第81話 『みせすどーなつ』って何かしら? ◆――キンセンカ(リリアン)

 王妃が騎士オリバーにうなずくと、彼はそそくさと部屋の中から出ていった。

 かと思った数分後には、双子の片割れやいつもの三侍女たちが、机やら椅子やらをワーッと部屋の中に運び込んできた。

 彼らはいつも明るいが、今は特に皆の顔が輝き、ひと目で浮足立っているのがわかる。

 慣れた手つきでちゃっちゃと部屋のセッティングを終えると、オリバーは目を輝かせた。


「終わりましたので、ハロルド様に確認してきますね!」

「お願いいたしますわ。さあアイ、一緒にパパを呼びにいきましょう?」


 そう言って差し出された王妃の白魚のような手に、聖女アイが飛びついた。

 すぐさまわたくしもついていく。後ろから、歩いて並ぶふたりをじっと観察した。


 王妃エデリーンは、金の髪に水色の瞳。聖女アイは黒い髪に黒い瞳。色味も横顔も全然似ていないけれど、手を繋いで歩く姿は本当に仲のいい母娘(おやこ)そのものなのね。


 やがてたどり着いた執務室で王妃が呼ぶと、ものの数分もしないうちに国王ユーリは出てきた。

 国王は普段の、わたくしと話している時に見せるような、淡々とした態度をふたりに向けたりはしない。

 顔にはこの上なくやわらかな微笑みを浮かべ、何より色味の濃い青い瞳には、キラキラとした光が宿るのだ。まるで宝物を前にした、少年のような輝き。

 王妃に向ける熱い視線、聖女と話す時は少しかがめる頭の動き。その仕草のひとつひとつに全部、『君たちが大切だ』という強い気持ちが宿っている。


 ……なるほど。これも手ごわい原因なのかもしれないわね。油断したわ。


 仲睦まじい三人の姿を見ながら、わたくしは目を細めた。

 経験上、男女の仲を裂くだけならそう難しいことではないのだけれど、時たま妙に時間がかかる案件がある。

 それは恋仲としてだけではなく、『家族』としての結びつきが強い夫婦が現れた時だ。

 子を通して硬く結ばれた絆は、さすがのわたくしも秒で終わり、とはいかない。


 ……といっても、最終的に意のままに操ってきたことには変わりない。この手段がダメなら手を変えるだけよ。


 次の作戦を考えながら部屋の中で待機していると、しばらくしてざわざわと廊下が騒がしくなった。


「あ、来たのかしら」


 既に国王とともに着席していた王妃が顔を向けると同時に、部屋の戸が大きく開かれた。

 その先頭に立っているのは、積みわらのようにほうぼうに伸びた茶髪に、ぎろりと吊り上がった三白眼の若い料理人っぽい男。


 ってあら? この男、以前どこかで……。ああ、この間わたくしと国王が模擬試合をした時に、そばにいた男じゃない。騎士かと思っていたけれど、料理人だったの?


「待たせたなみんな! 今日は王妃サマのご要望で、ドーナツパーティーだぞ!」

「どーなつ!!!」


 王妃の隣に座っていた聖女が、目をきらっきらに輝かせてぴょこんっと立ち上がった。


「やったぁ! ドーナツ!」

「あたし、ドーナツ大好きなんですよね」

「あたしもぉ」


 三侍女たちも、キャッキャと喜びながら席についている。

 わたくしのためにと言っていたから、薄々もしかしてとは思っていたけれど、やっぱり雰囲気からして彼女たちも一緒になって食べるらしい。王妃もまったく怒る様子なく当たり前のようにニコニコしているし……本当に不思議な人たちね。


「さ、リリアンもここに座ってちょうだい」


 そう言って指さされたのは、聖女アイの隣だ。

 ちょっと……! いくら護衛騎士だからって、そんなところに座れるわけがないじゃない! それともこれは、不敬な行動をとらないか忠誠心を試されているのかしら!?


「い、いえ、わたくしは端の席に」

「遠慮しなくていいのよ。ほら、リリアンが座らないと、パーティーを始められないわ」

「おねえちゃんはやくはやく! どーなつたべようよ!」


 ぶんぶんと手を振る聖女の口からは、早くもたらりとよだれが垂れている。


「にゃおおおん!」


 後ろからちょっと圧の強い鳴き声が聞こえてきて振り向けば、黒猫がじとりとした目でわたくしを見ていた。その目にはこう書かれている。


『いいから早く座んなさいよ』と。

く……こうなったら、覚悟を決めるしかないわ。


「では、失礼いたします」


 わたくしが座ると、王妃はすぐさま料理人の男の方を向いた。


「それじゃハロルド、始めてくれるかしら!」


 ……ん? ハロルド? 今、王妃はハロルドって言った?

 ハロルドって、この間国王ユーリが『紹介する』って言っていた名前よね!? でも彼は料理人……いやでも確かにこの間の模擬試合の時にもいた……えっ!?


 混乱するわたくしの前で、ハロルドと呼ばれた男がパンパンと手を叩く。


「おう、任せろ。おーい、運んできてくれ!」


 その途端、部屋の中にワッとお盆を抱えた大量の使用人たちが入ってきた。

 ニコニコとした彼らが持っているのは、お皿に載った大量のドーナツだ。


 よく見かける、真ん中に穴が開いた小麦色のドーナツに、つやつやとした黒茶のなにかがとろりとかかったもの。丸をたくさんくっつけて輪にしたような不思議な形に、間にクリームがたっぷりはさまったもの、ピンク色のソースがかかったものまである。


「すごぉい! いっぱいだぁ!」


 きゃーっと声をあげたのは、聖女アイと三侍女たち。王妃エデリーンは貴族女性らしく静かに微笑んでいるが、その顔は嬉しそうだ。

 きらきらと目を輝かせる聖女アイに、自慢げに鼻をごしっとこすったのはハロルドだ。


「おう。気に入ったんならよかったよ。どうだ? これは姫さんが言ってた『みせすどーなつ』みたいにできているか?」

「うんっ! みせすどーなつに、そっくりだよ!」


 『みせすどーなつ』? ドーナツの名前か何かかしら……?


 やりとりを聞いていると、聖女を見ていた王妃がわたくしの方を向いた。


「最初は、甘いものならケーキかと考えていたんだけれど、この間アイが言っていたのを聞いて、急遽ドーナツにしてみたの。しょっぱい味のパイも用意しているわ」

「あ……ありがとうございます」


 ニコニコする王妃に、わたくしはなんとか微笑み返す。それからドーナツの山を見た。


 趣向を凝らしたドーナツは目にも鮮やかで楽しく、みんながうきうきする気持ちがわからないでもない。ただようふんわりとした匂いは甘く香ばしく、きっと食べたら、人間たちは『おいしい』と感じるのだろう。


 けれどわたくしは……。



***


ミセスをミスターに変換するとミス●ードーナツ……。

これはおっきいひとり言ですが、

\来週は読む時にミス●ードーナツを用意してくるのがおすすめですぞ/

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