第61話 力の源を奪えるのなら ◆――???

「まったく……アネモネはどうなっている! あれ以来一度も連絡がつかぬ!」


 赤い月が浮かぶ灰色の世界。

 玉座の前に座っていた我は、イライラしながらドォンと尻尾を床にたたきつけた。パラパラと埃が落ちる中、我の前で微動だにせず立っているアイビーが、きらりと紫の瞳を輝かせる。


「主様……アネモネではなくショコラですよ」

「ええい、うるさい! そもそも勝手に改名などしおって!」


 我も我で、なぜ受け入れてしまったのか、今となってはわからぬ。

 いや、聖女式典であまりにも拍子抜けして、もはや怒る気力すら無くしてしまったからなのだが――。


 はぁ、と盛大なため息をついていると、暗闇の中からカツカツとヒールの音が聞こえてくる。


「ふふっ。主様。アネモネは強いとはいえ、もとをたどれば愛に飢えたただの子猫ちゃんですもの。わたくしや主様のような、選ばれた絶対的な存在とは違いますわ」


 くすくすと笑いながら暗闇から歩み出てきたのは、長いピンクブロンドを持つ、絶世の美女だった。


 色香を湛えた赤い瞳に、唇は熟れたサクランボのように艶やか。華奢な体に似合わぬ豊満な胸に、きゅっとくびれた腰。


「……キンセンカか」


 男ならむしゃぶりつきたくなるほどの美女は、サキュバスのキンセンカだ。


「主様……なぜわたくしを差し置いて、アネモネなんてお呼びになりましたの? わたくしなら子猫ちゃんと違って、一時の愛などにほだされたりしませんのに」

「……」


 我は黙ってそれを聞いていた。


 確かにこやつも力はあるが、サキュバスという種族の性質上、小さい聖女を削除するには不向きだと思ったのだ。

 なおも黙り続けているとキンセンカがまた「ふふっ」と笑う。


「どうせこうお考えなのでしょう? わたくしに小さい聖女を誘惑なんてできない、と。でも――大人の男なら、むしろわたくしが適任だとは思いませんこと?」

「……というと?」


 我の問いかけに、キンセンカが赤い唇を吊り上げて妖艶な笑みを浮かべる。


「聞けば小さい聖女とやらは、両親役である国王と王妃に愛されることで力を発揮するのだとか。――なら、その力の源となる、国王の愛をわたくしが奪ってしまったら? ついでに母親の女も始末してしまえば、聖女の力は失われるはずですわ」

「ふむ……」


 確かにキンセンカの言うことには一理ある。

 聖女そのものを殺せなくとも、その力の源を奪えるのなら、聖女の弱体化は避けられないだろう。


「よかろう……。そこまで言うならキンセンカ、次はお前が行くといい。聖女の力の源である両親を、排除するのだ」

「おおせのままに」


 言って、キンセンカはうやうやしく首を垂れた。長いピンクブロンドが、さらりと肩から滑り落ちる。







「ママぁ~! まっしろできれいだねえ!」


 ――新雪の積もった王宮の庭。

 ふわふわのファー付きコートを着たアイが、真っ白な雪にブーツで足跡をつけながら楽しそうに駆け回っていた。その後ろでは首にリボンを巻いたショコラが、とてとてと、こちらもまた小さな足跡をつけて歩き回っている。


「転ばないよう、気を付けるのよ」


 ここしばらく、王都では来る日も来る日もずっと、雪の降る日が続いていた。

 今日になってようやく雪が止み、顔をのぞかせた太陽にアイはじっとしていられなくなったらしい。あたりの空気は冷たいものの、あたたかい日差しに誘われるようにして庭に飛び出てきたのだ。


 ふわふわの白いファーがついたコートは水色で、頭にお揃いの色のリボンをつけたアイは、まるで雪の妖精のよう。その後ろで跳ねまわっているショコラの黒い体も、思わず絵に描きたくなるほどよく雪に映えている。


 私はニコニコしながらその様子を見ていた。本当はスケッチブックが欲しいところだけれど、雪の中アイから目を離せないから今は我慢我慢……!


「しょこらのあしあと、にくきゅうのかたちしてる~!」


 アイがショコラの足跡を指さして、けたけたと笑った。そのほっぺとちいちゃなお鼻は林檎のように真っ赤になっているけれど、黒い瞳は活き活きと輝いている。

 雪が降っている間はずっと王宮の中で過ごしていたから、久しぶりの外遊びが楽しくてしょうがないのね。


 ――無事式典を終えた私たちは、至って平和に過ごしていた。


 マキウス王国の冬は凍えるような寒さと、この時期特有の魔物にも見舞われていたせいで、近年は厳しい冬越えを迫られてきていた。

 けれど今年はアイと、それからサクラ太后陛下の力も蘇ったおかげで、悲惨な魔物の話を聞くことはなかったの。

 それは王都から離れた村も同様で、新年を迎えた際には各地からアイ宛てに、感謝の贈り物まで届けられたほどよ。


「しょこらのなまえ、かいてあげるねえ。アイ、もじをおぼえたんだよ!」

「あお~ん」


 一方、平和をもたらした本人であるアイはそのことにはまるで気付かず、ショコラに向かって何やら喋っている。どこから拾ってきたのか、木の枝を使ってサクサクと雪の上に文字を書いていた。


 それを私は微笑ましい気持ちで見ていた。


 うん、上手!

 つづりも合っているし、さすが私のアイ。なんて賢い子なのかしら!


 王宮に引きこもっている間に、アイは少しずつ文字を習い始めていた。

 本当は最初、アイの年齢に合わせてゆっくり進める予定だったんだけれど、これまた驚いたことにアイったらすごく優秀なのよね。

 サッと全部の文字を覚えてしまったかと思うと、気付いたらショコラに絵本の読み聞かせまでするようになっていたの。


 猫であるショコラに向かって絵本を広げ、ゆっくりと読み聞かせるアイの姿を思い出して私はふふっと笑った。


 ショコラもショコラで、その場から離れることなくじっと聞いているものだから、まるで本当に聞いているみたいに見えるし、すごく可愛かったわ……。


 私が思い出していると、不意にふわりと肩にコートがかけられた。振り向くと、ユーリ様が心配そうな顔で私を見ている。


「まあ、ユーリ様ったらいつの間に? 全然気づきませんでしたわ」


 雪を踏みしめるザクッザクッという音ぐらい聞こえてきそうなものなのに、彼の静かな登場に私は目を丸くした。


「驚かせてしまってすまない。雪でも足音を消す癖がついているから……。それよりも、その服では寒いだろう?」


 とユーリ様は言っているけれど、私もしっかりアイとお揃いの水色のコートを羽織っているから全然平気だ。


「ユーリ様ったら、心配性ですわ。私にコートを貸してくれたせいで、ユーリ様が一番薄着になってしまっているじゃありませんか」

「大丈夫だ。私は寒さに強い」


 そう言ったまま、ユーリ様は私にかけたコートを取ろうとはしない。


「それよりエデリーン、今年の冬は平和だっただろう? 大臣たちから『数年ぶりに新年の祝賀会を開いてはどうか』という声が出ているんだ」


『新年の祝賀会』


 久しぶりに聞く単語に、私は目を輝かせた。


 十年前、まだ前国王陛下が健在でサクラ太后陛下との仲が良かった頃、王城では毎年、新年の祝賀会という名の舞踏会が開かれていたの。


 そこでは無事新年を迎えられたことを喜び、挨拶をすると同時に、家臣たちと各地の状況などの報告も受ける大事な場だったらしい。


 ここ十年は魔物が暴れまわっていたため、皆生きのびるのに必死だったけれど――。


「とてもいいですわね。祝賀会は、平和の象徴と言えますもの」


 私はにっこりと微笑んだ。

 新年の祝賀会は、通常の舞踏会同様夜に執り行われるが、開始直後の時間帯ならアイも参加できるはずだ。


 それならアイには、どんなドレスを着せようかしら!?


 天使に着せるドレスを想像して、私はワクワクした。

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