第46話 ねんねって、あのねんねよね?

「アイ、大丈夫? 痛いところや気持ち悪いところはない?」


 お風呂で綺麗に汚れを落とし、湯船に入って体をあっためたアイに私は問いかけた。

 いつもよりほんの少し熱めのお湯に入ったアイは頬を上気させ、ほかほかと頭から湯気を立てている。


「ママ、ごめんね。アイ、おいけにはいっちゃったの……」


 こんな時でも、自分のことより私のことを気にするアイのいじらしさに、私はぎゅっと胸を締め付けられた。苦しくない程度の力で抱き寄せると、アイが私の胸にぽすんと頭をもたれかける。


「……ひとりでお池に入るのは、とってもよくないことだわ」


 こくん、とアイがうなずく。


――最初に異変を察知したのはユーリさまだった。

 アイの姿がないことに気づいたユーリさまが突然走り出して、それに釣られるように私もやっと事態を把握したの。


 そのユーリさまが言うには、ショコラが池に落ちて、それを追いかけるようにアイが自ら池の中に飛び込んだのですって。幸い、すぐに気づいたおかげでアイもショコラも無事だったのだけれど……。


「ユーリさまが気付いていなかったら、アイもショコラも、ふたりともおぼれていたかもしれない。本当なら叱らなければいけないところだけど……アイはショコラを助けようとしてくれたのでしょう?」


 こくん、とアイがまたうなずく。


「それはとても立派なことよ。ママは今日、あなたの勇気を誇りに思うわ」


 そう言ってアイを見ると、彼女は泣きそうな顔で私を見上げていた。いけないことをしたという罪悪感と、それで怒られなかった安堵がないまぜになったような表情だ。私はまたぎゅっとアイを抱きしめた。


「今回は少し手段を間違えてしまったけれど、次からは、ママやユーリさまや、他の誰でもいいから、大人を呼んでね。私たちはきっと、あなたの助けになるから」


 こくんとアイがうなずいて、胸に顔をうずめてくる。その小さな頭を愛おしく抱えながら、私は優しく撫でた。そばでは、お湯で泥汚れを落としたショコラが、我関せずと言った顔でそりそりと毛づくろいをしている。


「……そういえばね、アイの集めた葉っぱ、侍女たちがちゃんと持って帰ってきてくれたのよ。今度それを使って絵を描きましょうか」


 その言葉に、ようやくアイに笑顔が戻った。


「うんっ!」


 同時にタイミングよく、こんこんとノックの音がしてユーリさまが入ってくる。


「アイ、大丈夫か?」


 心配そうな顔のユーリさまに、アイがもじもじとして、また私の胸に顔をうずめた。今度は、ユーリさまに怒られると思ったのかもしれない。


 けれど彼は、そばにやってくると、優しくアイの頭を撫でただけだった。


「立派だったな」


 口数は少なかったけれど、その分、ユーリさまが本心で思っていることがわかる言葉だった。アイが顔を上げて、うるうるとユーリさまを見ている。


 そんなアイの頭を、またぽんぽんとユーリさまが撫でる。


「今日はもうゆっくりするといい。ハロルドに、何かおいしいものを持ってこさせよう」


 その後、私たちは部屋の中でささやかな、ピクニックの続きを楽しんだ。「疲れた時にはやっぱ甘い物が一番だろう」というハロルドお手製のケーキやプリンに、アイがふるふるとほっぺを押さえて身を震わせる。


「あっ、ダメよショコラ」


 私はあわてて、クリームを舐めようとしていたショコラを止めた。


 最近気づいたのだけれど、この子何でも食べようとするのよね。シャケを取られた前科があるし、本当に油断大敵だわ。侍女の腕に捕まったショコラが「ニャオーン」と不満げな声を上げる。


「今度ハロルドにお願いして、猫用のケーキを作ってもらいましょうね」


 そうしているうちに、あっという間に夜がやってきた。さすがに疲れたのだろう。アイがこっくりこっくりと船をこいでいる。


「今日は少し早いけれど、もう寝ましょうか?」


 眠たくてぼんやりしているアイを着替えさせ、同じく私も寝巻に着替えて、私たちは布団にもぐり込んだ。そこへ我先にと滑り込んできたのは、猫のショコラ。最近は私とアイに挟まれて眠るのが、すっかりお気に入りみたい。


 そんなショコラを抱き枕代わりに抱きしめながら、アイがむにゃむにゃと言う。


「きょうねえ……アイをねえ……パパが……たすけてくれたんだよ」


 うんうんとアイの話に相槌を打ちながら、私はふと気づいた。


 あれっ? 今、“パパ”って言ったわよね?


 私が目を丸くしていると、アイもそのことに気づいたらしい。はっと目を見開いてから、あわてて照れたように言い直す。


「あのね、えっとね、……へーか」


 私は笑いながら首をかしげた。


「いいのよ、アイ。ユーリさまをパパって呼んでも」


 けれど、その言葉にまたアイの下唇が突き出される。


 ……えっ!? やっぱりだめなの!? なんで!?


 理由がさっぱりわからなくて、私は思い切って聞いてみることにした。


「嫌だったら言わなくていいんだけど、アイ。なんでユーリさまのこと、パパって呼びたくないの?」


 下唇が、どんどん突き出てくる。おまけにぷくぅ~と、ほっぺまで膨れ上がってきた。そ、そんなに? そこまで嫌?


 たっっっぷりの間を取ってから、アイがぼそりと言う。


「……だって、へーかは、いっしょにねんねしてくれないもん……」


 ねんね? ねんねって……夜寝ることよね? 思ってもいなかった言葉に私は目を丸くした。

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