ラスボスと幼なじみからは絶対に逃げられないって、知ってた?
天江龍(旧ペンネーム明石龍之介)
第1話 そして俺は逃げた
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを見ている。
というフレーズはあまりに有名だ。
中二病全開な、ただ言葉の意味ほどイマイチ使いどころがわからないこの言葉。
でも、今日という日はその意味がよくわかった。
深淵は確かに、俺の見つめていた。
覗き込んでいた。
大きな瞳を見開いて。
じっと俺を、捉えていた。
◇
近所に住む同い年の女の子。
少し明るい毛先が特徴的な、笑うと目尻が垂れる可愛い女の子。
猫のような、いや、タヌキのような、とにかく動物的な、とても愛らしい子。
昔から小柄で、何をするにもドジだけど頭はよくて、案外面倒見がいい、そんな子。
俺は幼稚園の頃からずっと、彼女に淡い恋心を抱いていた。
初恋にしては早すぎるかもしれないが、小学校の入学式で一緒に写真を撮る時に手を繋いでくれたことを、その時に心臓がはじけそうになったことを高校生になった今でも覚えている。
そんな彼女とは何をするにも一緒だった。
登下校も、クラスでも、休日だってずっと。
雨の日も風の日も、真夏日も雪の降る日も。
彼女はずっと隣にいた。
それが、たまらなく嬉しかった。
そう、嬉しかったのだ。
可愛い幼馴染が傍にいて、誰と何をする時でもずっと一緒なことが本当に、たまらなく、心底。
嬉しかった。
過去形である。
そう、今はそうじゃない。
中学三年生のある日、俺は自分の中に芽生える違和感の正体に気づいてしまったのだ。
何をする時でもずっと一緒。
これ、冷静になってみるとすごく怖い。
トイレに行く時もついてきて、男子トイレの前でずっと指をくわえて待ってる彼女。
友達とカラオケに行くといえば、俺たちの部屋の前でずっと、これまた指をくわえて待ってる彼女。
家族旅行に出かけるんだと言えば、旅先も告げていないのになぜか到着した駅で待ってて、なんなら同じ旅館をとっていてこれまた俺の泊まる部屋の前で一晩中待っている彼女。
普通に考えてヤバすぎる。
ということにはっきり気づいたのは旅行の一件で。
なにせ俺はずっとそういう調子の彼女と一緒にいたせいで、彼女ってそういうもんなんだと勝手に洗脳されていたから。
だから気づくのが遅れた。
そして気づいた時にはもう、泥沼の中だった。
ちなみにと断るまでもなく、彼女は俺のことが大好きで。
それに俺だって普段の彼女が嫌いなわけじゃないから、やんわりと付きまとうのはやめてほしいって話をしたら。
刺されかけた。
未遂。
でも、しっかり俺の心には恐怖という感情が深くつき刺さった。
刃渡り数十センチの包丁で、迷いなく俺をついてくる彼女の目に浮かんでいたのは涙。
後から事情をきくと、俺が死ぬことが怖かったそうだ。
自分で殺そうとしたのに。
殺そうとする相手に対して涙を流す。
意味不明、情緒不安定、精神崩壊。
もう、どうやって表現したらよいかもわからないくらいに彼女は狂っている。
愛で。
哀で。
俺への深い愛情で。
どうしてここまで愛されているかについては、正直理解が及ばない。
でも、人を好きになるなんて理屈じゃないし、俺だって彼女のことをどうして好きになったかと訊かれても、ずっとそばにいたから自然にとしか言いようがない。
だからそれを問うて彼女を責めるのも筋違いということで。
俺は逃げた。
高校生になるタイミングで、直前まで地元の公立高校を受験すると嘘をついて。
県外に逃亡した。
◇
「ん、いい天気だ」
今日は高校の入学式。
早速昨日から移り住んだアパートの一室で、窓を開けて朝の爽やかな風を浴びる。
一人って最高。
普通って最高。
今までこうしてプライベートな時間が持てなかった分、高校では存分にそれを楽しんでやろう。
それに、新たな出会いも。
もしかしたらここに、俺の運命の人がいるかも……なんてな。
「おはようございます。新入生の方はこちらです」
俺が進学したのは私立千ケ
ここを選んだ理由は一つだけ。
最も受験可能日が遅かったからだ。
あまり早くに進学先を決めると、和葉に嗅ぎつけられて妨害される恐れがあったので、ぎりぎりまでそれは隠しておきたかった。
そんな理由で高校を全国から探していると、和葉の進学する公立の受験が終わったあとに申し込みが可能という奇跡的な出会いを果たし。
俺は見事に彼女を出し抜いた。
執念ともいえる快挙だ。
俺があいつを騙せたことなど今まで一度だってなかった。
でも、今回ばかりは俺の勝ち。
もうこれで、あのメンヘラに拘束される日々は終わったのだ。
使っていた携帯も解約し、こっちで新しいものを購入予定だ。
もう万全、不備はない。
桜吹雪が舞い散る通学路を行き、やがて見えた新しい学び舎の前で案内係を務める先生の指示に従い、俺は校庭の奥に見える体育館を目指す。
方向を同じくする新入生たちは、しかし皆グループを形成している。
どうやら地元の連中が多いのだろう。
少しばかり緊張する。
でも、これはいい緊張だ。
アウェイ上等、俺はいつだって好奇の目にさらされながら生きてきたんだ。
遠足の時、男女で班がわかれるというのに俺は和葉に言われるまま女子班の最後尾を彼女と歩かされて死にそうな思いをしたし。
修学旅行の時なんて、そもそも男女で違う旅館に泊まることになったのに彼女は俺の宿舎に来てずっと旅館の前で待ってて。
帰った方がいいと言えば脅されて、仕方なく二人で野宿をする羽目になって、そのことがバレて大問題になったし。
運動会でも球技大会でもなんでも。
俺は彼女のせいで恥しかかかなかった。
もう、羞恥心なんてものは捨てたに等しい。
そういう意味では、タフに育ててくれた彼女に今は感謝しよう。
もう、過去の思い出として。
今は恨み言を言わず、あの日々を懐かしんで笑い話にしよう。
ははっ、ほんといい気分だ。
早く誰かと友達になれないかな。
少し浮足立ちながら、体育館の中央に並べられたパイプ椅子の中の自分の席を、まだ名前も知らない先生に訊いてから座る。
ちなみに今日は両親は来れないと。
共働きだし、無理を言って県外の私立に入学させてもらった以上寂しいなんてことは言ってられない。
続いて入ってくる保護者たちを見ながらそんなことを思っていると、やがてマイクでアナウンスが入る。
「えー、新入生の皆さん。この後入学式が始まりますのでトイレは今のうちに済ませておいてください。あと、携帯の電源は」
云々と。
次第に、気持ちが昂ってくる。
いよいよ始まるんだ。
俺の、新しい学校生活が。
「なあ、お前って中学どこだよ」
ワクワクと、期待に胸を膨らませているところで隣の男子が声をかけてきた。
わりとイケメン。田舎のやんちゃなやつって感じだ。
「あ、俺は県外からでさ」
「へー、ここにわざわざ?」
「ま、まあ。珍しいのか?」
「ほとんどいないんじゃないか? なに、親の転勤とか?」
「いや、一人暮らしだよ」
「へえ、いいないいな。俺、土屋。お前は?」
「俺は悠木。
「よっしゃ、じゃあ今日の入学式終わったら早速遊ぼうぜ。地元の連中紹介してやるよ」
「まじ? それは助かる」
「よろしくな、悠木」
早速、出会いがあった。
土屋はとてもいいやつで、入学式の最中も色々話してて知ったのだけど、サッカー部に入る予定だとか。
ただこの辺りは強豪校なんてないし、どの部活も気軽に入れるから明日以降の部活動選びにも付き合ってくれるとかで。
こういう一期一会を大切にしたい。
俺はいちいちの出会いを全て、むしり取られてきたから。
何もない俺だから。
これからは一つずつ、何かを残していこう。
「……新入生代表、初音さゆり」
土屋とあれこれ話していると、新入生代表挨拶が終わる。
代表はもちろん俺の知らない子だが、とても綺麗な子だった。
初音さんか。ああいう子と、お近づきになれないものかなあ。
「おい悠木、なにぼーっとしてんだ? もしかしてさゆりに見蕩れてたとか」
「え、あの子知り合い?」
「ああ、中学の同級生。このあとあいつも呼ぶ予定だから紹介してやるよ」
「ま、まじで?」
「ははっ、あいつ顔はいいけど結構頑固だからな。彼氏もいねえし地元の奴らはみんな連れ感覚だから、案外うまくいくんじゃね?」
とか。
そんな調子のいい話まで飛び出した。
なんと幸先のいいスタートを切ったのだろう。
思えば中学の入学式の時なんて、しょっぱなだというのに和葉が暴走して、入学式の時に俺がいないと言って泣き出して騒動になって。
ずっと体育館の前で俺の名前を連呼したせいで、初日から俺は有名人にされてしまったっけ。
……いや、もう言うまい。
あれも微笑ましい思い出だ。
屍を超えていけ。
あの頃の俺はもう、いない。
「では、新入生の皆さまは教室に戻った後、担任の先生の指示に従って解散となります」
アナウンスされて。
俺たちは一斉に教室に戻る。
長く退屈だったはずの入学式は、それでも良縁あって実に有意義な時間となった。
で、教室に戻って席割を見て着席。
その後で入ってきた担任は、更科先生という女性だった。
今年で二十六歳になるという情報は土屋から。
実は地元の連れのお姉さんだそうで、そんなどうでもいい情報まで俺は新鮮で嬉しかった。
「よっしゃ悠木、遊びにいこうぜ」
先生が明日からの授業予定などを配り終えて解散というと、一斉に教室が騒がしくなる。
土屋も例外ではなく、俺に声をかけてからすぐさま近くにいる女子に声をかけていた。
「さゆり、お前も来るだろ? 新しい友達、紹介してやるからさ」
初音さんだ。
教室に入ってからも緊張で視野が狭くて気づかなかったが、まさか同じクラスなんて。
それに間近で見るとめちゃ美人だ。
美人と同じクラスってだけでテンションが上がる。
「はじめまして、悠木です」
「あ、はじめまして初音です。なんか地元以外の人って新鮮だね」
「そ、そうなんだ。うん、まだ緊張してて」
「そうだよね。でも、ここって田舎だけど不良なんていないしかしこまらなくていいと思うわよ」
「う、うん」
人生で初めて、和葉以外の異性とまともに会話をした。
それがあまりに新鮮で、俺の心臓はさっきからばっくんばっくんと脈打って仕方ない。
ただ、初音さんとの他愛もない会話で俺は確信する。
この三年間はバラ色だと。
変なことさえしなければ、俺の高校生活はきっと有意義で輝かしいものとなるはずだと。
そう思うと、興奮がおさまらなかった。
もう、ここで大声をあげて万歳三唱したかった。
「よっしゃ、じゃあ行こうぜ。さゆり、他のやつらは?」
「今日はみんな親とご飯とかだって」
「じゃあ今日は三人でもいいか。悠木はその方がよさそうだしさ」
「お、おい変なこと言うなよ」
「ははっ、照れるなよ」
この後。
俺は人生で初めての経験をたくさんした。
友人と行くカラオケ。
友人とする買い物。
友人と入るファミレス。
何もかもが、俺にとっては初めてだった。
カラオケも買い物も食事も何もかも、家族以外では和葉としか行ったことがなかった。
だからだろうか。
死ぬほど楽しかった。
もう、このまま死ねると本気で思うほどの解放感。
積年の呪縛から解き放たれた俺の今の気持ちは、どう表現したらいいかもわからないくらいに。
ただ最高の一言だった。
「じゃあな悠木、また明日」
「悠木君、今日はありがと。明日からもよろしくね」
「うん。二人とも気を付けて」
三叉路で。
それぞれ違う方向ということでここで別れることになったのが名残惜しくもあったが。
こんな楽しいイベントが毎日続くことが確定してるわけだし、何も焦る必要はない。
今後はもっと友人も増えて、もしかしたら初音さんとも何かあったり……なあんてな。
ははっ、楽しくて仕方ない。
もう、鼻歌まで歌いながら。
スキップまでしてしまう。
そんな調子で軽快にアパートに到着する。
昨日から住む、俺の三年間の根城。
二階建てのちいさなアパートの二〇三号室を見上げる。
今度、みんなをここに呼んだりもしたいな。
ていうかまずは片付けだ。
荷解きも済んでないし、今日はたくさん遊んだから夜は片付けでも頑張るか。
明日からの日々に心躍らせながらアパートの敷地内に入る。
そして外側についた階段を登ろうと足をかけた。
その時だった。
「……ん?」
違和感を覚えた。
悪寒ともいうべき嫌な感覚。
誰かに、見られている?
「まさか……」
俺はこの違和感を知っている。
いつも、遠くから俺をじとっと見つめる重い視線。
時には電柱の陰から、時には高みから、時にはベランダの窓からだって、その視線はいつも俺に向けられていた。
和葉だ。
この気配は、和葉しかいない。
しかし、それはあり得ないはずだ。
彼女の高校の入学式は今日で、しかも地元からここまでは新幹線に乗っても数時間はかかる。
あり得ない。
あり得ない、はずなのに。
「和葉……和葉なのか?」
俺は最悪の事態を想定していた。
万が一、和葉がここにきていたとしたら。
どこかで俺を見ていたとしたら。
俺は殺される。
いや、死ぬよりももっと辛い目に遭わされる。
「う、嘘だよな……」
段々と、体がぶるぶる震えてきた。
今日は夜でもあたたかく、生ぬるい風がそよそよなびいているはずなのに寒気がおさまらない。
膝をわなわなさせて。
声を震わせて。
さっきまでの浮かれた気分なんてどこかに吹き飛んでしまった。
でも、和葉の姿は見えない。
「……いや、気のせい、だよな」
一応、電信柱の陰も植木の奥もアパートの裏手のゴミ捨て場も確認したが誰もいなくて。
覗き込む度に極度の恐怖で心臓が破れそうになりながらも勇気を出してあちこちを探して。
その甲斐あってか、ようやく少し俺の心は落ち着いた。
そうだ、気のせいだ。
いくら和葉がメンヘラストーカーだとしても、この居場所はそう簡単にはわかるはずもない。
親にも先生にも口止めして、いくつかフェイク受験して、なんならお年玉から入学費用まで捻出して他校への偽装入学手続きも行ったんだ(もちろん直前で辞退した)。
そこまでしたんだ。
だからあり得ない。
きっと今の違和感は、昔植え付けられたトラウマのせいだ。
夕闇から覗き込む和葉の濁った視線にいつも怯えていたせいで、こうして薄暗くなると体が勝手に思い出しただけだ。
「ふう」
とはいえ長年の習性からか、気を抜かず。
細心の注意を払いながら俺はようやく自室の前までたどり着く。
ここの鍵を空けて中に入ってしまえば今日はおしまいだ。
がちゃり。
玄関をあけると、部屋は真っ暗で。
廊下から奥に見える部屋も、この暗さでは何も見えない。
「ええと」
手探りで、玄関のあたりにあるスイッチを探す。
すぐにそれは見つかった。
電気をつけようと、指先に力を込める。
しかしその瞬間。
ひたひた。
ぺたぺた。
と、足音がした。
「え?」
まだ暗闇に目が慣れていないせいか、何も見えない。
でも、本能的に察した。
今、電気をつけたらヤバいと。
こういう時、そんな直感こそ働けどそれ以外はろくに役に立たない。
むしろ、あまりの恐怖で動けない。
何かが迫ってくる。
泥棒か、不審者か。
いや、それならそれでよかっただろう。
なんなら両方揃ってきてくれたってかまわなかったのだけど。
そんな期待は。
訊きなれた声によってかき消された。
「みーくん、めーっけ」
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