第67話 ほっかほか
「しゃむ~~~い!!!」
そう言ったアイの口から、ほわわわっと白い息が漏れる。
新年を迎えたばかりのマキウス王国は冬真っ最中で、頬で感じる空気はピリリとして冷たい。王城のあちこちも、まだ白銀に輝く雪に包まれている。
その中でも稽古場だけは雪かきがされ、ある程度動けるように整備されていた。
「風邪を引かないよう、これを巻いておきましょうね」
言いながら私は、白い毛皮でできた襟巻きをアイに巻きつけた。元々もこもこしたコートを着ていたのに、さらにもふんもふんの襟巻きを巻かれたアイは、まるで歩く雪だるまのようになっている。
――あの後アイは、ユーリ様に編み込みを見てもらって、さらに稽古場に連れてきてもらったのもあって、すっかりご機嫌に戻っていた。
丸い手袋をはめた両手をぶんぶん振り上げながら、興奮したように言う。
「おそと! パパおけいこするの!?」
「ええそうよ。今からパパと女騎士さんが、稽古試合をするの」
「けいこじあい! ……ってなに?」
まだ単語の意味まではわかっていないのだろう。
アイが首をかしげていると、ザッという足音とともにユーリ様の声が聞こえた。
「ふたりで戦うことだよ。待たせたね、アイ、エデリーン」
「いえ、大丈夫ですわ――って、ユーリ様その恰好寒くありませんの!?」
顔を上げた私は、思わず叫んでいた。
お日様が出ているとは言えこの寒い中、ユーリ様が着ていたのは、春夏頃によく見かけるごくごく簡素な騎士服だった。その身には、上着であるジャケットも羽織られていない。
私の声に、ユーリ様が「ああ」となんでもなさそうに言う。
「このぐらいの寒さはどうということない。むしろちょうどいいよ」
「訓練で動き回っているうちに、体があたたまるんですわ」
そう言いながら後ろからやってきたのは、リリアン様だ。
彼女は上着を羽織っているものの、やはり鎧はなく軽装。けれどその顔に寒そうな様子は微塵もなく、美しい笑みを浮かべている。
すごいわね……! 私なんて寒くてこんなに着込んでいるのに! さすが騎士、鍛えているのね。
感心しながらも、見ているだけで寒くなってしまって私はぶるっと震えた。それに気づいたアイが、にこにこしながら私の脚に抱き付く。
「ママ、さむいの? アイがぎゅーしてあげるね」
ア゛ア゛ッ゛! か゛わ゛い゛い゛……!
突然の不意打ちに一瞬声が出そうになって、慌ててゴホンゴホンと咳払いする。
……でも残念ながら、顔の方はにやけてしまったの。リリアン様が目を丸くしてこちらを見ていたから、私は気まずさを打ち払うために再度何回か咳払いしてみせる。
「ママ、おかぜひいちゃった? だいじょうぶ?」
言いながら、またアイがこてんと私の方に頭を寄せて見上げてくる。
ううっ。そんな仕草も本当に可愛い……!
これは風邪じゃなくて誤魔化すための咳だから大丈夫よ……とは言えなくて、私はぎゅっとアイを抱きしめた。
そのまますりすりとほおずりしていると、いつの間にか王宮料理人兼、ユーリ様の近衛騎士であるハロルドがそばにやってきていたらしい。
稽古場の真ん中に向かって歩き出すユーリ様とリリアン様とは反対に、ハロルドはその場に残ってアイに話しかけた。
「姫さん、見てな。今はまだだが……そのうちユーリたちから湯気がでるぞ」
「ゆげ?」
その言葉に、アイが大きな目をぱちくりとさせる。
「そう、湯気だ。外は寒いからな。ちょーっと激しい運動をすれば、すぐにユーリが湯気でほっかほかになるぞ」
「ほっかほか? パパ、ほっかほかになっちゃうの?」
“ほかほか”という単語に、アイがぱっと私から離れてハロルドの方を向いた。すかさずハロルドが、アイのそばにしゃがみこんで楽しそうにケケケと笑う。
「今、息をハァーッてすると白いのが出るだろ? あれがユーリの全身から出て、ほかほかになって、まるでオーラみたいになる」
「ほかほか!!! おーら!!! アイ、ほかほかおーら見たい!!!」
「よし、なら姫さんは特等席から観戦するか」
言うなり、ハロルドがガッとアイを抱え上げた。
「ちょっ……!」
そして私が止める間もなく、腕を上げながらくるりとアイの向きを変えたかと思うと、自分の肩にぽんと乗せたのだ。
いわゆる肩車というものだけれど、見ている私はかなりハラハラしたわ……!
「たかぁーい!」
一方アイは、ハロルドの髪をつかみながら楽しそうな声を上げている。
「ここからユーリを応援してやれば、もっと喜ぶぞぉ」
「パパ~!! がんばって~!!」
アイが元気いっぱいの声で叫ぶと、準備をしていたユーリ様がこちらを向いた。それから硬かった表情が、へにゃりと崩れる。その顔はデレデレして、心底嬉しそうだ。
「おいおい、あんなだらしない顔してていいのか。負けても知らねーぞ」
そんなハロルドに一歩近づき、私は先ほどからずっと気になっていたことを聞いた。
「リリアン様ってやっぱりお強いんですの?」
「さあ、さっぱり知らん。でも推薦者のなんちゃら伯爵によれば」
「デイル伯爵ね」
「そうそう、その伯爵によれば強いらしいんだが、何せ急に現れたからな。鎧をちゃんと持っているってことは、嘘じゃないんだろうけど」
同じ騎士であるハロルドなら何か知っているかと思って聞いてみたけれど、どうやら彼も知らないらしい。それもそうよね。ハロルドの言う通り、本当に彗星のように突然現れたんだもの。
「でもま、どのみちすぐわかるだろ。……ほら、始まるぞ」
ハロルドが指さす前では、まさにユーリ様とリリアン様が剣を構えていた。
ユーリ様は太く大きなロングソードを、それに対してリリアン様は、レイピアのような細い剣を構えている。
私はあわてた。
「あの……本物の剣を使うんですの!? 木剣ではなく!?」
「何ぬるいこと言っているんだ。稽古とは言え試合なんだからそれくらいやるだろう」
「ですが、あんな大きな剣を受けたら、リリアン様の剣は折れてしまうのでは……!?」
「まあ見てなって」
不安がる私をよそに、ハロルドがクイッと顎で前をしゃくってみせた。そこでは、ちょうどユーリ様とリリアン様の稽古試合が始まろうとしていた。
試合開始の合図と同時に、グォッとユーリ様の剣が振り上げられ、リリアン様めがけて容赦なく叩き込まれる。
「きゃっ!」
思わず見ている私が、目を覆いそうになった。剣を振り上げたユーリ様の瞳は今まで見たことがないほど強く鋭く、怖いくらいだったのよ。
けれど次の瞬間、ギィィィン! という刃と刃がぶつかり合う音がしたかと思うと、すぐさまシューッと鉄がすべる音がして、リリアン様がユーリ様の刃を横に流していた。
「へぇ! あの女騎士、やるね。真正面からぶつかったら即試合終了だと思ったが、受け流したのか」
「うけながし!」
ハロルドの髪を掴んだままのアイが、興奮したように叫ぶ。
その後もふたりは、私たちが見ている前でキン、キン、キン、と何度も刃から火花を散らした。
大きな振りでユーリ様が攻撃をしかければ、リリアン様がそれをするりと受け流し、反転して突き攻撃に転じる。けれどユーリ様も負けておらず、俊敏な動きでそれを素早く交わすのだ。
「確かにあの女騎士、なかなかやるようだな。力だと敵わないってわかってるからか、受け流しに徹底している。つかみどころがない、ナマズみたいにぬるぬるした動きをしてやがる」
「なまず……」
「だが、だんだん押されてきたようだな。ユーリが息ひとつ切らしていないのに対して、女の方は少し息が乱れてきている。……ほら、今足元がふらついただろう。技術はあるが、体力がまだ追いついていないのかもしれないな」
見ればハロルドの解説通り、リリアン様の額には汗が浮かび始めていた。動きもユーリ様の攻撃を受けるのに必死なようで、反撃の手が止まっている。
「そろそろ決着が着くぞ、見てな。……いち、にい、さん」
キィン!
まるでハロルドの言葉に合わせるように、リリアン様のレイピアが宙を飛んだ。力強いユーリ様の剣に、はじきとばされたのだ。
はぁはぁと荒い息をついて、リリアン様ががくりとその場に片膝をつく。
「私の負けですわ……! さすがユーリ国王陛下です」
「君もなかなかの腕前だった。デイル伯爵の言葉に、嘘はなかったようだな」
「陛下にお褒めいただけるなんて光栄ですわ。幼少の頃より、陛下の評判を聞いて、ずっと憧れていたんです……!」
言いながらまた、リリアン様は祝賀会の時に見せたような熱っぽい微笑みを浮かべてユーリ様を見ていた。
ははぁ、なるほど。
その顔に、私はひとり納得がいったように目を細めていた。
祝賀会の時にやたら見つめるなと思っていたのだけれど、彼女はそんな昔からユーリ様を慕っていたのね。いわばユーリ様は、リリアン様にとっての憧れの人。
それなら確かに、あんな熱っぽい表情になるのも仕方がないわね。いえ、不作法であることに変わりはないのだけれど、少し納得がいったというか……。
「パパすごーい! かったね!!!」
地面に降ろされたアイが、両手を広げてユーリ様のもとにトタタと走って行く。それを軽々と受け止めたユーリ様が、満面の笑みでアイを抱き上げた。
「アイの応援のおかげで勝てたよ。ありがとう」
「パパ、ゆげは? ゆげはどこ?」
「……ん? ゆげ?」
湯気という言葉にきょとんとするユーリ様に、ニヤニヤした顔のハロルドが近づいていく。
「姫さんは、お前の全身から湯気が出ているのが見たいってよ」
「ゆげ、でるんでしょう! おーら、でるんでしょう!?」
言いながらアイが、期待に満ちた目でユーリ様を見つめる。反対にユーリ様は、少したじろいだ顔になった。
「湯気は……出るは出るが……もっと激しい運動をしないと、まだ……」
「ゆげ、でないの……?」
途端に、アイの眉がしょんぼりと下がる。すぐさまユーリ様が慌てた。
「いや、で、でるぞ! 今からもっと運動をすれば、出る!」
「ほんとう!? おーらも、でる!?」
「オーラ……!? どこからそんな言葉を……」
ユーリ様はそばを見回し、隣で隠れて笑っていたハロルドを見つける。
「……ハロルド、お前か」
「くくくっ。いや、別に嘘はついてないだろ?」
「嘘はついていないが……わかった。こうなったら、湯気が出るまで訓練しよう。ハロルド、もちろんお前もだぞ」
「ええっ!? 俺も!?」
――そうしてユーリ様とハロルドは、きらきらした瞳のアイが見つめる前で、ふたりそろって湯気が出るまで訓練を続けたのだった。
「すごーい! パパもなべのおじちゃんも、ほっかほかだねぇ!」
そんな、アイの言葉を添えて。
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