第89話 本当なんでそんなことに?
「な、なんですのこれは!?」
「パパ、くまさんのおめめから、ちがでてるよぉ!?」
そこにいたのは可愛いくまさん――には到底見えない、苦しみに悶絶するくまだった。
大きく見開かれた目には、黒目がそれぞれ左右逆を向いており、さらに血の涙を流している。鼻もぐずぐずに崩れている上にこちらも大量の鼻血が出て、まるで地獄の釜に入れられて焼かれたくまが阿鼻叫喚している地獄絵図のようだ。
「そもそもなんで白目が存在するんですの!? 狂気を感じますわ!」
ちょん、と丸いおめめを描くだけで十分可愛いのに、なんでこんなに大きく目を描いているのかしら!? しかもなんで黒目がそれぞれ違う方向を向いているの!?
「そ、それは……ほら、くまは強い生き物だろう? それで強そうにしようとしたら、思ったより手元が震えてしまってだな」
気まずそうにユーリ様が咳ばらいをしている横では、ハロルドがお腹をかかえて笑い転げている。
「やっぱりな! 騎士団にいた時から絵を描かせたらとんでもないことになるから、こうなる予感はしてたんだ!」
そうだったの!? まさかユーリ様に、そんな弱点があったなんて……。
「いやー。我ながらユーリ用を別に作っておいたのは正解だったな。でないと姫さんのくまさんがみんな血まみれになっていたところだぜ」
その言葉に私はコクコクとうなずいた。もしアイのくまさんがそんな恐ろしいことになってしまったら、さすがのアイも泣いていたに違いない……。ナイスハロルドよ!
そんな恐怖のやりとりも終えて、なんとか全員無事に顔を描き終えれば――。
「よーし! らぶりぃ☆くまさんちぎりパンの完成だ!」
「わぁーい!」
「全部集まると、本当に可愛いですわね! ……一か所だけ異様な雰囲気を放っているけれど……」
大量のかわいらしいくまさんに混じる血塗れのくまをちらりと見れば、ユーリ様が頬を赤らめてごほんと咳払いした。
「これでも頑張った方なんだ」
「ほぉーら姫さん、ちぎって食べてみな。顔を描いている間に、ちょうどいいあったかさになったはずだ。今ならほかほかのふわふわだぜ」
ハロルドに差し出されて、アイがきらきらと目を輝かせながら、そぉっ……とちぎりパンに手を伸ばす。それから一番はしっこにいた白いくまをちぎりとった。
その瞬間、もちぃっ、ふわっと現れた断面に、思わず私がよだれをのんでしまったわ。
くまさんちぎりパンは、そのままはむっ! とアイのお口に吸い込まれていく。
それからアイが、ぎゅううっと目を細めて、輝くような笑顔を浮かべた。
「おいしーねえ!!!」
その顔は嬉しさいっぱいの幸せそのもの。いつものことながら、見ているこっちが嬉しくなってしまう。
「しかも今回のパンは、姫さんが自分で作ったものだからな。格別だろう」
「アイ、じぶんでつくった!」
えへへ、と笑うその顔は恥じらいつつも、やりとげた誇らしさが浮かんでいる。
それをほのぼのとした気持ちで見ながら、私も自作のちぎりパンをひとくち食べた。
途端にふわぁっと口の中に広がる、小麦の香ばしい香りと優しい甘み。もっちりふんわりとした食感も、たまらないおいしさだ。
「本当においしいわ。ハロルドが教えてくれたとはいえ、自分でこんなにおいしいものが作れるなんてびっくりね。まるで魔法みたい」
「まほー!」
「そうだろうすごいだろう。当たり前にあるから忘れがちだが、料理だって魔法みたいなもんなんだぜ」
「確かにそうだな。ハロルドの作る食事は、みんな魔法みたいだ」
言いながら血塗れくまをもぐもぐと食べているのはユーリ様だ。
「おっなんだ。そんなにおだてても何も出ないぞ。……で、今日はユーリは何が食べたいんだ? 特別に俺がリクエストを聞いてやろう」
ハロルドがごし、と鼻をこすりながら、にやけた顔で言っている。
この男……何も出ないぞって言いながら秒でリクエストを聞いてくるあたり、褒められるのに相当弱いわね。そんなことを考えながら私は自分のちぎりパンをアイに差し出した。
「アイ、ママのも食べてみる?」
「うん! じゃあアイのもママにあげるね!」
私とアイは互いのちぎりパンを交換しながら、もちもちのパンを楽しんだ。
それからふと気づく。
そういえばリリアンがずいぶん静かね?
気になってちらりと見ると……リリアンはパンを半分口に入れたまま、放心していた。
「リリアン、大丈夫!?」
あわてて声をかけると、そこでようやく気付いたらしい。リリアンがハッとした顔で私を見たけれど、口に半分入ったままのちぎりパンはそのままだ。
そこにアイが、自分のちぎりパンをもってとててーっと駆け寄っていく。
「りりあんおねえちゃんにも、アイのあげる! しろいことちゃいろいこ、どっちがいい?」
小さなおててに載っているのは、白いくまと茶色いくま。ハロルドいわく、茶色の方はココア味らしい。
アイを見たリリアンが、もぐ、と残りのちぎりパンを口に押し込んだ。それから自分の分のパンから茶色いくまをちぎり、アイの手のひらに載っていた茶色いくまと入れ替える。
「あら、交換っこ? でしたら私とも交換してくださいな」
今度は私が茶色いくまを差し出すと、またもやリリアンは無言で茶色いくまと交換する。
私とアイは互いに顔を見合わせて、ふふふっと笑った。
それからぱくりと、アイがリリアンからもらった茶色いくまにかぶりつく。
「ちゃいろいくまさん、おいしいねえ! ここあのあじ!」
「みんな同じ材料だから味も同じはずなのに、交換して食べると、なんだかもっとおいしく感じるわね?」
「じゃあパパも――あ」
言いかけて、アイの眉毛がへにゃりと下がった。
ユーリ様のくまさんが、血塗れなのを思い出したのだろう。
「だ、大丈夫だ。パパのくまさんは大人用だから、交換しなくても全然大丈夫」
強がりながら、ユーリ様が震える声でちぎりパンにかぶりつく。
あいかわらずそのくまは血塗れな上に、何がいけなかったのか、ユーリ様のチョコだけ溶けてきていて、さらに壮絶さを増していた。
本当なんでそんなことに?
けれどアイは、むんっと気合を入れたかと思うと、自分の白いくまさんを差し出した。
「アイ、パパのつくったくまさんなら、こわくないよ! こうかんっこしよ!」
「アイ……!」
見る間に、ユーリ様が瞳を潤ませた。
「よし……パパのと交換だ!」
ずっと鼻をすすりながらユーリ様も血塗れくまをアイと交換した。その時アイが、軽く血塗れくまから目を逸らしながらばくっと食べたのを私は見ていた。
そのままごっくんと呑み込んだかと思うと、輝くような笑みを浮かべる。
「パパのも、おいしーよ!」
その愛らしさに、ユーリ様が無言で崩れ落ちたのは、言うまでもないかしら?
それを全部見ていたハロルドが、くくくと笑いながら言う。
「ま、ユーリは顔を描いただけで、ちぎりパン作ったのは俺だけどな」
「いいんだそういう細かいことは! 大事なのは気持ちだ!」
必死な顔のユーリ様に、私はずっとくすくすと笑っていた。
***
\実はこのシーンも挿絵あります/
本がお手元に届くのはもう少し先ですが、ぜひぜひユーリの手元に注目してみてください……笑。
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