第56話 ここから見えるもの
マキウス王国で最も大きく、最も由緒あるウィンポール大聖堂で、アイの戴冠式は行われた。
国の名だたる貴族は全員参列し、その中にはもちろんサクラ太后や、私の両親である侯爵夫妻も参加している。周辺国の大使たちも、マキウス王国の新たな聖女を一目見ようと詰め掛けていた。
壇上の上に立つのは、大神官の正装に身を包んだホートリ―大神官。普段の穏やかさと打って変わり、いまはゆったりとした威厳をただよわせている。
私とユーリさまは、まるで花嫁の手を引く父親さながらに、アイと手を繋いで真っ赤な絨毯の上を歩く。それから壇上の前につくと立ち止まった。
ここから先は、聖女であるアイしか上がってはいけない。
引きずるほど長いマントをつけたアイが、おそるおそる緊張した面持ちでゆっくりと階段を上る。それから練習通りホートリ―大神官の前にひざまずいた。
そうそう……その調子よ!
私はハラハラしながら、固唾を呑んで見守っていた。社交界デビューする娘を見る母親って、こんな気持ちだったのかしら!?
ホートリー大神官はアイのために作られた特注の小さいティアラを天に掲げ、ゆっくりと女神への祝詞を捧げる。その声は不思議な響きを持って大聖堂内に広がり、聞く人の心を厳かな気持ちで満たした。
「異世界から降臨した少女アイ。そなたを、此度のマキウス王国の三十六代聖女と認定する」
その言葉とともに、小さなティアラがゆっくりとアイの頭に乗せられる。やがて顔を挙げたアイは、上気した頬で、ゆっくりと振り向いた。
――マキウス王国初となる、小さな聖女の誕生の瞬間だった。
アイは緊張しているものの、しゃんと背中を伸ばしてしっかり前を見据えていた。そのけなげな姿に、つい目元が潤んでしまう。私はあわてて目頭に力を入れてこらえてから、緊張しているアイに向かってにっこり微笑んだ。
よく頑張ったわね、アイ!
その気持ちが通じたのか、どこか硬さを残しながらアイが照れたように微笑んだ。
◇
戴冠式の後は、結婚パレードならぬ、お披露目パレードが待っている。いつもだったら王と王妃である聖女が屋根なし馬車に乗って街中を走るのだけど、今回は別よ。
私とユーリさま、それからもちろん真ん中にアイを乗せた三人でのお披露目パレードになっている。アイはまだ五歳だからあまり負担はかけないように、例年よりも短いコースでサクッと回る予定よ。
こんな風に街中を堂々と移動したことはなかったから、初めて見る景色にアイはきらきらと目を輝かせていた。そして私に促されたアイが手を振ると、旗を持った民衆が歓声をあげる。
「キャーッ!!! 聖女さまかわいい!」
「俺が守ってあげた~い!」
「かわいすぎてうっかり天に召されてしまうやもしれん……」
そんな声がちらほら聞こえてきて私は笑った。ふふっ、心の底から同意だわ。でも最後のおじいちゃんだけは健康に気を付けてね。
……それにしても、と私は改めて馬車の中から街を見渡した。
当然だけど、街の中にはたくさんの建物がある。たくさんの人がいる。
あそこは侯爵家でもよくお世話になった歴史ある仕立て屋さんだし、そっちにあるのは最近令嬢たちに人気のおいしいスウィーツ屋さん。他にも、私が行く機会はなかなかないけれど、果物屋に肉屋に小麦粉屋に、色んな店が立ち並んでいる。
そして街角に立って旗を振っているのは、それこそ老若男女含めたさまざまな人たちだ。
アイと同じくらいの小さな子どもから、希望にあふれている少年少女。赤ちゃんを抱っこしているお母さんに、働き盛りの男性た。そして若者にはまだまだ負けないという気概を感じさせるエネルギッシュな先輩方もいる。
ただの侯爵令嬢として生きていた時代、建物は当たり前の風景として通り過ぎるものだったし、街を歩く人たちの顔も気にしたことはない。けれど、この人たちこそ、王国が守るべき民なんだわ……。
お披露目パレードは文字通り、民衆に聖女を披露するためのパレードだけれど、同時に聖女や国王に“これがあなたたちの守るべき民”と自覚させる意味合いもあるかもしれないわね。
私は片手で、やんわりと隣に座るアイを抱き寄せた。
緊張に頬を上気させているアイには、まだそのことは理解できないだろう。けれどその重い責任はユーリさま、それから私のかわいいアイにこそ乗っかっている。
私は、民から見たらただのお飾りの王妃かもしれない。けれど、誰よりもふたりに近い私だからこそ、できることはきっとあるはずよ。ふたりが国民を守るというのなら、私がふたりを守りましょう。
そう強く心に決めて、私は小さな頭にキスを落とした。キャアア、とまた民衆から声があがった。
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