第76話 と、とうとう……!

 その言葉に、私の心臓が破裂するかと思った。

 顔は、もうこれ以上赤くなれないところまで赤くなっている。ドクドクと早鐘のように鳴る心臓の音がうるさくて何も聞こえない。

 答える代わりに私はうつむいた。


 ……というか、どう返事をしていいかわからなかったのよ。

 だって先ほど、『何を言われようとも受け入れますわ』って豪語してしまったばっかりなんだもの!!!


 それに……。


 私はぎゅっと手を握った。

 ユーリ様とくちづけを交わすことを……嫌だとは思わなかったのよ。

 もちろん、嫌かどうかの前に、そもそも私たちは国王夫婦。〝務め〟として、くちづけどころか子を設けないといけないってこともわかってる。

 でもそういうことを抜きにしても……その……ユーリ様なら別にいいかも、と思ったの。


 だってアイがやって来てから数カ月経つけれど、最初はダメダメで私に怒られてばかりいたユーリ様も、今や立派な父親になっている。

 執務がすごく忙しいはずなのに、時間を作っては私やアイのところにやってきて、そしてアイがユーリ様に会いに行っても、絶対に邪険に扱ったりしないのよ。


 アイの目線に合わせ、アイの言葉に耳を傾け、誠心誠意接している。

 一挙一動からあふれるのは、アイに対する思いやりと深い愛だ。


 そんな姿を見ているうちに……気づけば「この方だったら」という感情を抱くようになっていたの。


 ……と、とはいえ、そんなの本人にはとても言えないけれど……!!


 私は照れをごまかすように、ごほん、とわざとらしく咳払いした。


「さ……先ほど言った通りです! ユーリ様がく……くちづけをしたいとおっしゃるのなら、私は受け入れますわ」


 口に出して、私の顔がまたカーッと熱くなった。


 ううっ! まさか実際口に出すと恥ずかしさが倍増するなんて! こんなの、令嬢たちの噂話で聞いていたのと違う!!!


 羞恥に震えていると、私の両腕にそっとユーリ様の手がかけられる気配がした。

 それにも私はビクッと大げさに震えてしまって、そんな自分が本当に恥ずかしくて……もう!


「エデリーン……」


 ユーリ様がじっと私を見つめている気配を感じる。けれどとてもじゃないけれど、その顔を直視することできなかった。


 ええい! こうなったら、覚悟を決めるしかない。許可を出したのは他の誰でもない、私自身だもの!


 私はぎゅっと手を握ると、挑むように顔を上げた。……ただし、目はつぶっているから、何も見えない。


 ……こ、これであっているわよね!? だって仲良くしてくれていた令嬢たちが言っていたもの! くちづけするときは目をつぶるって……!


 覚悟して待っていると、顔の周りでふわりと空気が揺れる気配がした。


 目をつぶっているから、ユーリ様が起こす些細な動作のひとつにも、空気のゆらぎひとつにも敏感になってしまう。


 おまけに香ってくる匂いも、思いのほかいい匂いで。フゼアグリーンのような瑞々しい緑の中に、くゆるような男の香りを感じるというか……。


 ゆ、ユーリ様って、こんないい匂いのする方でしたかしら⁉ 香水をつけるようなタイプではないはずなのに……。


 やがて、つぶっていた目の前が、さらに一段階暗くなった。


何かが、いえ、誰かが顔に近づいてきている気配に、私はますます身を固くした。


 と、とうとう……!


 ――けれど次の瞬間だった。


 ガチャン! という硬いものが落ちる音が温室の中に響いたのだ。


「!?」


 驚いて音のした方向を向くと、そこにはあわてた顔で剣を拾い上げるリリアンがいた。


「申し訳ありません! わたくしとしたことが!」


 それから顔を戻すと――ものすごい至近距離でユーリ様とばちんと目が合う。


「きゃ、きゃあああっ!」


 気づけば私は、どん! とユーリ様を突き飛ばしていた。


「っと!」


 かろうじて受け身を取り、カウチから転がり落ちるのをこらえたユーリ様を見て、私はハッとする。


「ごめんなさい! つい……!」


 くちづけをしていいと言ったのは私なのに、反射的につきとばしてしまった!


「けがはありませんか!?」

「それは大丈夫だが……」


 私たちは互いに顔を見合わせ――それから恥ずかしくなってバッと顔を背けた。

 まだ、ほんのりと甘い空気は残っていたのだけれど、さすがにリリアンが見ている前ではその……続ける勇気がなかったのよ。多分それは、ユーリ様も同じだと思うわ。


「大変申し訳ありません! 護衛のために近くにおらねばと思いましたところ、ベルトが緩んでいたようで、おふたりの時間を邪魔してしまいました!」


 目の前ではリリアンが、心底申し訳なさそうに謝っている。

 そこまで真剣に言われると、逆に気恥ずかしいわね……!


「いいのよ。あなたは職務を全うしようとしただけだもの。ねっユーリ様?」

「そうだな……」


 同意を求めると、ユーリ様は気まずそうに咳ばらいをした。


「だが、次からはしっかりベルトを締めておくように。剣は騎士の命であり要だ。うっかり体から離れるなど、あってはならない」


 その口調や表情は思いのほか厳しく、リリアンに向ける視線も鋭い。


「はっ! 以後、心より気を付けます!」


 驚いたわ。ユーリ様は出会ってからずっと優しいか、あるいは寡黙な印象しかなかったから、女性に対してこんな風に厳しい言葉を投げかけるなんて。


 でもリリアンは騎士だから、普通の令嬢たちとは扱いが違うのかしら? ハロルドいわく、騎士としてのユーリ様は相当厳しいらしいものね。〝軍人王〟なんてあだ名がつくくらいなんだもの。


 そんなことを思いながら、私はまだドキドキする胸を押さえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る