第88話 一生懸命頑張っていらっしゃる今のユーリ様も好きですわ
その横でハロルドは、アイとユーリ様、リリアンの生地も触って確かめている。
「うん、姫さんの生地はしっかりこねられているな、合格。リリアンも合格だ」
落第は私だけというわけね……!
そこへ、アイがぴょこりと顔を覗かせる。
「ママ! アイがてつだってあげようか?」
ハロルドに合格をもらったのがよっぽど嬉しかったのか、その瞳は自信とやる気にあふれていた。
「嬉しい、アイが手伝ってくれるの? それならママも頑張れそうよ」
「いいよ! じゃあアイがこねこねするから、ママもうえからやってね!」
言うと、すぐさま小さなおててが伸びてくる。まだ力が足りないから、アイがこねる姿はこねるというより押すという言葉に近かったけれど、真剣な顔で力いっぱい押している姿はそれだけでパン百斤は食べられそうなほど愛らしい。
「ママもなんだか元気になってきちゃったわ!」
言って、アイの手に手を重ねて、上からぎゅっぎゅとこねる。
「ママ! もっとだよ! パパはもっとつよかったよ!」
そ、そうなの? これでも力いっぱいやっているんだけれど……!
そんなアイの叱咤激励を受けながら、私はなんとか合格をもらうことに成功した。
パンって、作るのは意外と大変なのね……!
額の汗を拭っていると、全員分の生地に濡れ布巾をかけおわったハロルドがやってくる。
「生地を休ませている間に、お次はいよいよくまさんだ!」
「くまさん!」
「これは俺があらかじめ用意していた生地なんだが、みんなよーく見ていてくれよ」
そう言って差し出されたのは、真四角の型に小さく丸めて敷き詰められたパン生地だ。生地は白と茶色の二種に分かれていて、チェス盤のように交互に並べられている。
「ここにこうして、丸めた耳と鼻をつけるんだ」
言って、ハロルドが器用にフォークの先をつかいながらパン生地に小さな耳と鼻をつけると、途端に生地がくまらしくなった。
「へえ、すごいな。一気にくまっぽくなった」
「ふふん。驚きはまだまだこれから。こいつは焼いた後が本番だぜ」
濡れ布巾をかけたパン生地が完成すると、今度はそれをふたつにわけて片方にはココアの粉を混ぜ込んでいく。これが茶色の生地の秘密らしい。
「パパぁ。おみみ、おおきさがぜんぜんちがうよ?」
そんな声が聞こえて横を見れば、アイが上手に耳と鼻にちょうどいい大きさの丸いパン生地を作っているのに対して、ユーリ様のは……結構大きさに差があるわね。
「う、うむ……これが中々難しくてだな……」
「パパぁ。くまさんのおはな、おおきすぎるよ?」
「なんだ、姫さんの方が上手じゃねえか。ユーリはもっと頑張れ」
横ではハロルドがなぜかやたら嬉しそうな顔でバシバシとユーリ様の肩を叩いている。
「や、やめろ。手元が狂う」
ユーリ様は模擬試合の時のカッコよさが嘘のように、背中を丸め、困り顔でちまちまと生地をこねていた。その姿は必死で可愛く、思わずふふふっと笑いがこぼれてしまう。
気づいたユーリ様がぽっと顔を赤くし、咳払いした。
「エデリーン。その、人にはそれぞれ得手不得手というものがあってだな……!」
「そうですわね。でも私、剣を持っている時のユーリ様もかっこよくて好きですが、一生懸命頑張っていらっしゃる今のユーリ様も好きですわよ?」
その途端、ボボボボッと音がしそうな勢いで、ユーリ様の顔が赤くなった。
「おーおー。なんというかあれだな、王妃サマは無意識なんだろうけど、これだとユーリも大変だな」
「え? 何がです? なんで褒めただけで大変なんですの?」
「いーや何でもねえ。それよりみんなできたんなら、竈に入れて焼くぞ!」
そう言って、ハロルドは棒のような器具を使って手際よく、ちゃっちゃとみんなの型を竈に入れていった。アイの時だけは、ハロルドが手伝いながらもアイに自分で竈に入れさせていて、そういう所の気遣いはあいかわらず完璧だ。
竈に入れること数分――ふんわりとしたいい匂いとともに出てきたのは、膨らんでぷっくり焼き上がった"ちぎりパン”だ。
「わぁ! いいにおい! もうたべていいの?」
「まだだ。ここからが本番だからな!」
言ってハロルドがチャッと取り出したのは……何かしら、あの先端がとがった小さな袋。
「これは搾り袋と言って、ケーキを作るときに使うものの小型版なんだが……まあ説明するより見た方が早いから、よーく見てな」
私たちは自分の持ち場を離れて、ぞろぞろとハロルドの元に集まった。
机には先ほど、ハロルドが見本のために焼いたほっかほかのちぎりパンがあり、そこに彼が搾り袋を近づけていく。
かと思った次の瞬間、搾り袋の先端からニューッと茶色いチョコレートのようなものが出てきた。ハロルドはすばやい手つきで、スッスッと搾り袋を動かしていく。
そう時間が経たないうちに完成したのは――。
「わぁっ! くまさん!!!」
「可愛いわ!」
現れたのは、なんとも可愛らしいくまさんの顔だった。
焼かれて膨らみ、みっしりと積み込まれたパン全部にくまさんのつぶらなおめめと鼻が描かれて、まるでくまの詰め合わせみたいになっている。
「焼く前も可愛かったが、目を描くとさらに可愛いな」
その可愛さには、ユーリ様も思わず顔をほころばせるほどだ。
アイに至っては感動で言葉を失ってしまったらしく、キラキラ、キラキラと大きな目をこぼれんばかりに見開いて憑りつかれたように見入っている。
「さ、こっからは王妃サマに姫さんのサポートを頼めるか? ユーリには……任せてたらとんでもない化け物ができること請け合いだからな」
「わかったわ!」
「と、とんでもないとはどういうことだ。私にだってくまの目くらい描けるぞ」
「本当かぁ? じゃあ試しにもう一個余分に焼いておいたから、ユーリはそっちに描け」
「わかった」
とんでもないって、どんなのかしら? 思いながら私は尋ねた。
「ねえ、試し描きとして、先に自分のを終わらせてもいいかしら?」
「もちろんだ」
早速自分の机に戻ると、私はアイに見守られながらまずは自分のちぎりパンに、くまの顔を描いてみた。
「わぁ! ママじょうず!」
……うん、やっぱり!
できあがったくまさんはハロルド作のものに負けず劣らず、愛らしい出来だ。
ようは筆の代わりに絞り袋で絵を描けばいいだけだから、思った通りこれは私の得意技だったのよね。これならアイにも教えられそうだわ!
「これはね、強く握りすぎないのがコツよ。一度ここに描いてみましょう?」
「うん!」
一緒に練習していくうちに、アイも感覚を掴んだらしい。もちろん大人ほど綺麗には描けなかったものの、それでも五歳児としては素晴らしい仕上がりのくまさんを描いていた。
「アイったら本当に飲み込みが早くて上手だわ! なんて可愛いくまさんなのかしら」
「えへへ、これ、たのしいねぇ」
ニコニコと、アイもご満悦だ。
「ママのちぎりパンでまだ顔を描いてない子がいるから、こっちにも描く?」
「うんっ!」
私とアイがきゃっきゃうふふとしているそばでは、リリアンも真剣な表情でちぎりパンの顔を描いていた。たどたどしいながらも一生懸命描いたとわかるくまの表情が、なんだかそぼくで愛らしい。
かと思っていたら……。
「ぶはははははっ! ユーリ、やっぱりお前はユーリだよ!」
「そ、それはどういう意味だ。いい出来だろう!?」
なんていうやりとりが聞こえてきて、私とアイが不思議そうに顔を見合わせる。
「ママ、みにいこっ!」
「ええ!」
たたたっと駆け寄った私たちがユーリ様の机で見たのは――。
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