第34話 神さん、どうかあの子たちをよろしくお願いします ◆――園子

 ……あたしは、そのことを誰にも言えなかった。いや、言わなかった。


 桜ちゃんの両親であるおじさんやおばさんが、町の人や警察に詰め寄られている時も何も言わなかった。誰からも相手にしてもらえなくなった彼らが、毎日こそこそと隠れるように生きているのを目にしても、何も言わなかった。やがて彼らが孤独のうちに亡くなり無縁仏となっても、やっぱり何も言わなかった。


 あの人たちに良心があるのかは知らないが、あの世でも苦しめばいいと思ったんだ。桜ちゃんを搾取し、苦しませ続けた彼らに慈悲を与えるほど、あたしはお人よしじゃないのさ。


 桜ちゃんを包んだ輝くような白い光は、きっと神隠しの光だ。神さんなんか信じちゃいなかったが、それからは欠かさず近くの神社にお参りするようになった。


 神さん、どうか桜ちゃんをよろしくお願いします、って。


 あたしは熱心に何度も何度も祈った。

 だって、人生は長い。向こうで桜ちゃんがどうしているかは知らないが、幸せなことばかりではないだろう。あたしだって色々あった。

 愛人を作って出て行った元旦那に激怒し、自分のふがいなさに唇を噛み、悲しさと悔しさにむせび泣く。生きてりゃそんな日もあるだろう。もしかしたら長く続くかもしれない。


 それでもあたしは、桜ちゃんに生きていてほしいと思っている。

 これはあたしの“えごいずむ”ってやつなんだけどさ、好きな人には生きててほしいんだよ。生きていれば、もしかしたらいいことがあるかもしれないじゃないか。そしていつか、もう一度あの素敵な笑顔で笑って欲しいんだ。あたしは、人生にそれくらいの希望を持っていたいんだよ。


「おばあちゃんだ! おばあちゃん今日からずっと一緒なの!? じゃあいっぱい遊んでくれる!?」

「ねえ、ばあばぁ。ぼたもち作ってよぉ。ぼたもち食べたいのぉ」


 孫の坊主たちが、じゃれつくように腰にまとわりつく。飛び跳ねる様はころころとして、まるで子犬のようだ。目の前の、ひたすら愛されて育った幸福な子どもたちの目に、怯えや疑心はない。


 この子たちはきっとぶたれる痛みも、腹をすかせるひもじさも知らないのだろう。だが、それでいい。たくさん愛されて、挫折や痛みを経験しながら大人になって、そして今度は誰かを愛する側に回れば、それで十分なのさ。


「はいはい。作るなら材料を買ってこんとね。でもまずは、ばあばに一休みさせておくれ」


 言いながら、やわらかな髪に指を絡ませる。上の孫は五歳、ちょうどあの子と同じぐらいだ。


 ……あの子も、どこかで元気にしておればええのになあ……。


 そう思った次の瞬間、びゅうっと突風が吹いた。


 『――やっぱりもちもち、おいしいねえ』


 あたしは目を見開いた。

 空耳にしては、やけにはっきりとした声。頭はしゃんとしているつもりだが、もしかしてもうぼけが始まってしまったのかい?


「さむーい!」

「風邪引くぞー! みんな早く家入れぇー!」


 父親の声に、転がるようにして孫たちがあたたかい家の中に逃げていく。そのちんまい姿を見ながら、あたしは最後にもう一度空を見上げた。


 真冬の中、あるはずもない桜の花びらが、ふわりとあたしの手の平に舞い降りてくる。


 ……桜ちゃん。もしかして、あのお嬢ちゃんは、桜ちゃんのところにいるのかい……?


 あたしはぎゅっと手を握った。夢でもぼけでもなんでもいい。ただあの子たちが幸せになっていれば、それでいい。











――ずるり、べちゃっ、ずるり。


 重い体を引きずって、我は冷たい石床の上を這う。


 それから、淡く白い光を放ちながら宙に浮かぶ鏡に向かって、ビュッと手を振った。飛び散った粘液が周りの壁や床を焼くシュウシュウという音を立てるが、鏡は全く変わらぬ姿のまま宙に浮かんでいる。


 ええい、腹立たしい!


 カッとなった我は、手当たり次第暴れた。強酸性の粘液をあちこちに振りまきながら、ドォォン、ドォォンと巨体が城の広間を揺らす。

 けれど鋭く尖った爪でひっかこうとも、太く重い尾で殴りつけようとも、鏡には泥ひとつつくことはない。ただひたすら汚れを知らぬ聖女のように、すました顔で鎮座している。


あるじさま。あまり暴れると、お体に毒です」


 我がはぁはぁと肩で息をしていると、いつの間に現れたのか、そばにアイビーが現れた。

 最近、何をどう気に入ったのか、アイビーは若い人間の男の姿をしていることが多い。黒い髪に紫の目。全身を包む黒い服は……こやつ、執事ごっこでもしたいのか?


 我のじっとりした視線にもアイビーは一切動じない。仮面を貼り付けたような無表情のまま、ただ紫の目だけがじっと我を見つめてくる。……気味の悪い奴だ。


 我はイライラした。

 ここの所、ただでさえちび聖女の輝きが増して目障りだというのに、それどころか長らく力を失っていたはずの聖女まで、再び光を発するようになってしまったのだ。


 奴らの輝きは、そのまま我の苛立ちに繋がった。


 我は絶望を食らって強大になる。魔物どもが人間界になだれ込み、各地で絶望を振りまくことで、我の荒れ狂った心はようやく鎮まるのだ。それなのに、長らく続いた静かでほの暗い我の安寧を、奴らは壊そうとしていた。


 そんなことは、させてなるものか。


「――おい、アネモネ! アネモネはおらぬのか!」


 我が叫ぶと、冷えた空間にちりん、と鈴の音が響いた。

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