第58話 黒雲から降り注ぐのは……なにこれ?
ダダダッと、そばに控えていた数人の騎士たちが走り出す。下にいる騎士たちに伝達し、民たちを避難させるためだ。それを横目で確認したユーリさまが剣を抜く。
「君たちもすぐに室内に避難するんだ! もしかしたら、大群が襲ってくるかもしれない。その場合は地下の隠れ部屋に――」
ユーリさまがそう言ったときだった。
暗雲がぐねぐねと、まるで生き物のようにうねりはじめたのだ。それから皆の見ている前で、ポツ、ポツ、と雫を落とし始める。
「雨……!?」
「あれに触れたら、危ないのでは!?」
こんなに人が密集している場で、もし毒水が撒かれでもしたら。あるいは、人の肌を溶かすほどの酸だったら。恐ろしい想像に、私はサーッと青ざめた。
ところが、事態は私が予想していたものとは少し違った。
ビュウッと突風が吹いて、風に流された雫がバルコニーにも落ちて来たのだ。
けれどそれはぴちょんとバルコニーの床に吸い込まれるのではなく、カツン、という音を立てたのよ。
「……?」
私はかがんで、落ちて来た雫をまじまじと見た。
危ないから手では触らないけれど、雨粒の形をした透明なそれは、ところどころうっすらとピンクや青に染まり、なんとも可愛い……そう、可愛い色合いをしていたの。
「なんだこりゃ……飴か? 雨だけに」
そう言ったのは、近衛騎士としてそばに控えていたハロルドだ。
専属料理人兼近衛騎士でもある彼は、しれっとユーリさまのそばに近衛騎士として控えていたのよね。いつもぼさぼさの髪はちゃんと式典らしく整えられ、オールバックでぴしっと後ろに撫でつけられているから一瞬彼だとわからなかったわ。
「ちょ、ちょっと! 素手で触れたら危ないですわよ!?」
あんな、見るからにおどろおどろしい黒雲から出て来た代物なのだ。可愛い見た目でも、実は劇薬の可能性もある。
だと言うのにハロルドは、飴を掴んでくんくんと匂いを嗅いでいる。
「うーん。……やっぱり飴に見えるけど」
広場では、騎士たちが「触らないでください! 食べないでください!」と必死にあちこちで叫んでいるのが聞こえた。落ちて来た飴を食べるなんて! と思ったけれど、どうやら聖女式典の出し物だと思った人がいるらしい。
「い……一応、害はないようですが……」
汗をたらたらと流しながら、困り眉で言っていたのはホートリー大神官だ。
彼は水を掬うように、両手で落ちて来た飴(?)を両手で抱えており、手のひらの中がぽうっと白く光っていた。
周りに控えている神官たちも同じように手で飴を包み、白い光を発している。どうやら大神官の能力で、危ないかどうか調べられるらしい。……知らなかった、そんな便利な技を使えるなんてすごいわ。
「神官たちがそう言っているんなら大丈夫なんだろ。どれ」
言いながら、ハロルドがぽいっと口の中に飴を含んだ。
「あっ!」
なんて迂闊な……! と思ったけれど、同時に彼の反応もとても気になる。
私と、それからユーリさまの背中から顔をのぞかせたアイも、じいいいいっと食い入るように見つめる。
やがてもごもごと飴を味わったハロルドが、ぱっと目を輝かせていった。
「なんだこれ! うんめえな!!!」
「おいしいのか……?」
怪訝な顔をしているのはユーリさまだ。そりゃそうよ。普通、そういう表情になるわよ。
「いや、飴なんだけどさ、なんかいろんな味が混じっているんだよな。
舌で丹念に味わっているのだろう。そう言ったハロルドの顔は、完全に料理人のそれになっていた。
「すごいなこれ。こんなにいろんな味をひとつにまとめて、しかも全然喧嘩しないと来た。これはお子さまがめちゃくちゃ喜ぶやつじゃねえの?」
その言葉に、アイがごくりと唾を呑んでいる。……だ、だめだめ!!! 本っ当に、絶っ対に安全だってわかるまで、アイには食べさせられないわ!
「ふむ……本当にただの飴なのか?」
なんて言いながら、ユーリさまも砂を払った飴をぱくりと口に含んでしまった。
ああ! そもそも落ちた食べ物を拾って食べるなんて! 男性はそういうの気にしないのかしら!? それとも騎士の人たちだけ!?
「……確かにうまいな。こんなの初めて食べる」
ゆ、ユーリさままで! ああっ! 言葉に釣られて、アイの目が完全に飴にくぎ付けになっちゃっているじゃない!
「ユーリさま! アイが見ています!」
私が凄むと、ユーリさまがギクッとしたように身をこわばらせた。
「そ、そうだな。今のは迂闊だった」
「別にただのうまい飴だけど」
バキバキ、ゴリゴリッと飴をかみ砕きながらハロルドが言った。
「そうは言ったって、あんなに胡散臭い黒雲からでてきたものなのよ!?」
叫んで、私は空を指さした。空では相変わらず、黒雲がぐねぐねと動きながら飴をまき散らしている。
「まあ確かに胡散臭いし遅効性の毒って可能性もあるけど……」
なんて言っているけれど、その顔は全然警戒していない。私がうぐぐ……と唸っていると、黒雲を見ていたユーリさまが目を細めた。
「……なんだあれは? 猫の手か?」
「え?」
ユーリさまの言葉に、私が目を細めて黒雲を見る。……と言っても全然何も見えないけれど。
「誰か双眼鏡をエデリーンに」
その言葉に、侍従たちがバタバタと走って行く。それからしばらくして、息を切らした侍従が小さな双眼鏡を持ってきた。
私がそれを覗き込むと……ユーリさまの言う通り、ぐねぐねした黒雲の真ん中から小さな黒い猫の手が突き出していた。よく見えたわねあんなの……!
私が驚く前で、その小さな手がぐっぱ、ぐっぱと開くたびに、ぱらぱらと虹色の飴が降ってくる。
ちょっとまって、あの黒い毛並みに、ピンクの肉球……どっかで見覚えが……。
なにせ、よく見つけたと思うほど小さな手だったから、確信が持てない。私がさらによく見ようと手すりに乗り出したが、それとほぼ同時に手がヒュッと黒雲の中に引っ込んでしまう。途端に、パラパラ降り注いでいた飴も止んだ。
やがて私たちが見つめる前で、黒雲は最後に大きくぐねぐね動いたかと思うと、現れた時と同様、サァーッと目にもとまらぬ速さで散っていった。
残されたのは、何もなかったかのような凪いだ青空。
「い……今のは何だったの……?」
「さぁ? お天気飴だったんじねえの?」
「そんなわけないでしょうが!」
「もう一度飴の分析に当たらせるが、邪悪な気配があればすぐに神官らが察知するはず。だがそんな気配もない……。不思議だ、一体何が目的だったんだ……」
ユーリさまも神官たちも、皆が首をかしげていた。
さいわい民たちがパニックを起こすこともなく、式典自体はこのまま問題なく進行できそうだけれど……。
私がうーんと考えていると、すみっこに落ちていた飴を拾ったアイが、ぽつりと言った。
「……アメちゃん、くれたんだとおもうなあ……」
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