第85話 『ぽんぽん☆サンリング』

 ドーナツを差し出されたリリアンが、無言でドーナツを受け取る。


 あらあら! まるで、言葉を忘れてしまったみたいね?


 受け取ったリリアンは大きく口を開けたかと思うと、半分近くをばくっと口の中に納めた。そのまま一心不乱にもっもっと咀嚼したかと思うと、ごくんと飲み込む。


「……おいしい」


 誰に聞かせるためでもなく、確かめるようにつぶやかれた言葉。

 あまりに真剣な表情をしているから、気軽に話しかけていいかもためらわれるくらいだったわ。


「でしょ! アイ、これもぜったいおいしいとおもったの!」

「おっ。ふたりともいいものに目ぇつけたな。このドーナツも作るのすげぇ難しかったんだぜ」


 そこにひょいと乗り出してきたのはハロルドだ。


「王妃サマに絵に描いてもらったはいいんだけどよ、こいつだけなんか生地がやたら特殊で、再現するのに苦労したんだ。……っていっても合ってるかどうか、誰もわかんねーんだけど」


 ワッハッハと笑うハロルドに、ユーリ様がねじれたドーナツを眺めながら言う。


「確かに他のドーナツに比べると、不思議な生地だな。薄くて軽くて、ふわっとしている。そもそもこれは、ドーナツなのか……?」

「んまあ難しいことは気にすんなって」

「それにしてもハロルドは本当にすごいですわ。まさか私が言った『シュー生地っぽいですわね』という言葉だけで、本当に再現してしまうなんて」

「ふっ。俺はなんてったって料理の天才だからな。剣じゃユーリには敵わねえが、料理なら任せろ! この『ふわふわ☆天使のくるくる☆シュードーナツ』も、俺じゃなかったらきっと再現できなかっただろうな!」

「ふ、ふわふわ……? くるくる?」


 やたら可愛らしいネーミングに、ユーリ様が戸惑う。


「そうだよ! これ、ふわふわ☆てんしのくるくる☆しゅーどなつっていうの!」

「あ、ああ。なんだ、アイが名前をつけたのか」


 どこかホッとしたように微笑むユーリ様に、ハロルドが言う。


「いや? 俺が名づけだが?」

「そう! なべのおじちゃんがなまえつけたの! かわいい!」


 言って、どこで覚えたのか、アイが両手の人差し指と親指でハートマークを作った。


「んまあっ! すっごくかわいい! 本当に天使のような愛らしさね!」


 ……隣では、ハロルドもアイとまったく同じポーズをしている。しかもウィンク付き。


「……でもこっちは全然、可愛くないですわね……」

「んだと!? こんなお茶目でかわいいお兄さん、他にいないだろうが!」

「エデリーン。ハロルドは一体どうしたんだ? ドーナツの作りすぎで、ついに頭がおかしくなってしまったのか……?」


 心配そうな顔をしたユーリ様が、こそこそと私に囁く。それを聞きつけたハロルドがびしっとユーリ様に指を突き付けた。


「おいユーリ! 本気で心配そうな顔をするんじゃねえ! いたたまれないだろうが!」


 隣ではすっかり私たちの茶番にも慣れたアイがケタケタと笑い転げている。


「なべのおじちゃんは、かわいいよぉ!」

「おう。ありがとうな姫さん。姫さんだけだよ、俺に優しくしてくれるのは……」


 私たちがそんなやりとりを繰り広げている間にも、リリアンはずっとドーナツを食べていた。というか、そんなに食べて大丈夫なのかしら……!?


 リリアンが食べたドーナツは、パッと確認しただけでも、既に二桁近い。


「り、リリアン? そんなに食べて大丈夫? 気持ち悪くなってしまわない?」


 天使のシュードーナツも見た目は軽いとは言え、やはりドーナツだということに変わりはない。

 私がためらいながらも聞くと、そこで初めてリリアンはハッとしたようだった。


「もっ申し訳ありません。わたくしとしたことが、我を忘れて……!」


 言いながら急いで口の端についたドーナツのくずを拭いている。


「でも、気に入ってくれたみたいでよかった。アイもハロルドも、きっとそれだけおいしく食べてもらえたら喜ぶわ」

「……はい」


 返事をしながらも、リリアンはまだどこかぽぅっとしていた。

 ドーナツの余韻を楽しんでいるのかもしれない。


 あんまり邪魔しても悪いわね……と思っていると、今度はアイがユーリ様に違うドーナツを差し出していた。

 丸い玉がくっついてつながったような、不思議な形のドーナツだ。確かハロルドが『ぽんぽん☆サンリング』と名付けていたわね。

 というかなんで毎回「☆」が入っているのかしら……?


「パパ! アイはこれがすき! ぽんぽん☆さんりんぐ!」

「ほう。名前……は置いておくにして、これも不思議な形をしているな。それになんだかすごくやわらかい」


 言いながらユーリ様は、サンリングの玉をふにふにと押している。


「あのねえ、このもちもちはねぇ、さくらのおばあちゃんにおしえてもらったの!」

「サクラ太后陛下に?」


 ユーリ様の言葉に、私はうなずいた。


 ぽんぽん☆サンリングは、不思議な形の見た目もさることながら、触感……というか食感もとても不思議だったの。


 アイは記憶の中で、男の子が食べていたサンリングを凝視していた。

 普通のドーナツだったら、かじる度にぽろぽろとくずが落ちて断面はぼろぼろになると思うのだけど、そのサンリングは断面に綺麗な歯形がついていた。

 ぽろぽろとくずれることなく、もっちり……そう、もっちりしていたのよね。

 それをハロルドに伝えたら『ドーナツがもっちりなんて、ありえん』って言い捨てられてアイがぷんぷん怒っていたんだけれど……。


「アイとサクラ太后陛下は同じ世界から来ているから、もしかしたら『みせすどーなつ』そのものを知っているんじゃないかと思ったの。でも……」


 残念ながら、サクラ太后陛下がいた時代にはまだ『みせすどーなつ』はなかったのだ。


「その代わり、〝白玉粉〟というものを教えてもらって、それをハロルドが作ったのよね」

「あれぁ結構大変だったぜ。潰したり濾したり乾燥させたり……」


 ゴキゴキとこわばった肩を回しながらハロルドがぼやく。


「ま、おかげでモチモチのドーナツができたってわけだ。……本物がこれであってるかどうかはわからんが」

「見た目だけを頼りにしたにしてはとてもよく頑張ったと思うわ。もちろん本物がどんな味かはわからないけれど……少なくとも、私たちはみんなおいしいと思っているし、何よりアイが喜んでいるもの」


 にこにこした顔でドーナツをほおばっているアイを見て、私だけではなく、ユーリ様もふっと笑った。ユーリ様の大きな手が、ぽんぽんとアイの頭を愛おしそうに撫でる。

 気づいたアイが、にへへと目を細めて笑う。


「あのねえ、アイはねえ、ほんものじゃなくてもいいんだよ。アイはね、ママやパパ、みんなといっしょにどーなつたべられるのがうれしいんだあ。いっしょにたべると、もっともっとおいしいきがする!」


 ストン、と。

 アイの言葉は、まるで天使が放った矢のように、まっすぐ私の心に刺さった。


「アイ……!!!」


 私はアイの言葉に、ぎゅん、と心臓をわしづかみにされていた。


 ああ……! わかってはいたことだけれど、改めて何度でも言わせてもらうわ。

 アイったら、本当になんてすばらしい子なの!?

 本物の『みせすどーなつ』かどうかより、私たちと一緒に食べることが嬉しい!?


 そんなこと言われたら、もう、もう……! 大好きになっちゃうじゃない!!!


 私が胸を押さえてふるふると震えている横では、眉間を押さえ、天を仰いだユーリ様が、ツ……と一筋の涙を流していた。

 ハロルドはハロルドで何やら「カーッ! これだから姫さんは……!」とぶつぶつ言っているし、そばにいた三侍女や騎士たちは、滂沱の涙を流しながらドーナツを食べている。

 変わらないのは、あいかわらずぽぅっとしているリリアンと、机の下でドーナツをガフガフ食べていたショコラぐらいよ。


「……ってショコラ! ドーナツはだめよ!」


 私が声をかけると、気付いたショコラがガッとドーナツを咥えて、一目散に逃げていく。


 ああっ! 猫だから足が速い!


「俺、追いかけてきます!」


 言って双子騎士のジェームズが走り出した。


「どぉなつくわえたくろねこ~、おーいかけーる~」


 そんな追いかけっこを見てアイが何やら歌っているけれど……その歌、何?

 私が首をかしげる横では、ユーリ様がニコニコと手拍子をしていた。



***

\さてアイが歌っている歌は何でしょう/

(ちなみにこのシーン、書籍ではとってもらぶりぃちゃあみんぐな挿絵がついていますので、ぜひお楽しみに!ハロルドもいる)

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