第36話 小さい子って油断すると、すぐに見失うわよね……

 サクラ陛下の式典参加が決まったことで、王宮の中はにわかに活気づいていた。遅れていた分を取り戻そうと、急速に準備が進められていく。


 アイはもちろんのこと、国王であるユーリさまや私の分も衣装を用意しなければいけないため、連日私たちはひっぱりまわされていた。その忙しさは、アイの可愛らしい姿を絵に残す暇もないほど。


 そんな中でようやく一息つけたのは、サクラ陛下がお茶に誘ってくれたからだった。


 収穫祭を控えた秋のうららかな日の下で、私たちは庭でこじんまりとしたお茶会を開いていた。白い丸テーブルに載るのは大きな白いお皿。そこには葉っぱを巻かれた、ピンクの丸いお菓子が鎮座している。


「わぁっ! これ、ぴんくいろのぼたもちだねぇ~」


 アイが小さなおててで、葉っぱに包まれたピンク色のぼたもちを掲げあげ、嬉しそうに叫ぶ。


「ふふっ、それはよく似ているけれど、“桜餅”と言うのよ」

「さくらもち?」


 サクラ陛下が穏やかに笑う。その隣では、珍しく紳士らしく……いや、騎士らしくというべきかしら? ぴしっと背を伸ばしたハロルドが「ふふん」と言いたげな顔で立っている。


 実は先日、サクラ陛下に「ぼたもちを作った料理人を紹介して欲しい」と言われてハロルドを引き合わせたのよ。この様子を見るに、彼はどうやらサクラ陛下の願いをかなえたみたいね。


 私は桜餅の葉っぱをめくり、アイに差し出した。すぐさま尖ったお口が、はむっとかぶりつく。小さな歯型の残る桜餅の断面からは、ぼたもちの表面を覆っていたあんこが覗いていた。


 へえ、桜餅は中にあんこが入って、ちょうどぼたもちとは逆なのね……! それに、綺麗なピンク色で見た目も楽しいわ。


「これもおいし~ねえ。アイ、あんこすきだよ」


 ぷっくりとリスのようにほっぺを膨らませながら、アイは言った。

 本当ならほっぺに食べ物を詰め込んじゃいけません、と教えなければいけないのだけれど……ああっ、私には荷が重いわ! だって可愛すぎるんだもの! 淑女教育は、もう少し大人のレディになってからにしようと私は密かに決めた。今は思い切り食べることを楽しんでほしいもの。


 アイのほっぺについたあんこを拭いながら、私も桜餅をひとくち食べる。葉っぱを巻いていたからかしら? ぼたもちとは違う、少し塩気も感じるさっぱりとした甘さに頬が緩んだ。


「本当においしいですわ。これも、サクラ陛下の故郷のお味なんですのね」

「そうね。あちらと全く同じ……というわけにはいかないけれど、こちらの世界にも小豆やもち米とよく似たような食べ物があって本当に助かったわ」


 そう言ってサクラ陛下は嬉しそうに微笑んだ。


 うんうん、食べ物は生きていくために日々欠かせないもの。少しでも心満たすものを食べて、毎日楽しく生きられるならそれが最高よね。


「ねえ、なべのおじちゃん、このはっぱなあに?」


 アイが、桜餅を巻いていた葉っぱを掲げた。ここぞとばかりにハロルドが身を乗り出す。


「それは桜の葉っぱを塩漬けにしたものだ。それを巻くと桜の香りが移るし長持ちする。あと俺はなべじゃねぇしおじちゃんでもねぇ」

「さくらのかおり?」


 アイが言ったその時だった。

 ひゅうっと風が吹いて、持っていた葉っぱが飛ばされる。


「あっ! アイのはっぱ!」


 ぴょこんとアイが椅子から飛び降りて、あわてて葉っぱを追いかけていく。かと思うと、あっという間に生垣の向こうへ姿を消した。この庭は生垣で区切られていて、後ろは違う庭園に繋がっているのよ。アイはまだ体が小さいから、生垣の隙間をするりと通り抜けてしまったみたい。


 護衛騎士である双子騎士のオリバーとジェームズが、あわててそのあとを追いかける。が、生垣の隙間は彼らには小さすぎたようだ。


「まわれ! まわれ!」

「あっちならこの裏側に通じている!」


 あわてて方向を変えた彼らを、私はハラハラしながら見ていた。王宮内は安全とは言え、あんな小さな子を見失うのはやはり怖いものがある。

 私だったら彼らよりは体が小さいし、隙間からアイの安全だけでも確認できないかしら?


 私が立ち上がった瞬間だった。


「わあぁぁっ!」


 生垣の向こうから、小さな叫び声があがる。――まぎれもなく、アイの声だ。


 私は血相を変えて走り出した。それから生垣の隙間めがけて、無理矢理体をねじ込ませる。バキバキとかビリビリとか、不穏な音が聞こえるけどそんなことを気にしている余裕はないわ!


「アイ!!!」


 転げるようにして生垣の間を抜けると、私はがばっと顔を上げた。心臓がドクドクと鳴っている。


 そんな私の前に広がっていたのは――仰向けに寝転がり、すらりとした黒猫に胸を踏みつけられたアイの姿だった。


「ねこちゃんやめて! くすぐったいよう!」


 きゃはきゃはと、アイが笑いながら言った。

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