第37話 なんか思ってたんと違うわね

「アイッ! 大丈夫!?」


 私はあわてて駆け寄った。

 私に気づいた猫が、くるんと後ろに宙がえりして軽やかに着地する。金の瞳がキラキラと光る、どこか妖しさのただよう美しい黒猫だった。


「はっぱをさがしてたらね、ねこちゃんがとつぜんじゃんぷしてきたの」


 抱き起こされたアイは、まだけたけたと笑っている。よっぽどおもしろかったらしい。


 そんなアイとは正反対に、私は警戒しながら黒猫を見た。


 黒色は、人間であれば王族や聖女など、高貴な色として浸透している。けれど同時に、魔物を象徴する色でもあった。マキウス王国、いいえ、大陸に現れる魔物のほとんどが、黒い色をしているのよ。


 高貴であり、畏怖の対象。それがマキウス王国にとっての黒色だった。


 最近はアイのおかげで魔物の数は激減していて、特に王都付近では全く見かけなくなったとは言え、油断は禁物だわ。


 私が品定めするようにじっと見つめる前で、黒猫は人懐っこそうに鳴き声を上げた。


「みゃ~お」

「ねこちゃんおいでぇ」


 アイが嬉しそうに両手を広げる。なおも警戒して見つめる私を前に、黒猫は優雅な足取りで一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。それからアイの小さなおててに、すり、と顔をこすりつけた。……うん、懐っこいわね。


「ねこちゃん、かわい~!」


 嬉しくなったアイが、ガシッと両手で猫を掴みにいく。あっ危ないわ!


「アイ、猫ちゃんは優しく触ってねっ!」


 私はあわてて駆け寄った。本当にただの猫であっても、突然掴まれたら動物だってびっくりしちゃう。万が一アイが引っかかれでもしたら……!


 けれど私の心配をよそに、黒猫は迷惑そうに目を細めただけだった。それどころかくてっと体の力を抜いて、その場に寝転がってしまったのだ。まるで撫でろと言わんばかりの無警戒っぷりに、私は目を丸くする。


「あれえ? ねこちゃんねんねするの?」

「これは……もしかして撫でて欲しいのかしら? 一緒に優しく撫でてみよっか?」

「うん!」

「お腹は嫌がるかもしれないから、こうやって、背中を優しく撫でるのよ」


 言いながら、私はアイにお手本を見せた。寝転がっている黒猫の背中を撫でると、猫がまんざらでもなさそうな顔でついと鼻先を上げる。


 次に私が見守る中、アイが小さなおててをそぉーっと伸ばして、ぽふぽふと猫の背中を叩くようにして撫でた。猫はふんふんとアイの匂いを嗅いで、またふいっと顔を戻す。それは「うむ、苦しうない」と言っているようにも見えて、私は笑いを漏らした。

 それを察知したアイも、くるっと振り向く。その瞳には「これであってるかなあ?」と書かれている。


「そうそう、上手よ。猫ちゃんを触るときは優しく、やさーしくね」


 私とアイが撫でているうちに、黒猫がゴロゴロと喉を鳴らし始めた。その様子はとても自然で、怪しい所は全然ない。私は改めて黒猫をじっと見た。


 懐っこいし、毛並みはつやつやでよく手入れされているし、首輪はないけどもしかしたらどこかで飼われていた猫かもしれないわね。周辺で探している人はいないか聞き込みはするとして……ただの、人懐っこい猫なのかしら?


 そもそも、王都は今アイに加え、力を取り戻したサクラ陛下の力も発揮されている。力の弱い魔物なら触れただけで浄化されると聞いたことがあるもの。人間に懐っこい魔物というのも聞いたことがないし……私の心配のしすぎかもしれないわね。


「きゃははっ! くすぐったあい」


 見れば黒猫が、アイのおててをそりそりと舐めていた。ざらざらの舌の感触に、アイが笑い転げる。

 その光景は思わず物騒なことを全て忘れてしまうほどほのぼのとして、可愛らしい構図だった。……うん、子どもと猫の組み合わせ、最高ね……! ずっと見ていたいし、今すぐキャンバスを持ってきたいわ!


 だからアイがこう言い出したときも、私はちっとも驚かなかった。


「ねえママ、このねこちゃん、おうちにつれてってもいい?」


 だらーんと縦に伸びた黒猫を抱っこしながら、アイがうるうるとした上目遣いで私を見上げてくる。


 待って待って待って。そんな可愛いお願いの仕方、どこで覚えたの? 私は教えた覚えないわよ……!? くぅっ、かわいい……!


 たら……と鼻の方でよからぬ気配がする。私はあわててハンカチで鼻を押さえた。予備のハンカチ、あったかしら? この勢いだとすぐに鼻血が染みてきてしまうわ……!


「そうね。飼い主を探して、もし見つからなかったら、その時は飼いましょうか。でも、飼い主が見つかったらちゃんと返しましょうね?」


 本当はもう少し大きくなってから犬を飼うのもいいかな、と思ったのだけれど、これも何かのご縁かもしれない。我が家でも幼い頃にふわふわの猫を飼っていたことがあるのだけれど、ずっと私の良き友であったもの。


 かつて一緒に暮らした老猫のことを思い出して、私は懐かしくなった。我が家にいた猫はもっと気性が激しくて私は何度も引っかかれたものだけれど、それでもあの子と過ごした毎日はかけがえのない日々だった。


「やったあああ!」


 アイがぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶ。その拍子に、抱えていた猫がずるりと滑り落ちた。


「わっとと……」


 アイがあわてて抱え直す。それからキラキラとした目で、私の方を向いた。


「アイね、アイねえ、もう、ねこちゃんの名前決めたの!」

「まあ、もう? 早いわね。どんな名前なの?」

「あのねっ、あのねっ」


 アイの目がきらりと光る。


「シャイニーミルキィアクアハッピーサニーブロッサムマジカルリーチェショコラってなまえにするの!」


――うん。なんか、思ってたよりだいぶ長いわね。


 私はニコッ……と微笑んだ。

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