第72話 口に入ればすべて同じ砂の味 ★――キンセンカ(リリアン)

「好きな食べ物、は……」


 王妃エデリーンの質問に、わたくしは言葉をつまらせた。


 下級サキュバスならともかく、上位サキュバスであるわたくしにとって食べ物は何の栄養にもならない。そのせいか食べ物自体、何を食べても味がしないのよ。


 焼きたてのパンも、あつあつのスープも、たっぷりの砂糖を使った菓子も、見た目がどんなにおいしそうだとしても、口に入ればすべて同じ砂の味。

 だから食事という行為自体が、わたくしにとっては苦行でしかなかった。 


 ……まずいわ。何も名前が出てこない。


 わたくしはごくりと唾を呑んだ。

 生い立ちに関してはシナリオを作ってきたけれど、好きな食べ物を聞かれるなんて、完全に予想外だった。


 ええと、わたくしが昔違う王朝に君臨していた時は、何を好物としていたかしら? 確か悪女らしく、高価な甘い菓子を設定していた気がするのだけれど、それはこの国でも食べられているのかしら? 時代や国が違うと、その辺りのつじつま合わせが厄介ね……!


 必死に考えていると、何かを勘違いしたらしい王妃がにこやかに言う。


「遠慮しなくていいのよ。珍しいかもしれないけれど、私の生家である侯爵家では、いつも新入りを歓迎するパーティーを開いていたの。あなたは私の護衛騎士。いわば家族も同然なんですもの。ぜひ歓迎させてちょうだいな」

「ええ、と……」


 その時、わたくしはピンとひらめいた。


 そうだ。この場を誤魔化し、かつ王妃の同情を引けるうまいシナリオがあるじゃない!


「わたくし、食べられれば何でも好きですわ。だって食べ物があるだけで、ありがたいことですもの……」


 わたくしが伏目がちに言えば、予想通り王妃エデリーンが目を丸くした。


「えっ? それはどういう……」


 心配そうな顔をする王妃に、わたくしは憂いを湛えた笑みで言う。自慢じゃないけれど、男だったらこの笑みでみんな骨抜きになるのよ。


「わたくしはマクシミリアン様の遠縁と言っても家は既に没落しており、食べ物にも困るような生活が続いておりました。今回も生活のために危うく娼館に売られそうになったので、あわててマクシミリアン様を頼って来たのです」

「まあ! そうだったの!?」


 途端に王妃がおろおろしだす。


「剣術を身につけたのも、自分の身を守るため。だから……好きな食べ物が何かなんて、考える余裕などなくて……」

「そっそうよね! あなたほどきれいな方が騎士になるなんて、よっぽどの事情があるのよね。ごめんなさい、私ったら何も知らずに……!」

「ママ、どうしたの?」


 異変を感じ取ったらしい聖女アイが、ぎゅっと王妃のドレスを握って見上げる。気付いた王妃がしゃがみ、聖女と目線を合わせながら真剣な顔で言った。


「リリアンがね……なんて言ったらいいのかしら。うん、おうちが大変で、今までとってもとっても頑張ってきたのですって。頑張って剣も覚えて、男の人に負けないほど、とってもとっても強くなったんですって!」

「けん? つよくなったの?」

「そう! リリアンは自分の力で、とっても強くなったのよ! すごいわね!」

「りりあんさま、すごい!」


 二人は真剣な表情で見つめあったかと思うと、うんうんと、何度もうなずきあっている。その顔に疑いの気配はなく、どうやらわたくしの作り話を心から信じているらしい。


 ……これから王妃を嵌めようとしているわたくしが言うのもなんだけれど、この人大丈夫なのかしら? 少しお人好し過ぎる気がするわ。

 だってわたくしなら、初対面で身の上話を語って同情を買おうとする人間なんて、絶対に信じないもの。わたくしが悪女として君臨していた時も、そんな輩がごろごろいたものよ。この王妃、すぐに悪人につけこまれそうね……。

 ま、わたくしにとってはありがたいことだけれど。


「なら、せっかく来たんだもの。あなたにはお腹いっぱい食べてもらわないとね。何がいいかしら……せめて甘いものとしょっぱいものだったら、どちらがいいかしら?」

「それでしたら、甘いものの方が好きですわ」


 ふぅ、これくらいだったらわたくしでもすぐ答えられる。


「わかったわ! それなら今度ハロルドと相談して――」


 王妃がそこまで言いかけた時だった。コンコンコンとノックの音がして、女官が顔を覗かせたのだ。

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