第40話 思っていた以上に自分で嫌だったのかしら

 朝食の時間。私の隣ではアイが、お気に入りの白パンにはむはむとかぶりついていた。

 特に味付けのしていないシンプルなパンなのだけど、そのふかふか具合がお気に入りみたいで、毎朝欠かせないものになっているわ。ちなみにこれを作っているのも、今もすました顔で近くに立っているハロルドだったりするのよね。


「ふわぁあ……」


 それを見ているうちに、思わずあくびが漏れてきてしまう。私はあわてて手で隠したけれど、そばに座るユーリさまがめざとくそれに気づく。


「君があくびなんて珍しいな。昨夜はよく眠れなかったのか?」

「あの、はい……。実は変な夢を見てしまって」


 私は白状した。


「夢?」

「ええ。自分でも笑っちゃうのですが、夢の中で私は熊になっているんです。それから目の前にアイを狙う獅子がいて、私は命にかえてでもアイを守らないと! って思いながら獅子と戦う夢で……」


 そう言った瞬間、視界の端に黒い何かが映った。

 目をやると、アイと私の足元で朝ごはんのミルクを飲んでいた黒猫のショコラが、ビィン! と尻尾を伸ばしている。その尾はねこじゃらしみたいにボワッと膨らみ、目はカッと見開かれていた。


 ……この反応、まさかネズミでも出たのかしら? 私はそっとテーブルの下を覗いてみたけれど、それらしいものはない。そうよね、この綺麗な王宮にネズミが出るわけがないわ。


 顔を上げると、私の話を聞いていたユーリさまが考え込んでいた。


「それは変わった夢だな。……何か、嫌なことでもあったのか?」


 聞かれて私はあいまいに微笑んでみせる。


 昨日と言えばショコラとマクシミリアンさまのふたりのこと。ショコラはともかく、もしかして自分で思ってた以上にマクシミリアンさまが嫌だったのかしら? あんな変な夢を見てしまうぐらいなんだもの。


 けれど、私はマクシミリアンさまのことを話そうと言う気にはならなかった。

 私にとって彼は完全に過去の人。いつかユーリさまに取り次ぐ可能性があるとは言え、少なくともいまは言いたくない。楽しい話題じゃないもの。


「……いえ、きっとただの夢ですわ。それよりユーリさま、新人を紹介させてくださいませ」

「新人?」


 私は、そばでまだピーンと尻尾を立てている黒猫を抱え上げた。


「今、飼い主がいないか探している最中なのですが……もし見つからなかったら、王宮で飼いたいと思っているんです」

「あのねっあのねっ! ショコラっていうんだよ!」

「にゃーん」


 パンを手にもったまま、アイが嬉しそうに言った。そこへ、ショコラがまるで返事をするようにタイミングよく鳴く。ユーリさまが目を丸くした。


「猫か」

「……もしかして、猫はお嫌いでした?」


 しまった。勢いで決めてしまったけど、ユーリさまの好き嫌いを確認しそびれてしまったわ。難色を示されたら、どうしましょう?


 けれどそれは私の杞憂のようだった。ユーリさまが穏やかに微笑む。


「いや、いいと思う。動物と触れ合うのはよいことだ。王宮にはまだ子どもが少ないし、良き友になれることを願う」


 ほっ。私は安堵した。これであとは、飼い主がいるかどうか確認するだけね。

 昨夜、アイには飼い主がいた場合はきちんと諦めることをよーく言い聞かせたけれど、本音を言うなら、私もこの子をお迎えできるのが一番だと思っているのよね。


「あっ、あっ! だめぇ、ねこちゃんだめだよう! これはアイのだよぉ!」


 そうしているうちにアイの悲鳴が上がる。

 見れば、私の膝に乗っていたはずのショコラは、アイの隣に移動していた。それからながーく体と手を伸ばして、アイの白パンをちょいちょいとツメでひっかけて食べようとしている。


「あっこら、だめよ。猫がパンを食べたらお腹を壊しちゃう。あなたはこっちね」


 言いながら、私はハロルドに頼んで用意してもらったゆでささみの小皿を差し出した。

 途端、ショコラの目がフッと細められる。それはまるで「しょうがないなあ」と言っている表情に見えて……なんだか不満げ? 猫って、そんな顔をするの?


 私が首をかしげる前で、ショコラは何もなかったかのようにガツガツとささみを食べ始める。よかった。味はちゃんとおいしいみたい……ってあら?


 あることに気づいて、私は顔をぐっとショコラに近づけた。

 昨日は気づかなかったけれど、よく見たらおしりのところ、細かな葉っぱや泥がついて、意外と汚れているわね? もしノミでもいて、アイが刺されたら大変! これは一度洗った方がよさそうね。病気がないか、お医者さんにも見てもらわなくちゃ。


 そうと決まれば、私は早速三侍女たちにお願いして、ショコラをお風呂に入れてもらうことにした。


 本当はそのままお風呂が終わるまでのんびりと待っているつもりだったけれど、アイが「あらうのみたい!」と瞳を輝かせたの。そんなアイのお願いを私が断れるはずもなく、予定を変更して浴室に踏み入れると――。


「キャーーーッ!」

「そっちいったわよ! 捕まえて!」

「無理よ! 引っかかれるわ!!!」


 びしょぬれになって阿鼻叫喚している三侍女たちと、浴室内を縦横無尽にかけまわる黒モップの姿が目に飛び込んできて、私は目を丸くした。

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