第49話 ねっ、“パパ”

 チチチ、という鳥のさえずりに誘われて、私は目を開けた。

 カーテンの隙間からかすかに差し込む陽光に目を細めたところで、隣に寝ていたアイももぞりと動く。


 ふさふさのまつげに彩られたおめめがゆっくりと開き、まだどこか寝ぼけた顔で、アイがふにゃりと笑った。

 その笑顔は本当に嬉しそうで、見ている私の胸がきゅんっ……とする。ああ、こんな素敵な笑顔から始まる一日って、なんて素晴らしいのかしら!


 たまらず、私はアイの小さな頭にキスを落とした。それからやわらかな髪を優しく撫でる。


「おはよう、アイ」

「……おはよぉ、ママ」


 寝起きのふにゃふにゃした声も、たまらなく可愛いっ……!

 私は声には出さず、ぐっと幸せをかみしめた。この朝特有のとろりとした空気に満ちた、それでいてキラキラと輝く光景を、必ず絵に残さねば! と誓う。


 そして、いい目覚めと言えばもうひとつあった。


 ここ最近私を悩ませていた寝起きの倦怠感が、今日は全くなかったのよ。ぐっすり寝たあと特有の体の軽さに加えて、頭もすっきりしている。


 私は起き上がって、ぐぐっと背伸びをした。隣ではアイも真似して、「ぐぐ~」と言いながら一生懸命手を伸ばしている。その横でもうひとり、むくりと起き上がった人物がいた。


「……ふたりとも、おはよう」


 ユーリさまだ。


――そう、昨夜はついにユーリさまも一緒に寝たのよね。

 少しだけ気恥ずかしさもあったはずなのだけれど、横になった瞬間こてんと寝てしまって……気づいたら朝だったわ。


「ユーリさま、おはようございますわ。昨夜はよく眠れて……って、その顔はどうしたんですの!?」


 何気なくユーリさまを見て、私はぎょっとした。アイも声をあげる。


「おめめのした、まっくろ!」


 ユーリさまの目の下には、絵の具でも塗ったかのように黒いクマがくっきりと刻まれていた。心なしか目も充血しているし、雰囲気的に、どう見てもよく眠れた人の顔には見えない。


「まさか、私たち寝相悪かったですか!?」


 あわてて聞くと、ユーリさまが首を振った。


「君たちのせいではない。ただその……突然、夜通しでやらなければいけない仕事が舞い込んできてしまって、気付いたら寝る機会を逃していたというかなんというか」


 その声は珍しく歯切れが悪く、最後の方はぼそぼそとして聞こえにくい。


「まあ、そんな大変なお仕事が……!? そんな時に、添い寝をお願いしてしまって申し訳ありませんわ。無理せず、自分のお部屋で休んでいただくべきでしたわ……」


 私がしゅんとすると、ユーリさまは急いで手をぶんぶんと振った。


「いや! 決して! 君たちのせいではないんだ! むしろ呼んでくれ、毎日呼んでくれ。私もその……家族として、少しでも交流を持ちたいと思っているんだ」

「本当に大丈夫ですの……? 無理、されてませんか?」


 私がじっと見つめると、なぜか彼は赤面した。


「私は大丈夫だ。……だからとりあえず、ふ、服を着てくれないだろうか」


 服? ……ああ、まだ寝巻のままでしたものね。と言っても肌露出面積も少ない、ごくごく普通の寝間着なのですが……ユーリさまは、意外と照れ屋さんなのかしら?


 私が羽織りものを探している間に、ユーリさまはアイを見た。その顔に先ほどまでの焦りはなく、優しいおだやかな笑みが浮かんでいる。


「おはよう、アイ。昨日はよく眠れたか? 私は体が大きいから、邪魔になったりしなかっただろうか?」

「だいじょうぶ! アイ、いっぱいねたよ」


 そう言うアイの小さな頭を、ユーリさまの大きな手がくしゃりと撫でた。隣では猫のショコラがあくびをしながら、ながーく体を伸ばして背伸びしている。


「だから、だからねえ……」


 もじもじと手をいじりながら、アイがぽそりと言う。


「……パパ、きょうもいっしょにねてくれる?」


 その言葉に、私と、それからユーリさまも目を丸くした。


 いま、アイは“パパ”と言ったわよね!?


 アイ本人もその言葉の意味をわかっているらしく、照れを誤魔化すようにえへへと笑っている。


 ついに、ついにアイがユーリさまをパパと呼んだのね……!


 私は顔を輝かせて、ユーリさまの顔を見た。

 彼はしばし硬直していたかと思うと、その目にみるみる涙がたまっていく。


 ……あらっ!? ユーリさま、嬉しさのあまり、泣きそうになっているの!?


 驚いて言葉もなく見つめていると、彼はあわてて顔を背けた。


「もっもちろん、今日も一緒に寝よう。そのためには、早く仕事を片付けねばな……!」


 顔を背けているが、ズズッと鼻をすすった音を私は聞き逃さなかった。

 ユーリさまって、意外と感激屋さんなのね……? アイも気づいたらしく、心配そうに彼の顔を覗き込もうとしている。


「パパ、ないてるの……?」

「いやっ! 泣いてない、泣いてないぞ!」

「アイ、もしかしたら、目にゴミが入ったかもしれないわ。そうですわよね? 」 

「そう、ちょっと、ゴミが、入ってたんだ……ズッ」


 私がそっとフォローを入れると、ユーリさまはすぐさまうなずいた。まだ納得のいかなさそうなアイの肩に手を乗せて、私はくすくすと笑う。


「にゃーお」


 そこへ、とてとてとベッドの上を歩いてきたショコラが鳴く。まるで「そんなのはいいからさっさとご飯をちょうだい」と言っているようだ。私は笑いながら、侍女を呼ぶベルを鳴らした。

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