第84話 アイの『みせすどーなつ』

「――ママ。アイ、『みせすどーなつ』がたべたい……」


 それは私がハロルドと、リリアンの歓迎お茶会で何を出すか、相談している時だった。

 そばで遊んでいたアイが、急にぽつりと言ったのだ。


「『みせすどーなつ』?」

「なんだそりゃ」


 聞いたことのない単語に、ふたりともきょとんとする。


 そんな名前のドーナツ、あったかしら?

 いいえ、あったとしても、アイはまだ市井には行ったことがないはず。

 なら……もしかしてアイがここに来る前の、異世界の話かしら?


「もしかして、前にいたおうちで食べたもの?」


 私が聞くと、アイの瞳にフッと影がかかった。


「ううん、たべたことないよ。でも、とってもおいしそうだったの……」


 その口ぶりは最近のアイにしては元気がなく、どこか寂しそうだった。


 ……そうなのね。


 なんとなく察してしまった私はハロルドから離れ、アイのそばに立った。

 それからしゃがんでアイと同じ目線になったけれど、いつもだったらすぐ抱き付いてくるアイが、今はどこか気まずげに視線をさまよわせている。

 私はアイの頭を優しく撫でた。


「ねえ、アイ? よかったら、その『みせすどーなつ』っていうのを思い出して、ママに見せてくれないかしら? 今だったら鍋のおじちゃんもいるし、ぼたもちの時みたいに作れるかもしれないわ」


 その瞬間、アイの顔がぱぁぁっと輝いた。


「ほんとうっ!? 『みせすどーなつ』つくってくれる!?」

「おーい。さりげなく鍋のおじちゃん呼ばわりしてませんでしたか王妃サマー?」


 横からぶつぶつ言うハロルドを無視して、私はアイの両手をとった。


「もちろんよ! ちゃんと『みせすどーなつ』の味になるかはわからないけど、でも鍋のおじちゃんも料理の腕だけは確かだもの! 信じましょう!」

「あのー。料理の腕だけはって言葉が聞こえたんですけどー?」

「よしっ。じゃあ落ち着けるお部屋にもどろっか? ママも見たものをすぐ描けるように、鉛筆の準備もしなくっちゃね!」

「うん!」


 私とアイは意気込むと、手を繋いで意気揚々と部屋を出ていく。それから振り返って、突っ立っているハロルドに向かって言った。


「ほらっ。ハロルドも早く行きますわよ? あなたがいないと再現はできないんだから、早くついてきてくださいな」

「へいへい。まったく人使いの荒い王妃サマなことで」


 ぶつぶつ言いながらも、ハロルドはついてきてくれたのだった。




「――ドーナツ……にしては、見たことのない形や質感のものが多いわね……」


 部屋に戻り、早速私はスキル『映像共有』で、アイの記憶を見せてもらっていた。

 マキウス王国の建物とは全然違う四角い建物に、不思議な形の服を着ている人たち。

 あいかわらずアイの元いた世界は驚くようなものばかりで、アイは本当に別世界に住んでいたのだということを感じさせる。

 アイの言っていた『みせすどーなつ』もそのひとつだ。


 そもそも建物からして、壁の大部分が全部透明なのよ? 一体どういう風にできているのかしら? ガラスはマキウス王国にもあるけれど、アイほどの子どもがべったりよりかかりなんてしたら、すぐに耐え切れず割れてしまうわ。


 それに、中に置かれているドーナツもそうだ。私は侯爵令嬢として恵まれた生活を送ってきたし、この国のお菓子なら知らないものはないと思うくらい食べてきたけれど、それでもあんな風にねじれていたり、太陽のような不思議な形をしたドーナツはこの国では見たことがない。


 でも、異世界なんだもの。アイのいた世界の方がよっぽど魔法が発展しているようだし、きっと私たちには想像のつかないようなこともあるんだわ。


「なんだこりゃ。これがドーナツ? 王妃サマの絵、間違ってないか?」


 私がアイの記憶で見たドーナツを描くと、それを見たハロルドが顔をしかめた。


「いいえ、この通りよ! 色もつければもっとわかりやすくなるはず!」

「すごーい! 『みせすどーなつ』のどーなつに、そっくりだよ!」


 私が腕を組むのと、アイがきらきらした目で絵を覗き込んだのは同時だった。


「お姫さんがそっくりって言ってんなら、本物なんだろうな……しかしどういう味がするんだ? こりゃ」

「それを考えるのが、あなたの仕事よ」

「雑な仕事の投げ方だなあおい」


 実際、ここにいる人物はアイを含めて誰ひとり『みせすどーなつ』の味を知らないのだ。

 もちろん、ドーナツだから大きく味が変わることはない……とは思うものの、見た目が違うということは、味もきっと多少は違うはず。


「わかった。なら色味とか質感とか、とにかく見た情報を全部俺に教えろ。それで何かわかるかもしれん」

「わかったわ! みんなで協力して、『みせすどーなつ』の味を、再現しましょう!」

「おー!」


 私とアイは、拳を天高くつき上げた。



 そうしてやってきたドーナツパーティーの当日。


 最初はリリアンがあまり乗り気ではなさそうだった上に、ドーナツを食べた瞬間硬直してしまったから、苦手な味だったのかと思ってすごく焦ってしまったわ。

 でもその後は平然と……いえ、むしろ嬉々として食べているのを見るに、きっと気に入ってくれたのよね?


 ちらりと見ると、リリアンはばくばくと、まるで飢えた子どもが生まれて初めてドーナツを食べているように、ものすごい勢いでドーナツを平らげている。


 そこに普段優雅で艶やかなリリアンの姿はなく、まるで別人だ。

 皆が目を丸くしているのにも気付かないほどドーナツに夢中になっており、心配になった私が、そっとハロルドにドーナツの追加を頼んだほどよ。


「おねえちゃん! これもおいしいよ!」


 口の端にクリームやらチョコレートやらを大量につけたアイが、自分のお皿に載っていたドーナツをリリアンに差し出す。それは全体がぐるぐるとねじれた形をしており、なおかつ全体の半分にチョコレートが、真ん中にクリームが挟まれていた。

 アイの『映像共有』で見たドーナツの中でも印象深かったものよ。


「……」




***

リ☆リ☆ア☆ン☆覚☆醒

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