第51話 あたいは、魔物なのよ ◆――アネモネ(ショコラ)
もともとひどかったけれど、あたいが「家族」と認識されてから、おちびの“猫かわいがり”は文字通り加速した。
どこに行くにもあたいを抱えて連れまわし、隙あらばお腹に顔をうずめてくるのよね。まあ、と言いつつ、あたいは結構快適に過ごしていたんだけどさ。
「ショコラ、ごはんだよぉ」
おちびがにここしながら持ってきたのは、小皿に乗ったお肉だ。
最近は馬肉が猫のご飯として流行ってるみたいで、あたいもそれをもらったけどなかなかのお味なのよね。肉がトロッとしてるのに、くどくなくて食べやすいのよ。あ、でも一番はやっぱり牛よ。あたいは断然牛派なの。
そういえばこの前、大人の聖女から、“煮干し”とか言う小魚を干したやつももらってきたみたいで、あれも悪くなかったわね。ひとくちサイズだし、ぱりぱりの食感もおやつとしてぴったりだと思ったわ。
「ぶらっしんぐ、してあげるね!」
あたいがご飯を食べ終えると、今度はおちびが鼻息荒く言いながら獣毛ブラシであたいの背中を撫で始めた。これも以前は大人たちがしてくれていたのだけど、最近はおちびがやってくれているのよね~。覚えたばかりの単語が嬉しいらしくて、しょっちゅうブラッシング、ブラッシングって連呼してるから、あたいまで覚えちゃったわよ。
ソリソリソリ。硬い獣の毛が、ちょっと猫の舌と似ているのかしら? まるで母猫に毛づくろいされているみたいな感覚で、これも結構好きなのよね……。
「アイ、見て。ショコラがごろごろ言っているわ。きっと気持ちいいのね」
母親の女があたいを見て、にこにこしながら言った。
……ふ、ふん。確かにちょっと気持ちよくって喉なんか鳴らしちゃってるけど、あたいを可愛がりたいならそれなりに試練は受けてもらうわよ? ほら、これは耐えられるかしら? 必殺、抜け毛の刑よ!
……まあ意識的にそうしているわけではないのだけど、ブラッシングされるうちにほわほわと抜け出たあたいの毛に、おちびは叫んだ。
「わぷっ! ママ、ショコラのけがおくちにはいった~!」
「あら本当。おいで、とってあげる。それに顔の周りも服もすごいわ。後でお着替えしましょうね」
今度は猫の毛を取るためのブラシで、母親の女がアイの全身を掃いている。それから……。
「見て、ショコラの分身」
集めた毛を丸めて、母親の女は手のひらに転がした。そこには鶏の卵より少しだけ大きい、ほわほわの黒い毛玉ができていた。
「ショコラぼーるだ!」
そんな抜け毛の塊のどこがいいんだか。おちびはそれを嬉しそうに抱えている。
つついてみたり、においをかいでみたり。さんざん遊んだかと思うと、最後にはまたトタトタと駆け寄ってきて、あたいをぎゅっと抱きしめた。
「やっぱりほんもののショコラがいちばんいいねえ」
言いながらすりすりと頬ずりしてくる。……ふん、また顔が毛まみれになるわよ。
そう考えながら、あたいはちょっとだけ、この生活も悪くないななんて思っていた。
◆
……っていけない!!!
あたたかな日光の下、ちび聖女の隣でうとうととまどろみかけた時。あたいは思い出したようにぱちっと目を開けた。
可愛がられすぎてついほだされそうになっちゃったけど、こんなところで呑気に過ごしている場合じゃないのよ!
あたいは魔物。それも上位の魔物。人間界に絶望を振りまくことが普段の役目であるけれど、いまはその中でもさらに特別な任務、ちび聖女の抹殺を任されているのよ。
ちら、と隣でねむるおちびを見る。
ちび聖女は、朝から聖女服の試着やら当日の予行演習やらで引っ張りまわされていた。そのせいか、部屋に戻るなり、こてんと寝てしまったのだ。部屋に侍女や近衛騎士はいるものの、珍しく母親の女の姿はない。
あたいはそっと身を起こすと、ちび聖女を見下ろした。
ベッドに広がる黒髪は細く柔らかく、うっすら寝汗の浮かぶ顔はまあるくあどけない。まあ五歳だもの、完全に子どもよね。
あたいは手をのばして、ふくふくとふくらんだおちびのほっぺを押してみた。
ぷに、という感触とともに、どこまでも手が吸い込まれていく。そんなあたいには構わず、相変わらずおちびはすぴすぴと寝息を立てている。
……油断しきって、平和そのものって感じの顔ね……。
でも、悪いわね、おちび。
あんたに恨みはないけれど、あたいは魔物。あんたとは住む世界が違うのよ。
あたいは部屋の中を見渡して確認する。近衛騎士も侍女もしっかり部屋の中を見張っているけれど、誰もあたいには注意を向けていないようだった。
それを確認して、あたいは静かに枕元のベッドデスクに近づいた。そこにはおちび用の水差しがある。中身はレモン水だ。おちびは寝起きに、必ずこのレモン水を飲む習慣があるのだ。
近衛騎士たちの視線に気を配りつつ、あたいはその水差しにすっと尻尾を差し込んだ。たちまち、尻尾が小さな蛇へと形を変える。その蛇の牙から、ぽちゃん、と一滴の雫が水差しに落ちる。
それを確認すると、あたいはすぐにまたおちびの元に戻った。一瞬のことだったから、近衛騎士も侍女もあたいが何をやったのか気づいていない。
――あたいが入れたのは、無味無臭の毒だった。
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