第74話 深刻な理由?

「――では、マリナの時にお願いした先生を呼ぶということでいいのかしら?」


 穏やかなサクラ太后陛下の声を聞きながら、私とユーリ様はうなずいた。


 ここは、太后陛下が滞在する一室。

 サクラ太后陛下が紹介してくれた家庭教師は、第一王女マリナ様にも指導をしてくれた女性の家庭教師だ。

 人見知りが強く、内気なマリナ様にも優しく穏やかに接してくれていた人ということで、アイにぴったりだと思ったの。


「ありがとうございます。相談に載っていただけてとても助かりましたわ」

「いいのよ。かわいい孫のためですもの。私にできることならなんでもしましょう」


 ゆっくりとスプーンでカップの中をかきまぜながら、サクラ太后陛下が微笑んだ。その表情は穏やかで、ゆったりとした日々を送っているのだとわかる。


「それから、ユーリ」


 不意に、サクラ太后陛下の穏やかな目がユーリ様に向けられた。


「ホートリーから聞きましたよ。なかなか苦労しているようですね?」

「苦労、とは……?」


 話を振られたユーリ様には思い当ることがないらしい。不思議そうな顔をするユーリ様に向かって、サクラ太后陛下が手でくいくいと呼び寄せる動作をした。


 戸惑いながらもユーリ様がサクラ太后陛下の前にひざまずき、太后が何か軽く囁いたと思った次の瞬間――カーーーッという音が聞こえてきそうな勢いで、みるみるうちにユーリ様の顔が赤くなった。


 どうしたのかしら?


 不思議そうにする私の前で、ユーリ様が必死に何やら言っている。


「そ、それには深刻な理由がありまして……!!!」

「ほほほ。理由なんて、悠長に言っている場合ですか」

「ですが……!」


 何やら泡を食った様子で、ユーリ様があわてふためいている。一方のサクラ太后陛下は余裕しゃくしゃくどころか、むしろ何やら楽しそうだ。


「あの、おふたりとも……?」


 正反対の様子に驚いて尋ねると、なぜかユーリ様が焦ったようにバッ! と私を見た。


「な、なんでもない! 君には関係ないんだ!」

「あら、関係なくありませんよ。ユーリ、あなただって――」

「サクラ太后陛下! お話はいったんそこまでに!」


 何か言いかけたサクラ太后陛下を、必死な顔のユーリ様が止める。

 ユーリ様が太后陛下に対してそんな態度をとるのを初めて見たから、私はまたもや目をぱちぱちとさせた。……一体何が起こっているのかしら?


「ふふ。少し意地悪しすぎてしまったかしら。ならユーリ、あなたにチャンスをあげましょう。私はしばらくアイと遊んでくるから、うまくやるのですよ?」


 なんていたずらっぽく言いながら、立ち上がったサクラ太后陛下がぽんぽんとユーリ様の肩を叩く。その顔はとても嬉しそうだ。


「いいですか。場所は北宮の温室です。決して大きくはない温室ですが、今のあなたにはぴったりなんじゃないかしら」

「……お気遣い、ありがとうございます」


 言葉とは裏腹に、ユーリ様はとても苦い顔をしていた。


「いい報告が聞けるのを楽しみにしていますよ」


 言って、サクラ太后陛下はまたうふふと楽しそうに笑った。それからふと、私のそばに立つリリアンを見る。今初めて彼女に気づいたらしい。


「あら、この方は?」

「私の護衛騎士となったリリアンですわ。女性なのにとても腕が立つので、彼女ならアイも怖がらないだろうと思って、護衛騎士になってもらったのです」

「お目にかかれて光栄です、サクラ太后陛下。リリアンと申します」

「そう……」


 言って、サクラ太后陛下がまるで品定めするようにじっ……とリリアンを見る。けれどそれも一瞬のことで、太后陛下はすぐににこやかな笑みを浮かべた。


「リリアン、あなたの働きにも期待しておりますよ」

「恐れ入ります」


 どうやら、リリアンは無事サクラ太后陛下のお眼鏡にかなったらしい。といっても太后陛下は元々穏やかな方だから拒否することの方が珍しいのだけれど、なんとなく私はホッとした。


「では私はアイのもとに。いいですかユーリ。私のことは気にせず、ゆっくり過ごして来るのですよ?」


 何やら意味深な言葉を残して、サクラ太后陛下がホホホと笑いながら、侍女とともに部屋を後にする。あまりにその動きが素早かったため、私が問う余裕もない。


「あの、ユーリ様? 太后陛下は一体どうしたんですの? 何と言われたのですか?」


 事情を知るであろうユーリ様を見ると、彼はなぜか手を額にあててうなっていた。


「いや、大したことではないんだ。その……サクラ太后陛下が気を遣ってくださって……」


 いわく、サクラ太后陛下はこう言ったらしい。


『最近忙しくて、夫婦でデートする時間なんてなかったでしょう。私がアイを見ている間に、たまにはいってらっしゃいな』


 と。

 それを聞いて、私は納得がいったようにうなずいた。


「さすがサクラ太后陛下ですわね。私たちのことまで気にかけてくれるなんて、気遣いが細やかでいらっしゃるわ。……でもユーリ様はなぜそんなに悩んでいるのです?」


 ユーリ様が教えてくれたサクラ太后陛下の言葉は、ごくごく普通の気遣いだという気がする。にもかかわらず、ユーリ様の赤面はいまだに治っていない。


「いや、これは、その……」


 もごもごもご。

 歯切れの悪い言葉に、私は眉間にしわを寄せた。


「んもう。一体どうなさったのです? 私たちは夫婦でしょう? 何か悩んでいるのなら、打ち明けてくださいませ。私はあなたの妻として、ちゃんと力になりたいと思っているんですのよ」

「いや……それが……妻だから余計言いづらいというか……」


 そこまで言ってから、ユーリ様は決意したようにキッと顔を上げた。

 頬にはまだ赤みが残っているものの、彼は力強い目で私をまっすぐ見る。


「よし、エデリーン。北宮に行こう」


 すぐさま大きな手が伸びてきたかと思うと、私は強く手を引かれた。

 危うく転びかけ、さらに抗議する間もなく、ユーリ様がずんずんと歩き出す。

 その足取りは猛牛のように素早く力強くまっすぐで、私は転ばないようについていくのがやっとだった。あわてて後ろをついてきたリリアンが、私の代わりに叫ぶ。


「国王陛下! もう少しゆっくり歩いていただかないと、王妃陛下が転んでしまいますわ!」


 リリアンの声でやっと彼は気づいたらしい。はっとしたように足を止めたかと思うと、また手で額を押さえた。


「すまない。……どうも気が動転しているようだ」


 ええ、それは見ればわかりますわね。

 問題はなぜ、そんなに動転しているかというところよ。一体、サクラ太后陛下から何を言われたのかしら? この様子だと私に話していない内容もありそうね……。


 私が息を整えている間に、ユーリ様はぽつりと言った。


「……北宮の温室には、この時期でも咲いている花があるらしい。少しだけ、見に行こう」


 それだけ言って言葉を切る。

 やっぱり、詳細な理由についてまでは教える気はないらしい。


 私はむむむ……と心の中で唸った。

 どうやら私とかかわりがあるようなのに、教えてもらえないなんてすごく気になるわ。


 こうなったら、長期戦よ!


「わかりましたわ。なら、一緒に行きましょう」


 ユーリ様はうなずくと、先ほどと違ってゆっくりと私の歩幅に合わせて歩き始めた。

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