第59話 正直もう怒る気力もない ★――???

 暗くよどんだ空気のただよう冷たい玉座で、我はイライラしながら言った。


「おい。『聖女式典でどかんとやる』と言っていたのは貴様ではないのか? おい、アネモネ、聞いているのか!」


 ぶちぶちと血管が切れる音を聞きながら我は鏡に向かって怒鳴る。その中に映っているのは、人間どもに混じって一生懸命拍手しているアネモネの姿だ。その目はなんと涙ぐんでいる。まるで聖女の姿を見て、感動しているようではないか。信じられない姿に、我はめまいを感じた。


「返事をしたらどうなんだ! 聞こえているのだろう!? そもそも猫が拍手などするわけがないだろう!」


 最後のひとことで、アネモネがようやく思い出したように我の方を見た。


『見てくださいよ主さま! おちびったらあんなに立派になって……! めちゃくちゃ聖女っぽくないですか!? あれこそあたいが食べるにふさわしい聖女のあるべき姿ですよ!』

「お前は一体何目線で聖女を見ているのだ……? いやそれより、事故を起こすのではなかったのか事故を!」

『あっいけない忘れてました!』


 言うなり、アネモネがくるんと宙を回って姿を消す。その途端、人間たちの頭上にまがまがしい黒雲がもくもくと渦巻き始めた。


 ……ようやく魔物らしいことをしたか。


 はぁ、と疲れたため息を吐いた我の前で、うごめく黒雲がポツポツと雨を降らせる。ふむ、アネモネの得意な毒雨か?  我はその毒雨に苦しむ人間たちの姿を想像して、ようやく安堵のため息をついた。


 ……だが、待てども暮らせども、一向に悲鳴は聞こえてこない。それどころか、皆何かを手に取って掲げたり、喜んでいる者までいる。


「……アネモネ、一体どうなっておるのだ?」

『あっそうそう、主さま聞いてくださいよ! あたい、毒が得意だったんですけど、なぜかちび聖女といるうちに新しい能力に目覚めちゃったんですよね!』

「……新しい能力?」


 なぜだ。なぜこんなにも嫌な予感がするのだ。続きを聞きたくないと、本能が告げている。


『ハイ! 今あたいが降らせてるのがそうなんですけど、なんとこれ、めっちゃおいしい飴なんですよぉ! すごくないですか?』

「は?」


 思いっきりドスのきいた声で言ったつもりだったのが、アネモネはうきうきとした様子で続ける。


『いやこれもね、なんか毒と同じ要領で出せるんです。でも出したやつ、ぜーーーんぶ毒じゃなくて飴ちゃんになっちゃうんです! しかもめっちゃおいしい』


 何が楽しいのか、アネモネがぷーくすくすと笑いをこらえきれないと言った様子で言った。我はちっとも楽しくないが?


『なんか聖女のそばにいるとそういう影響でも受けるんですかね? しかも見てくださいよ、みんなあたいが作った飴をおいしいおいしいって言って食べてるんです。なんかこういうのも悪くないですよねえ……あたい、役に立ってる、みたいな? あっもちろん、主さまのところにも送りますから心配しないでくださいね!』

「そちらはまったく心配していないが?」


 こいつは何を言っているんだ? 口調にも全力で呆れをにじませたにもかかわらず、アネモネはまったく気にしていない。


『あっそれから! あたいのこと、今後は“アネモネ”じゃなくて“ショコラ”って呼んでもらっていいですかぁ!? 名前二個あるのもややこしいし、統一していこうかなって!』

「お前は何を言っているんだ?」


 こらえきれず真正面からぶつけたが、やっぱり効果はない。


『それじゃ、あたいはいったんあっちに集中しますねー! こんだけ人いると、飴ちゃん作る方も大変ですよ。あっ、もちろん主さまにも飴ちゃん、すぐ送りますんで!』


 言うなり、ブツッと音声が途切れる。瞬く間に鏡が黒く塗りつぶされ、辺りには静寂が広がった。


「……あいつめ!」


 我は怒りに任せて、尾をぶんぶんと振り回した。ドゴォン、ドゴォンと城が揺れ、パラパラと塵が降ってくる。

 そこへ、手に何かを持ったアイビーが歩いてくる。


「ショコラから届きましたよ。なかなかうまいです」


 その顔は無表情だったが、頬が膨らんでいる。恐らく、既にアネモネ……いや、ショコラの作った飴が入っているのだろう。


「お前……」


 もはや叱る気力もない。がっくりうなだれた我に、アイビーが手を伸ばした。


「ほら、主さまもどうぞ」

「むごっ……!」


 有無を言わさずアイビーが我の口に雫型の飴を突っ込んできた。こいつ、昔からときどき強引なんだよな……。


「む、むぐう……」


 小さな飴は、我の口には小さすぎる。

 ……だが、その不思議な甘酸っぱさは、確かになかなかおいしかった。


 飴を口の中でころころさせながら、我ははあ、と大きくため息をついた。

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