第80話 “灯る” ◆――キンセンカ(リリアン)

 つぼみ?


 釣られるように自分の胸元を見てみたけれど、わたくしには何も見えない。


「このつぼみ……って言ってもあたいは見えていなんだけど、これにおちびが触ると、なんかみんな新しい才能に目覚めるみたいなんだよねぇ。すごいでしょ?」

「ふうん……?」


 新しい才能って? 今聖女アイがわたくしのつぼみとやらに触れれば、わたくしも何か目覚めるということ?


 まだ目の中に星を湛えた聖女が、じっとわたくしの胸元を見つめている。


「おねえちゃんは……ごはん、なにたべてもぜんぜんおいしくないの?」


 その言葉に、わたくしはぎくりとした。


 ……そんなこと、生まれてから一度だって、誰にも、主様にですら言ったことがないのに、なんでそんなことがわかるの……!? まさかそれが聖女の力だとでも言うの!?


 聖女の言葉に、ショコラが元々猫にしては丸い目をさらに真ん丸にする。

「リリアン、あんたもしかして味覚が死んでるの? それはかわいそうね。サキュバスってみんなそうなの?」

「別にそういうわけじゃないわよ……」


 サキュバスだからといって、全員がそうなわけではない。

 わたくしが味を感じないのは、上位魔物だからにほかならない。

 能力が低い下級サキュバスたちはむしろ、おいしそうにご飯を食べているのを見たことがあるから、彼女たちはきっと味がわかるのだろう。

 ただ、ご飯の味がわかったところで魔力が強くなるわけでもないし、生命維持にだって必要じゃないから、特段羨ましいと思ったことはなかったわ。


 わたくしは誤魔化すように、サッと胸元を隠した。それでつぼみとやらが隠れるかは知らないけれど、なんとなくこれ以上そのことに触れられたくなかったのよ。

 だというのに、聖女はこともあろうに逆にとことこと近づいてきた。


 これだから子どもは!


「だいじょうぶだよ。あのね、なべのおじちゃんのごはん、すっごくおいしいんだよ。りりあんおねえちゃんも、こんどいっしょにたべよ?」


 鍋のおじちゃんて誰よ。

 あと、ちょっとこれ以上近づかないでほしいんだけど……!


 警戒して後ずさりするわたくしの前で、聖女アイが両手を掲げた。

 小さな手と手は小指同士でくっつき、指を、まるで咲いた花のように広げている。


 ――かと思った次の瞬間、わたくしの中で何かがぽぅ、と灯った気がした。


 なにこれ……?


 灯る。

 そう、今の感覚はその言葉が一番ふさわしい。

 まるで出番がなくてずっと眠っていた蝋燭に火が点き、心の中でゆらゆら揺れているような。そして蝋燭の火が、じんわりぽかぽかと、あたためてくれているような。


 動揺するわたくしが胸元をまさぐっていると、聖女が「できたよ!」と目を輝かせた。


「おねえちゃんのおはな、さいた!」


 聖女は、やりました! とばかりに胸を反らし、ふんす! と鼻を鳴らした。

 ショコラが牙を覗かせて、ニパ~っと笑う。


「やったじゃん!」

「ちょ、ちょっとまってよ。咲いたって、何のことなの!?」

「さぁ? でもおちびが咲いたっていったんなら咲いたのよ」


 返答が雑ね!

 確かに、心……いや、胸? のあたりはあたたかいけれど、だからって一体何なの!?

 子どもの聖女がうまく説明できないのはしょうがないとして、ショコラはもうちょっとどうにかなったでしょう!?


 食い下がろうと、なおも口を開きかけたその時だった。

 廊下の方から足音と人の気配がして、わたくしはハッとしたの。

 すぐさま背筋を正し、笑顔を浮かべ、『護衛騎士リリアン』の表情を作る。

 間髪入れずに部屋の扉が開いて、外出していた王妃と騎士が入って来たのだ。


「今戻ったわ。……あら? アイは、リリアンと遊んでいたのかしら?」


 パッと顔を輝かせた聖女アイが、王妃に駆け寄っていく。


「ママっ! おかえりっ!」


 そのまま聖女はがばりと王妃の腰に抱き付いた。それをしゃがんで抱きしめながら、王妃がうふふと嬉しそうに微笑む。


「なんだか楽しそうな顔だわ。何をしていたの?」

「あのね、あのね、りりあんおねえちゃんにも、おはながさいたんだよ!」

「おはな?」


 王妃がきょとんとした顔になる。


「そういえば、前にママにもお花が咲いたと言っていたわね。あれのことかしら?」

「うん!」

「リリアンにはどんなお花が咲いたの? サクラのおばあちゃんのような綺麗なお花かしら? それともママのような、ぷらんぷらんしたお花?」


 ぷらんぷらんしたお花って何……?


 わたくしが笑顔を張り付けたまま頭の中に「???」を浮かべていると、足元にいたショコラがトンッと床を蹴った。かと思うとするりとわたくしの肩に乗ってくる。

うっ。重い……! この猫、意外と中身が詰まっている。


 ショコラはそのままわたくしの頬にすりすりしてきたかと思うと、ゴロゴロと音を出しながら、王妃たちには気付かれないよう小声で囁いた


「知ってる? おちびのママってねぇ、なぜか寝てる時だけものすごい強くなるのよ。本人も周りも気づいてないみたいだけど、あれもおちびの『才能開花』ってやつらしいから、笑っちゃうよねぇ。ママ、意外と武闘派だったんだ、みたいな」


 そう言って黒猫はケタケタとご機嫌に笑っている。

 何がそんなに楽しいんだか、わたくしには全然わからないわ……。

 目の前では聖女アイがきらきらした目のまま、王妃に向かって話しかけていた。


「おねえちゃんのおはなはね、おいしそうなんだよ! おさとうでできたみたいな、きらきらのふわふわなの!」

「まあ……! 砂糖のお花だなんて、とってもかわいいわ! アイは本当に、素敵なものを思いつく天才なのね」


 言って王妃エデリーンは、心底嬉しそうに聖女アイのほっぺを両手ではさんでもにゅもにゅとした。聖女は聖女で、「えへへ」とされるがままになっている。


「あっそうだ! せっかくなら絵に描いてくれない? ママ、お砂糖のお花が見たいわ!」

「いいよ!」


 ぴょんぴょんと跳ねながら、聖女アイが王妃のエデリーンの手を引いて歩く。

 机のまわりには色とりどりのパステル画材が入った箱があり、聖女はそれを使って早速『おいしそうな花』とやらを描いている。王妃エデリーンはそれを褒めたり拍手をしたり、ニコニコしながらずっと見守っていた。

 そこへ、騎士のオリバーが咳払いしてから王妃に耳打ちした。


「あっいけない。忘れていたわ」


 途端に、王妃がパッと顔を上げる。釣られて聖女も不思議そうに王妃を見た。


「以前、リリアンのためにお茶会を開くと言ったでしょう? 急だけれど、今日ならユーリ様も空き時間があるらしいから、開催しようかと思って」

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