第45話 はあ、また失敗したわ ◆――アネモネ(ショコラ)
ゆったりとしたランチタイムを終えて、人間たちがまた何やら始めるみたいね。
召使いたちはもちろんのこと、一番偉そうな男に母親の女、それに騎士たちまで何か顔を突き合わせて話している。運び込まれたのは……あの大きな白い板、何に使うのかしら? その隣では、おちびがひとり葉っぱを拾い集めていた。
その状況を見て、あたいはすぐにピンと来た。
いまこそ! 大人が見てないいまこそチャンスよ!
あたいは急いでおちびに近づいくと、ぐぐっと背を伸ばした。それから肉球で、ちょんちょんとおちび聖女のほっぺをつつく。
「ショコラ、どうしたの?」
おちびの注意がこっちに向いたのを確認して、あたいはここぞとばかりに森に向かってダッシュした。
「まってよぉ」
よしよし、狙い通り後ろからちび聖女がついてきている! それに、まだおちびとあたいに気づいている大人もいない。あたいは息をはずませた。
走って走って走って。土を踏みしめ葉を踏みしめ、木々をかき分けて現れたのは、澄んだ水の浮かぶ小さな池。けれど小さなといっても普通の池に比べればの話で、子どもなんてあっという間に沈んでしまうほどの深さも持っている。
ここにおちびを突き落とせば……。
あたいはごくりと唾を呑んだ。
「わあ、おいけだねえ。おみずがいっぱい」
あたいの目論見通り、池に気づいたおちびは水辺のそばにしゃがんで、水面を覗き込んでいる。その小さな背中は、あたいがわざわざ真の姿に戻らなくても、体当たりすれば簡単に転がり落ちてしまえるほど頼りない。
悪いわね、おちび。あたいは魔物。血も涙もない魔物なのよ。恨むのなら、あんたの生まれを恨むことね。
あたいはスッ……と音もなくおちびの後ろに立った。
それから、全速力で走り、ちび聖女めがけて体当たりする。
ドンッ! ……という音を予測していたのだけれど、それはなぜか聞こえず。
あれっ? どういうこと?
「でもねえ、おいけはあぶないって、ママがいってたんだよ」
と言いながら、おちびは意識してか知らずか、身をひるがえしてひらりとあたいの体当たりをかわしていた。
えっ? うそ? 体当たりする相手がいなくなっちゃったってことは、あたいは……?
おそるおそる下を見ると、透き通った水面に、目を真ん丸にしたアホ面の黒猫が映っていた。……ってこれもしかしてあたい!?
まって! これすっごいまずいやつ!
あわてて手を掻いてみても、爪はむなしく宙を空振りするだけ。
――そして。
バッシャン。
世にも無情な音とともに、あたいは池の中に落ちた。
「ビバブッ! ガボバッ!」
まってまってまって! あたい、泳げないのよ! だって猫だから! 獅子って言ったって、体の大きい猫だから!
あたいが必死にもがいていると、青ざめたおちびが叫んでいるのが見えた。
「しょこらっ!!!」
だれか! おとな! 誰か大人を呼んできてぇ!
そう言いたかったけど、あたいは沈まないようにばちゃばちゃするのに必死で、叫ぶ余裕はなかった。
そんなあたいの前で、おちびが何か決意した顔をしている。えっ、何考えてるのこの子。まさか……!
「まっててね! いま、アイがたすけてあげる!」
すうっ! と大きく息を吸ったおちびが、ドボン! と池に飛び込む。
えっ!? あんた大丈夫なの!? ていうかもしかして泳げるの!?
けれどあたいの期待とは裏腹に、おちびはその場であたいと同じく、沈まないようにばちゃばちゃしているだけだった。あっこれ全然だめなやつだ。
どーするのよ!? ふたりしておぼれそうになっちゃってるじゃない! ……って、おちびはそれでいい、のよね……? 元々、それがあたいの目的だものね……?
考え事をしていたら、うっかりもがく手を止めてしまった。体がすぅっと沈み始める。わっわっわっ! これはやばい! あたい、まだ死にたくない!
「アイッ!」
――その時だった。あたいたちの上に影が降ってきたかと思うと、大きな手がおちびとあたいを抱え上げる。
「大丈夫か!?」
手の主は、先ほど座っていたやたら背の高い男だった。服が濡れるのも構わずざぶざぶと池に入ってきたらしい。……と言っても男には浅い池だったみたいで、腰ぐらいまでしか浸かっていない。
「アイ!」
続いて聞こえた悲鳴のような女の声は母親の声だろう。濡れ鼠のようにぐしょぬれになり、だらりと手にぶらさがったあたいには、その姿を見る元気もなかった。
「誰か毛布を!」
人間たちの慌ただしい足音が聞こえる。
やがてあたいとおちびは、ふたりして毛布にくるまれると、その日はそのまま王宮へと帰って行った。
……はあ、また失敗したわ。
あたいはかごの中で毛布にくるまれながらため息をついた。
まさか、男があんなに早くやってくるなんて。まあおかげで、あたいは助かったんだけど。
それからちらりと毛布にくるまって寝るおちびの顔を見る。
……あの子、あたいを助けようとしてくれたのよね。全然泳げないくせに。
『まっててね! いま、アイがたすけてあげる!』
脳裏に響く、おちびの声。それはなぜか、ずっと頭の中に残って離れなかった。
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