


 ……なんて悠長なことを考えていられるのも今の内。

 こんな熱いものが目の前にある今、一時の油断も許されない。


「食べよー? 熱いうちがおいしいよー?」

「う、うん。でもちょっと熱すぎる、かな?」

「じゃあ、あーんしてあげる。和葉のあーんなら食べれるよね?」

「え、えと」

「食べれないの? もしかして、さっき誰かと何か食べてきたから? 何食べたの? どこで? 誰と? 何を? ねえ」

「た、食べる食べる! お腹、空いてたんだ……」


 すぐに和葉はおかしくなる。

 いや、それこそが和葉だと言えばそれまでだが、しかし彼女は彼女で結構白々しいところもある。


 たぶん、今日俺が出かけている時もずっとどこかで監視していたはずだ。

 その証拠に、さっき藁人形に貼られていた写真は今日撮られたものだった。

 さっき行ったカラオケルームで。

 初音さんと土屋と三人でパフェを頼んでシェアしていた時のものだ。

 それをどういう気持ちで観察して、どういう感情でシャッターを切ったのかは聞かないでおこう。

 訊いたら負けだ。

 死ぬ。


「あーん」

「あ、あーん……あっつ!」

「ふふっ、大袈裟だよ? はい、もう一口」

「……」

「あれ、聞こえなかった? もしかして誰かとカラオケにでも行って、耳が悪くなっちゃったのかな? ねえ、そうなのかな?」

「き、聞こえてるよ。あ、あーん……」


 煮えたぎった野菜を口に放り込まれることを確信しながら口を開くのは相当の苦痛と恐怖である。

 ただ、それを辛い、苦しいとこぼせば「私の方が辛かったのに」とか言われて、またさっきの状態に逆戻りだ。


 だから今は耐える。

 耐えて耐えて、やがて鍋が冷めるのを待つだけだ。

 

「……み、水飲んでもいい、か?」

「いいよ。じゃあ、口移しであげるね」

「そ、それは」

「嫌なの? 誰かとデザートをシェアできるのに、和葉とお水をシェアするのは嫌なんだ。あー、やっぱりあの子たちを」

「の、飲むから! は、はやくもらえるかな?」

「もー、素直じゃないなあ。はい、どうぞ」


 口いっぱいに含んだ水を、彼女は俺の口に惜しげもなく飲ませる。

 まあ、これも初めてではないのだけど、毎度溺れかけるので苦手だ。

 別の意味で死にそうになる。


「ごふっ……」

「もー、みーくんったらお水こぼれてるよ?」

「す、すまん。まだ慣れなくて」


 しかし形はどうあれ水を飲めたことで、火傷だらけになった口の中も少し癒える。

 そしてようやく沸騰した鍋が冷えてくると、そこで初めて彼女自身が鍋を食す。


「ん、ちょっと辛かったかな? ねえ、みーくんはどう思う?」

「そ、そんなことないよ? 俺は和葉の料理が一番だから」


 この返し、少しミスった。

 言い終えてからそう気づいたがもう遅い。


「一番? 二番がいるんだ。誰? 比べる対象がいたんだ。ねえ、誰の料理が二番なの?」

「そ、そういう意味じゃない。二番なんて、いない」

「じゃあ、和葉の料理だけをずうっと食べてくれる?」

「もちろん、だよ……」


 二番がいてもダメ。

 自分と比較される奴がいてもダメ。

 母の手料理ですら嫉妬の対象。

 ナンバーワンでありオンリーワンでなければならない。

 それが紫雨和葉という女である。


 触るな危険。

 近づくな危険。

 ではない。


 ただひたすら危険なのだ。

 離れても近づいても。

 彼女が存在する限り俺の危機は終わらない。


「……ごちそうさま。おいしかった」

「よかったあ。みーくんが一人暮らしなんて、心配だったんだよお? でも、今日からはその心配もないからね」

「……と、言いますと?」

「和葉もここに住むの。前々からね、おかしいなって思ってたんだ。和葉はみーくんのお嫁さんなのに、どうして別々に暮らしてるんだろって。でもね、みーくんがわざわざ一人暮らしを初めてくれたのって和葉のためだったんだよね? 一緒に暮らせるようにって、そう思って勇気を出してくれたんだよね?」

「え、それは」

「違うの?」

「そ、そう、です……」


 そんなわけがない。

 一緒に暮らすつもりなら、どうしてその相手に黙って出て行く必要があるんだ。

 ていうかここ、一人用だし。

 いや、そういう問題じゃなくて……。


「やっぱりそうだったんだあ。うれしいな。和葉、毎日家事頑張るからね」

「で、でも和葉の親は大丈夫なのか? ていうか学校は」

「お母さんにはね、みーくんにプロポーズされたってきちんと打ち明けたよ? そしたらね、すっごく喜んで送り出してくれたんだあ。えへへっ、早く孫の顔が見たいって」

「……」


 まず。

 和葉の母親についてだが、それはもう和葉の母親としかいいようがない人だということを思いだした。

 親子そろってメンヘラ。

 あの母親も、バグっていた。

 和葉をたまたま寝坊で迎えに行けなかった日があったんだけど、その日は和葉と母親の両方から詰められて。

 なんなら親の方が心配しきりで。

 和葉を捨てる気なのか、他に女ができたのか、もしそうなら死んでもらわないと。

 なんてことをずっと、ずーっと聞かされていたっけ。

 たった一度、そんなことがあっただけでだぞ?

 あの母にしてこの子あり、だ。


「そ、それはわかったけど。だから学校は」

「学校? 行くよ」

「こ、ここからじゃ通えないだろ? 一体どうするつもりだ」

「通えない? すぐ近くだからすっごく便利じゃん、ここ」

「……近くだと?」


 ここは俺たちの地元から数県離れたしかも山手にあるド田舎だ。

 車でだって数時間はかかるし、学校に間に合うような始発も存在はしない。

 何が近いんだ?


「もー、ここを選んだ理由って学校の近くだからだよね」

「そ、それは俺の通う学校の話で」

「だから和葉もそこに通うんだよ?」

「……え?」


 ぴらっと。

 得意げに彼女がポケットから出したのは学生証。

 そこには彼女の顔写真と名前、その上には『私立千ケ崎高校』と。


 何度見返しても、そう書かれていた。


「う、うそだろ……」

「昨日はね、お部屋の片付けとかで忙しくて今日の入学式に行けなかったんだけど、明日からはちゃんと一緒に登校できるから安心してね」

「あ、安心って……」


 よく見れば。

 いや、よく見るまでもなくだけど、俺の部屋に運び込まれた段ボールは全て片付いていた。

 それに見覚えのないタンスや本棚もあり、そこには俺の持ち物と彼女のものが混在している。

 恐怖と絶望で、そんなことにも気づかないほどに視野が狭かったことを今、自覚する。


 彼女は今朝、俺が家を出てからずっとここにいたのだ。

 何を思って待っていたんだ……。


「あー、そうそう」


 一体いつからバレていて、いつから俺の壮大な計画は無に帰されていたのかと頭を抱えているところで彼女が。


 口に指をあてて何かを思い出したような顔をした後で。


 笑った。

 にやりと。

 そして、はっきり告げる。


「みーくんのことはなんでも知ってるからね」


 

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