第109話 あら……? 何かしらこの感じ……。

 今日アイが着ているのは、春の訪れを感じさせるような菜の花色のドレス。繊細な白のレースが小花のようにドレスを彩っていて、まさに春の妖精と呼ぶのにふさわしいの。

 我を取りもどしたアイはすぐにカーテシーを披露した。


「だいいちおうじょの、アイともうします」


 発せられた言葉は以前よりもずっと滑らかで、小さな王女として可愛らしくも凛としている。


 ふふっ! アイったら、日に日にどんどん完成度が上がって美しさも可愛らしさも増し増しじゃない! 今他国の王子に会わせたら、間違いなく全員魅了してくること間違いなしね……! 現時点でこれだなんて、本当に将来はどんなに美しい王女になってしまうのかしら!


 天井知らずのアイの可愛らしさに、思わずにんまりとしてしまう。

 それからすぐに私はキリッと表情を正した。


 いけない、いけない。油断するとすぐに頬が緩んでしまうわ。

 この間もハロルドに『お前たち、夫婦そろって顔がにやけすぎじゃないか?』って突っ込まれてしまったんだもの。

 ここはなんとか威厳を保たねば。威厳、威厳……!


 そんな私が精一杯威厳を保っているそばでは、ローズ様が興味深そうにアイを見つめていた。ローズ様もローズ様で、何やらアイに興味を持ったらしい。

 アイはローズ様を、ローズ様はアイを互いにじいっ……と見つめ合っている。

 それはまるで、この世界にふたりしかいなくなってしまったのでは? と思うほど熱心だった。

 もしふたりが男女であったら、「互いにひとめぼれしてしまったの?」と勘違いされてもおかしくないくらいだったわ。


 何か引き合うものがあるのかしら……? 後でアイに聞いてみよう。


 そこへ、四女トルケの騒がしい声が響く。


「ねぇ魔女様! それで運命の人は? オーリーンお姉様の運命の人はどんな人⁉」

「いいのよトルケ! 魔女様はお姉様とお話中なんだから!」


 あわてたオーリーンも入ってきて、私はふたりの方を見た。


「オーリーンの運命の人を占ってもらっていたの?」

「う、うん……。私は別にいいって言ったんだけれど……」


 三女のオーリーンは四姉妹の中では一番引っ込み思案だ。そこへ眉を下げた父も言う。


「オーリーンはなぁ。慎み深くて奥ゆかしいところが長所なのだが、奥ゆかしすぎて求婚を全部断ってしまったんだよ」

「そうなの?」


 私が尋ねると、オーリーンは頬を赤らめた。

 そんなオーリーンに変わってトルケが言う。


「オーリーンお姉様、デートのおさそいは何回か来たのに全部断っちゃったのよ?」

「だって怖いんだもの……。私は家でみんなと過ごしている方が好きなのに」

「もう! そんなことを言っている場合⁉ エデリーンお姉様だってジャクリーンお義姉様だっておよめに行っちゃったし、わたしだっていつおよめに行くかわかんないんだからね!?」

「そうなんだけど……」

「あいかわらずトルケはしっかりしているわね」


 ふたりのやりとりを見ながら私は感心した。

 オーリーンは十七歳、トルケは十歳なのだけれど、年齢が逆だと言われても納得してしまいそうだ。


「四姉妹の中ではトルケが一番エデリーンに似たなぁ」


 というのは父の声。

 ちなみに次女のジャクリーンは、特に口数が多いわけではないけれど、無言で一番おいしいところをかっさらっていく世渡り上手なタイプだ。


「そうだな。オーリーン殿の運命の相手がまだだったな。早速占ってみよう」


 言って、ローズ様が懐からカードを取り出す。


「その前に、オーリーン殿のことを教えてくれ。さぁ、我の目を見て……」


 女性にしては低く甘い声に誘われるように、オーリーンがローズ様を見つめる。

 長い睫毛の下にある真紅の瞳も、じっとオーリーンを見つめ返す。その瞳にはまたオレンジ色が差し込み、ゆらゆら、ゆらゆらと神秘的に揺れている。

 オーリーンは目をとろんとさせ、魅入られたようにローズ様を見つめていた。


「もう一度教えておくれ。汝の名は?」

「オーリーンです。オーリーン・ホーリー……」

「そう、オーリーン。優しい両親のもとに生まれて来たのだな。ふたりの姉に、ひとりの妹。好きなことは刺繍と裁縫。ほう……眠たげに見える垂れ目が、本当は恥ずかしいのだな? 男は乱暴で少し怖い、と思うておる……」


 名前以外何も喋っていないはずなのに、ローズ様はまるでオーリーンと会話して聞き出したようにオーリーンのことをしゃべり続けた。

 そのどれもがオーリーンに当てはまっていることで、私は目を丸くする。

 隣では父とトルケが「おぉお!」と感動したように言っていた。――ちなみにトルケは父の影響で生粋占い好きだ。

 アイはというと、あいかわらず食い入るようにじっとローズ様を見つめている。私はそっと囁いた。


「アイ、どうしたの? ローズ様のことが気になるの?」


 その問いかけに、アイが一瞬ためらうそぶりを見せた。


「ううん。あのねママ……あのひと……」


 アイは言うかどうか迷っているようだった。

 そこに、ローズ様の声が響く。


「オーリーン殿の運命の人は、そう遠くない未来に現れる。既に縁は結ばれておるぞ」


 言って、ローズ様は机に並べたカードのうちの一枚をぺらりと手に取った。

 そこには王冠をかぶったひとりの女性が描かれており、黄金の錫杖を持って満足そうに微笑んでいる。


「相手はオーリーン殿のように穏やかな人物だな。非常に大人で誠実。どうやら騎士団長を務めているようだな? 部下にも慕われている」

「騎士団長だと!? すぐに絞り込めるぞ」


 途端に、父は目をぎらつかせてぶつぶつと呟き始めた。トルケも叫びを上げる。


「キャア! 騎士団長なんて素敵!」


 確かに家柄、騎士団長なら探すのは簡単だ。私もユーリ様にお願いして教えてもらおうかしら?


 なんて、私の方までドキドキしてくる。


「ということは騎士なの……? そんな立派な方が、私を相手にしてくださるかしら」


 弱気な妹に私は笑った。


「何を言っているのオーリーン。あんなお父様だけれど、我が家は腐ってもホーリー侯爵家よ? 嫌がる人なんていないわ」

「おいエデリーン。あんなお父様とはどういうことだあんなとは」


 不満げなお父様の横ではトルケも身を乗り出して挙手している。


「はい! トルケも! トルケも占ってください魔女様!」

「よかろう。では汝の名は?」

「トルケ・ホーリーです!」

「そう、トルケ」


 じっと、真紅の瞳が今度はトルケを見つめた。


「汝は快活な性格をしているが、恋にはどうやら浪漫を持っているようだな。……なるほど。政略結婚は嫌だと。愛のある結婚をしたいと。そして子どもは最低十人は欲しいのか」


 えっ!? 十人!_ トルケったら、そんなに産むつもりでいたの!?


 驚いて見ると、トルケは顔を赤くしていた。どうやら当たっていたらしい。

 ローズ様はオーリーンの時同様、トルケが喋ったわけでもないのにトルケの過去や願望をすべて見抜いていた。

 そして最後に、一枚のカードを手に取りながらローズ様が言う。


「だが残念ながら、汝の運命の王子が現れるのにはあと十年はかかりそうだ。今は恋よりも別のことに打ち込んだ方がいい気がするぞ」

「え~~~っ」


 十年先、と言われてトルケが不満を募らせる。私は笑った。


「トルケはまだ十歳でしょう。もう恋のお相手が欲しいの?」

「もちろん! だって早い子はもうとっくに婚約者がいるんだもの!」


 その台詞に、父がスイーッと目を逸らした。

 確かに、侯爵家ほどの上位貴族ならその年齢で婚約者がいてもおかしくない。実際私もいたしね。

 けれど私と、あの思い出したくもないマクシミリアンの婚約がうまく行かなかった前例があるから、それ以来お父様は早めの婚約を断るようになったのよ。


『いつまたどこかで気の変わる男がいたら困るからな』


 と。つまりトルケがまだ婚約しないのには、私にも少し責任があるのよね。


「まあエデリーンの言う通りまだ十歳だ。魔女様もそう言っているし、お前にはまだ早いのだろう! それよりエデリーンも占ってもらいなさい!」


 話題を変えたくて仕方がないらしい父が私に振る。


「ちょっとあなた!」

「お父様。私はもう結婚していますから、今さら運命の人など」

「まぁまぁまぁ! せっかくなのだ! 占ってもらいなさい!」


 私とお母様が抗議したけれど、お父様はお構いなしにぐいぐいと背中を押してくる。

 お父様、本当にこういう無責任なところがあるんだから!


「では汝の名は」

「いえ、私は別に」

「エデリーン・ホーリーだ!」


 ローズ様の問いに、代わりにお父様が答えた。


「ちょっと!」

「いいではないか。別に減るものでもなし。さっさと名乗れ。それともお前は、客人に名すら教えられぬというのか?」


 父に言われて私はグッと唇を噛んだ。

 たしかに、こういうことも付き合いのうちではある。私は諦めて名前を言った。


「……エデリーン・ホーリーですわ」


 そう言って顔を上げると、ローズ様とばちっと目があった。

 大粒のルビーを思わせる、真紅の瞳。

 ちらりと見たが最後、私はその瞳に吸い寄せられて目が離せなくなってしまったのだ。


 あら……? 何かしらこの感じ……。


 頭の芯が、ぽぅっとしてくる。それでいてどこかふわふわとして心地よい。

 まるで頭をりんご酒に浸けたみたいだった。

 とろん、とまぶたが落ちてくる。

 それでありながら、頭の中には様々な"映像”が浮かんでいた。それはアイのスキル、"映像共有”で映像を見る時と似ていた。


「そう、エデリーン。四姉妹の長女としてずいぶんしっかり者に育ったのだな。ほう、小さい頃は猫を飼っていて、その猫のことをずいぶんと愛していたのだな」


 ちょうど脳裏では、今は亡き老猫を抱える私の姿が映し出されていた。


「それからひどい男に捕まったようだな。なんという軽薄な男……。だが、今の夫は不器用ながらも、汝のことを深く愛しているように見える」


 その言葉とともに、私の頭の中で微笑んでいるのは、はにかんだユーリ様だ。

 困った顔のユーリ様。

 優しく微笑んでいるユーリ様。

 そして時折、どきりとするほどかっこいいユーリ様。


「…………ふむ。汝もまた、夫を愛しているのだな。だが残念ながら、汝には別の運命の人がいるようだな?」





***

安定のめちゃくちゃやってくれるぜパパ……!

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