第55話 いよいよ聖女式典ね

 街中に張り巡らされた小さな旗が、晴れ渡った青空にはたはたと揺れる。青地に白で描かれているのはこの国の象徴である、神ベガとカーネーションの絵。あちこちでりんごん、りんごんと鳴っているのは鐘の音だ。教会から聖女に贈る、祝いの鐘だった。


 マキウス王国の人々が待ちわびた聖女式典が、まもなく始まろうとしている。


 そんな中、宮殿の控室で、礼服に身を包んだ私はズシャアとその場に崩れ落ちていた。


「あああ~~~……っ! 何回か試着しているのを見たことあったけれど、やっぱり本物の威力半端ない……!」


 嗚咽しながら、たまらず口元を押さえる。


 目の前には、白を基調にした聖女服を着たアイがしゃららんと立っていた。

 白い小さな帽子に、裾がふわっと広がる聖女服は清楚で可憐で、アイの聖女っぷりをこの上なく引き立てている。丁寧に編み込まれた髪はブラシで丁寧にとかしたかいがあって、つやつやのさらさら。緊張しているのか、おめめはうるうるとうるみ、頬はかすかに上気している。


 そのあまりの可愛さに、私は感極まって崩れ落ちてしまったのよ。


「だっ、だれか……! 私の絵具を持ってきてれないかしら!?」


 息も絶え絶えに手を伸ばすと、侍女のひとりがそっと歩み寄ってくる。


「王妃さま、お気を確かに。気持ちはわかりますが、まもなく本番ですよ! お召し物もしわになってしまいます」


 あっ、いけない。私も一応王妃として、なんだかありえないぐらい豪華なドレスを着ているのだった。これにしわをつけてしまうわけにはいかないわね。


 私は侍女の手を借りて、あわてて立ち上がった。それから名残惜しそうにアイを見つめた。


 ああ、いますぐこの瞬間を絵に収められたらいいのに! せめてスケッチ、スケッチだけでもいいから書かせてほしい!


 しかし私の願いはむなしく、当然誰もスケッチブックを持ってくることはなかった。ならばこの光景を焼き付けて後で絵にしようと、私はカッと目を見開いてアイを観察する。


 そんな私の奇行にも驚くことなく、とた、とた、といつもより慎重な足取りでアイがやってくる。聖女服が重たくていつもみたいに動けないのだろう。それから私を見上げて、にっこりと笑った。


「ママ、すっごくきれいだねぇ! おひめさまみたい!」


 ああああああ~~~!!!!!


 ズシャア。本日二回目。私はまたもやその場に崩れ落ちた。


「王妃さま!」


 いえ、無理でしょう。いまのはかわいすぎて無理。ドレスはしわになったかもしれないけど、かろうじて鼻血はこらえただけでもとても偉いと思うの。


 侍女たちに助けおこされながら私はくっと額を押さえた。


 まったく……お姫さまみたいなのはアイの方よ!!! あと天使で女神で聖女なのも全部アイよ! ああっ、これ以上アイのかわいらしさを表現する語彙力がなくてなんてもどかしいの……!


 そんな苦悩は押し隠し、私はアイを怖がらせないようにっこりと微笑んだ。


「ありがとう。アイもすっごく素敵よ。この国で一番、ううん世界一可愛いわ!」


 まったく嘘偽りのない言葉でほめたたえると、アイがえへへ、とはにかむ。


 その姿も愛らしいこと愛らしいこと……! こんなかわいい姿をこんな間近で見れる私、もしかして前世でとんでもない善行を積んだのではなくて?


 そうとしか思えない最高待遇に、私はそっと手を組んで女神さまに感謝をささげた。


 そうしているうちに、何人かの足音とともに控室の扉がガチャリと開いた。現れたのは、青の礼服に身を包んだユーリさまだ。服にはたくさんの紐飾りがつけられ、肩には白の外套が掛けられている。その姿は軍人王という名にふさわしく凛々しく、不覚にも私はドキッとしてしまった。


 やっぱり、礼服ってすごい。アイはもちろん、ユーリさままでいつもの五割増しでかっこよく見える気がする。それに彼って、立ち姿にも気品があるのよね……。農村で育ったと聞いたけれど、きっとお母さまの教育がよかったんだわ。


 入ってきたユーリさまは、歩きながら白の手袋をつけている。やや伏せられた瞳がどこか物憂げな色気をたたえていて、私は胸の鼓動を押さえて必死に平静を装った。


 それから手袋をつけ終えたユーリさまの眼差しが上げられ——次の瞬間、彼はドッとその場に膝をついた。


「ユーリさま!?」

「パパ!?」

「陛下!?」


 皆が青ざめいて一斉に駆け寄る。それを手で制しながら、ユーリさまが苦しそうにうめく。


「すまない、大丈夫だ。……アイのあまりの可愛さに一瞬意識を失いかけた」


 わかりますわ!!!


 言葉には出さなかったけれど、私にはすさまじくその気持ちがわかった。にっこり……と微笑むと、よく見れば周りの人たちもなまあたたかい笑みを浮かべている。


「アイの可愛さは尋常ではありませんものね。私も二回崩れ落ちました。もしかしたら民衆たちも崩れ落ちてしまうかもしれませんわね」


 私が頭の中で民衆から拍手喝采はくしゅかっさいを浴びるアイの姿を想像していると、ユーリさまが何かもごもごと言った。


「そ、それから……君も……すごく……美しい……」

「え? 何かおっしゃいまして?」


 残念ながらその声は小さくて、よく聞き取れなかったけれど。


「い、いや、何でもない」


 そこへ、さっきよりかはいくぶんか歩き方に慣れたらしいアイがやってきて、またもや必殺・天使スマイルを炸裂させた。


「パパ、すっごくかっこいいねえ!」


 横から見ていた私ですら、輝くような笑顔にまぶしさで目を覆ったのだ。一方直撃を受けたユーリさまは一瞬硬直し——それからブッと鼻血を噴き出した。


「わあ!」

「陛下!?」

「お召し物は無事か!?」


 人々の悲鳴があがる中、私はサッとハンカチを差し出した。淑女たるもの、常にハンカチは持っていないとね。……というのは建前で、私もいつ鼻血を出すかわからないからいつでもどこでも大量に隠し持っているのよ。


「みんな、何度も何度もすまない……」


 がっくりと肩を落とすユーリさまの腕に、私はそっと触れた。


「お気持ちわかりますわ。私も鼻血を出さないために、相当の鍛錬を積みましたもの」

「さすがエデリーンだな……。私はまだまだ修行が足りない」


 まるで長年の戦友であるかのように、私たちはうなずきあった。それからユーリさまが、「パパ、だいじょうぶ……?」と心配そうにおろおろしているアイの頭を撫でる。


「たいしたことじゃない、油断して鼻血が出てしまっただけだ。それより、聖女服とてもよく似合っているよ。アイは世界一のお姫さまだな」


 おひめさま、という単語にアイの頬がポッと染まる。

 ふふっ、ユーリさまも最近だいぶアイのことがわかってきたみたい。アイはどうやら、『聖女』よりも『お姫さま』って言われる方が好きみたいなのよ。


 ふたりで拍手しながらアイをほめちぎっていると、式典進行係が小走りでやってきてユーリさまに耳打ちする。どうやら順番がやってきたらしい。


「さ、ふたりとも行こう。まずはアイの戴冠式だ」


 ユーリさまが差し出した手に、アイの小さな手が乗せられる。それからもう片方の手に、私の手が繋がれる。


 三人でしっかり手を繋ぐと、私たちは踏み出した。

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