第2話 そして俺は捕まった

「うわあああっ!」


 暗闇からぬっと顔を出してきた女子に、俺は叫び声をあげながら腰を抜かす。

 勢い余って尻もちをついて玄関で頭を強打。

 しかし、痛みはない。

 痛んでる、余裕がない。


「みーくん、帰り遅かったね? どうしたの? 変な人に絡まれてたの?」

 

 まだ真っ暗の玄関で、可愛らしい声が響く。


「か、和葉……なんで、ここに?」

「今質問してるのは和葉のほうだよ? ねえみーくん、どうしてこんなに帰りが遅かったの?」


 カンカンと、何かを叩くような音がする。

 金属音? いや、何の音だこれは?


「お、おそかったのは、ええと、たまたま知り合ったやつに、この辺りを案内してもらってただけ、で」


 もう、言い訳もままならない。

 そもそもどうしてこんな田舎の学校に入学したんだとか、なぜ和葉に何も告げずにでていったんだとか、そういう話もすっ飛ばして、和葉は暗闇から質問を繰り返す。


「嘘だよね? どうしてこんなに遅くなったのか、教えてくれないんだ。和葉には言えないんだ。女なんだ? そうなんだ? そうに違いないよね?」

「そ、それ、は」


 実は女の子とも遊んでましたなんて、言えるわけがなかった。

 そう言えばどうなるか、俺はもう経験済みだ。

 死の恐怖、そして相手女性を死に追いやる可能性すらあると俺は知っている。


 だから言えない。

 

 パッと、玄関のあかりがつく。


「あ」

「みーくん、私のお顔見たのいつぶりかな?」

「え、ええと……たしかおととい」

「だよね。昨日はどうして会いにこなかったのかな? どうしてこんなところにいるのかなあ? ねえ、それも嘘つくのかな? また、嘘つくのかな?」


 カンカン。

 固いものを叩くようなその音の正体は、明るくなった今、はっきりとわかってしまった。


 金槌で、和葉が釘を打っている。

 笑顔で。

 藁人形に。

 何かの写真を貼り付けて。

 その写真ごと、玄関の壁に打ち付けている。


「な、何をして、るんだ?」

「あー、これ? さっき一緒にいた子の写真だけど、見たい?」

「へ?」


 よく見ると、釘が刺さった写真に写っていたのは初音さんだった。

 それも今日、さっき一緒に行ったカラオケボックスで談笑している時の顔。

 眩しい美人の笑顔が釘で打ち抜かれて、ぐしゃぐしゃになっていた。


「みーくん、この女に騙されてるんだよ。あの男も一緒になって、みーくんを騙そうとしてるんだよ。私が殺してあげないといけないね」

「ま、待て! な、なんでそもそもお前がここに」

「んー?」


 まだ腰が抜けたままの俺の顔を覗き込むように和葉はしゃがみ込んで。


 瞳孔がひらいたような目つきで俺を真っすぐ見ながら。

 当たり前のように呟く。


「だって、私はみーくんのお嫁さんだから」


 カンカンと。

 言い終えて立ち上がった和葉は再び釘を打つ。


 そして最後の一刺しと言わんばかりにカーンと強めに釘を打ち付けると、その場に金槌を捨てて、再びしゃがみ込む。


「ねえみーくん、手と足、どっちがいい?」

「な、なんの、話?」

「んー? 残してほしいのはどっちかなあってえ」

「の、のこして、ほし、い?」

「私的には手がおすすめかなあ。お手手繋ぎたいし、触ってほしいし、でもその足はいらないかなあ。は、なくしちゃった方がいいかなあ?」


 言うと、彼女は廊下に備え付けてあるキッチンから。

 包丁ではなくのこぎりを持ち出す。


「な、なにをする気だ」

「みーくんがどこにも行かないように、その足をとっちゃおうかなって」

「や、やめろ! 頼むからやめてくれ!」

「それ、私も言ったよね? 訊いてくれなかったよね?」

「え?」

「私がずっと一緒にいたいから、離れるとか言わないでって泣いてお願いしたのに、みーくんは勝手にどっかいっちゃったもんね。ねえ、どうしてかな? 自分だけ嫌なことをされたくないって、わがままじゃないかな?」


 確かに、俺は和葉に泣きながらお願いされたことは何度もある。

 

 ただ、少し語弊がある。

 別れたい、せめて別れないなら一人の時間を作ってほしい、それも叶わないなら頼むからトイレとかにだけはついてこないでほしい。

 そんな譲歩的なお願いを何度も俺から彼女にしたが、その度に「絶対に無理」の一辺倒。

 むしろ返す刀で「お願いだから私の傍から離れないで」といわれ、毎回俺のほうが折れる結果となっただけで。

 最初に俺の願いを聞かなかったのはいつだって和葉だ。

 わがままなのはどう考えても和葉なのに。


「……それはお前が」

「私のせいにするの? じゃあ、私のせいでいいからその足もらうね」

「ま、待ってくれ! た、頼むからそれだけは」

「それだけは?」

「や、やめて、ください……」


 鈍器や刃物を構えられるだけで、人は恐怖心から動けなくなるもの。

 加えてそれを持つ相手が本気で自分を殺しにかかってるとわかった時、その恐怖は数倍に膨れ上がる。


 俺は玄関で盛大に漏らしてしまいそうだった。

 何もかも。

 上からも下からも全部。

 それくらいの恐怖だった。


 結局怖いものには人は勝てない。

 このままだと本当に俺の足はなくなってしまう。

 そう確信した俺は実に哀れな土下座をした。

 このまま首を落とされる覚悟で無防備に。

 懇願した。

 すると、


「じゃあ、私のお願いも聞いてくれる?」


 急に悲しそうな声で、和葉は俺に問う。

 俺は頭をあげず、地面を見つめたまま「わかった」と。


 完全降伏状態だった。

 そんな俺の傍に彼女が来て。

 その気配で思わず体を起こすとそこには涙ぐんだ可愛い女の子がいた。


「私、もう絶対に離れたくないよ? 一分会えなかっただけで死にそうなんだもん。ねえ、絶対にいなくならないって約束、できる?」

「う、うん……俺が悪かった。もう、逃げたりしない」


 何度、このような会話があったことか。

 俺が遠ざかろうとすると彼女が距離を詰めてきて、俺を詰めてきて。

 最後にはいつも俺が折れる。

 心が折られる。

 そして彼女が言うところのがはじまる。


 今日も、例外なく。


「みーくん、ちゅっ」

「……ああ」


 和葉に、俺からキスをする。

 三回、軽く口づけをしてからその後、


「ん、んん……」


 濃厚な。

 絡みつくようなキスを十分程度。

 口がひりひりするまでひたすら。

 彼女がいいというまでずっと。


 それがあって初めて彼女は機嫌を戻す。

 憑き物が、落ちる。


「みーくん、一人暮らしって大変だよね? 私、晩御飯の準備してあげるね」

「え、ええと。それより和葉はどうやって部屋に」

「お嫁さんだもん、普通だよね?」

「……」


 目に輝きを取り戻した和葉は、さっきまでの病んだ状態ではない。

 でも、別に人格が入れ替わったわけでも別人が憑依したわけでもなく。

 和葉は和葉だ。

 だから発言はやはり意味不明だ。


 それでも、この状態になればひとまず命の危機は免れたと言える。

 今日は生き延びた。

 その安心感のせいで、彼女がどうやって俺の居場所を突き止めたのかとか、今日この後どうする気なのかとか、そんな肝心なことを何一つ聞くことも忘れ。


 ぐつぐつと煮える鍋の音を聞きながら、一人ベッドに座り込んだ。


 

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