第104話 ……ないよな? ――◆魔王

「どいつもこいつも、役立たずばかりめ!」


 ドォンという音とともに、我の尻尾が城の壁を叩きつける。そばにいたアイビーは、パラパラと落ちる石埃にもまばたきひとつしなかった。


「アネモネはともかく、キンセンカは予想外でしたね。まさか彼女が捕まるとは。一体何が起きたのか知りたいところですが、魔力を封印されているようで声が届きません」

「キンセンカに打ち勝つあたり、やはり聖女といったところか……」

「しかしひとつ気になるのが、キンセンカが食べていたものですね」

「食べていたもの?」


 言われて我は眉をひそめた。


「ええ。最後に主様がキンセンカに連絡を取った時、彼女は何かをむさぼり食べていたでしょう? 私の記憶によれば、キンセンカがものを食べているのを見たのは初めてです」

「ふむ。言われてみれば」


 最後にキンセンカに連絡を取った時、奴は人間たちが『厨房』と呼ぶ場所で何かを食べていた。我に気づいてあわてて違う部屋に移動していたから特に気に留めなかったが……。


「……そういえばキンセンカが食事しているところは初めて見たな」


 奴は食物をとらなくても生きていける上位サキュバスなのだ。


「だが、それも潜入のためではないのか? 人間に紛れて生活する以上、和を乱さぬために食事をとらなければいけない時もあるだろう」

「それはそうなのですが……」


 アイビーはまだ何か気になっているようだった。


「主様。もし、もしですよ」

「なんだ」

「もしかしてキンセンカは……食べ物につられて負けた、などということは」


 食べ物につられて。


 その単語に、我は目を丸くした。


「……ま、さかそんなことはないだろう。あやつはあれでも上位魔族、上位サキュバスなのだぞ? 本人だってそれを何よりの矜持としていたのだ。そんな、たかが食べ物につられてなんてことは」


 ない。


 ……………………よな?


 直後、一抹の不安を感じて我はぐっと眉根を寄せた。

 なぜなら最後に連絡を取った時の、キンセンカの緩み切った顔を思い出してしまったからだ。

 無防備そのものの表情で、大口をあけてぱくりと丸い輪っかのようなものにかぶりついている。

 それは今まで無慈悲冷酷で、それでいてどこまでも気高かったキンセンカとは似ても似つかぬ絵面だった。


「……ないよな?」


 思わず同意を求めるようにアイビーを見てしまう。

 だが奴は何も答えなかった。

 そのことがまた我の不安を煽り、我は必死になった。


「な、ないない! キンセンカともあろうものが、食べ物につられるなど……断じてない! それよりもアイビー。こうしている間にも聖女の力はどんどんと強くなっていくばかりだ」


 聖女の様子が見える鏡は、もはや光り輝きすぎて直視できるレベルではなくなっている。


「早急に他の上位魔族を招集せよ! 残忍かつ狡猾で、とにかく強い者を呼ぶのだ!」

「お言葉ですが主様。そのような邪悪度の高い、純然たる上位魔族は、もはやあの国には侵入できぬようです」

「何? どういうことだ? アネモネやキンセンカは入れただろう」

「あの頃とは状況が違うのですよ、主様。結界は日を重ねるごとに強固になり、特に邪悪であれば邪悪であるほど、結界に入れない仕組みとなっているようです。正面から破壊してもよいのですが、その時は人間も最大限の抵抗をしてくるでしょう。つまり全面戦争ですね」


 アイビーの問いに、我はぎりりと歯をくいしばった。


「……以前ならいざしらず、我は今聖女のせいで力が弱っておる。聖女を殺せたとて、我もただではすまないな」

「であればやはり、ここは侵入して内部から破壊するのが一番かと思います。現状結界の中に入れるのは恐らく――私と主様、ふたりだけですから」


 ふたりだけ。

 そう言いながら、アイビーの紫の光が妖しく光る。


「女神の目を欺いて聖女を連れて来た主様ならば、あの結界に感知されずに侵入できるでしょう。そして私は、なぜかこじ開けなくても結界が通してくれます」

「待て待て待て。『結界が通してくれます』の意味がわからないのだが、なんでお前だけそんなにやすやすと入れるのだ?」


 一応も何も、アイビーだって間違いなく上位魔族のひとりなのだ。

 だが我の質問にも、アイビーは表情を変えずにこう言うだけだった。


「さぁ、どうしてでしょう……。私が人間に敵意がないからかもしれませんね。それで害がないと認識されているのかも。」


 暢気すぎる発言に、我ははぁとため息をつく。


 確かに、アイビーは人間に敵意がない。

 というよりも、人間そのものに興味がない。

 聖女の親の始末を任せた時だって、我が処分しろと命じたからそうしただけで、奴ひとりだったらきっとそのまま通り過ぎていただろう。

 だからもし聖女の結界が、人間に対する悪意の程度を感知して反応しているというのなら実はなんとなく納得もいくのだ。


 だが……。

 たとえアイビーがやすやすと結界を超えられたところで、解決というわけにはいかぬのよな……。

 我はため息をつきながら、試しにアイビーに命令してみた。


「アイビー。ならばお前が聖女を亡き者にしてこい」

「嫌です。主様と離れたくないので」


 被せ気味に即答されて、我はため息をついた。


 ……まぁそうだと思ったがな。


 というのもこのアイビーという男は、上位魔族としての能力は間違いなく一流だ。

 だが人間に興味ないどころか、我に仕えること以外への興味が絶望的なまでに薄かったのだ。その上でもうひとつ、致命的な欠点あがあった。

 それは、"我から離れたがらないこと"だった。


 ――我とアイビーが出会ったのは、我が魔王として魔界に降り立った直後のこと。


 その時の我は、おぞましい化け物の姿で魔界を這いずり回っていた。

 痛み、憎しみ、悲しみ、怒り。

 ありとあらゆる負の感情が我を焚きつけ、突き動かし、その勢いのままに我は魔王城への道を辿っていた。


 その道の途中、視界に小さな子どもがうずくまっているのが見えた。

 耳の尖った魔族の子どもだ。

 だが我は奴を一瞥しただけだった。当時の我に、魔族の子どもを構う余裕などなかったからな。

 それからふたたび地べたを這いずり回り、今の根城にたどり着いた時にようやく我は気づいたのだ。


 ――いつの間にか我の背中に、先ほどの子どもがしがみついていたことに。


 我は激怒し、すぐに追い出そうとした。

 だが奴は我がどんな攻撃を繰り出そうとも、俊敏な動きで難なくかわし、それでいて決して我と離れようとしなかったのだ。

 あまりにしつこいので、追い払う目的で『ならば我に仕えよ!』と命じたところ、なぜかやつはこくりとうなずいた。

 そしてそのまま居ついて今になってしまった――というのがアイビーだった。


 思い出しながら我はじっとアイビーを見た。

 今まで便利ゆえに気にしてこなかったが……まさかあれから何百年経った今でもこうして我から離れたがらないとはな。

 しかしなぜアイビーは我から離れたがらないのだ? 確かに我は魔王だが、アイビーには何ひとつ親切にした記憶はないのだが。

 思いつつも、我はアイビーを怒鳴りつけた。


「お前は子どもか! 我に仕えるというのなら、さっさとひとりで聖女を始末せよ!」

「嫌です」


 これまた即答。

 我はもう一度ため息をついた。


 ――アネモネは裏切った。

 ――キンセンカは捕まった。

 ――他の上位魔族は駄目。

 ――アイビーは拒否。


 となると……。

 知らず、ハァァ……と大きなため息が漏れる。


「我が行くしかないか……」

「お供します」


 途端に、先ほどまでの拒否が嘘だったかのような勢いでアイビーがぴたりと身を寄せてくる。


「お前……!!! 今さらいらぬわ、この役立たずが!」

「私は主様と離れたくありませんのでついていきます。それに聖女の力が強まった今、私がいないと不便なのでは? 結界は主様なら通り抜けられましょうが、潜入の間は人間の姿を維持しなければいけません。それは今の主様にとって、大きな負担なのでは?」

「ぬぅ」


 我はうなった。

 アイビーの言う通り、我の力を持ってすれば潜入など他愛ない。

 だが人間の姿を維持するのは、今の我にとってひどく労力のいることだった。なにせ我の巨体を、小さな人間の形に押し込めねばならないからな。


「私もおそばで主様を支えます。ここはふたりで協力しましょう」


 と言いながら、アイビーがどこから持ってきたのか、早くも巨大な旅行鞄の中にいそいそと手荷物をまとめ始めている。


 ……おい! 遊びに行くわけじゃないのだぞ!


 叫びそうになって、我は代わりにまた大きなため息をついた。

 だめだ。最近のこやつといると調子が狂う……。

 そんな状態で聖女たちのところに向かっても大丈夫なのか……!?

 というかその旅行にぴったりそうな鞄、一体どこから取り出したんだ……?

 だんだん不安になってきた我をよそに、アイビーはせっせと荷物をまとめていた。




***

5歳聖女第3部、毎週火曜お昼12時更新予定です~~~っ!!!

ついに視点名の部分が「???」から「魔王」に変わりました……!

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