第22話 濃厚ザッハトルテもいけるおくち

 即座に返されて私はハッとした。


 た、確かに、『すべての苦悩と罪を洗い流す女神の娘兼この世に舞い降りたけがれなき純白の大天使アイ第一王女さま』は少し長かったかもしれないわね……私としたことが色々思いがほとばしってしまったわ。


「コホン……では省略して『この世に舞い降りたけがれ――』」

「エデリーン、そこは『アイ王女』だけでどうだろうか」


 ユーリさまがそっと私を止めた。

 よく見れば、周りでは大神官も侍女も騎士も、みながニッコリ……とした顔でこちらを見ている。私はあわてて言った。


「ま、まあ、ユーリさまがそれでいいと言うならいいですけれど……。それにしてもユーリさまはこの方と随分親しいんですのね?」


 ハロルドの口の悪さは、ユーリさま以外の王だったら投獄されてもおかしくないレベルのものよ。


「彼とは、騎士団の入団当初からずっと一緒にやってきたんだ。同じ釜の飯を食って……というかその飯もハロルドが作ったものなんだが、かれこれ十年以上の付き合いになる」

「まあ、十年も?」


 それは本当に長いですわね。しかもユーリさまがいらっしゃった騎士団は、過酷な任務にも恐れず特攻することで有名な団。そこで生き延びているということは、ハロルドは騎士としても優秀な方なのかしら。


「ハロルド、何度も言うがお前は言葉遣いを直すべきだ。私や騎士団相手はともかく、ご婦人や子ども相手には刺激が強すぎる」

「へいへい。国王サマがそう言うのなら、気をつけますよって」


 反省しているのか反省していないのか、ハロルドが首をすくめながら言った。やれやれ、と言った顔のユーリさまが続ける。


「それより、お菓子を食べよう。あまり詳しくないが、こういうのは作り立てが一番なのだろう?」

「あっ! そうでしたわ! アイ、テーブルに行きましょう!」


 アイはまだ変質者を見るような目でハロルドを見ていたが、私に声をかけられると大人しくテーブルに座った。それから部屋に立つ侍女たちや侍従、近衛騎士たちにも声をかける。


「ほら、みんなも早く席にどうぞ」


 でも……と顔を見合わせる侍女たちに、ぽんぽん、と隣の椅子を叩く。


「これだけたくさんあったら、私とアイだけじゃ食べきれないわ。せっかく作ってもらったんですもの、残したらもったいないでしょう。今日は無礼講よ」


 たちまち、わぁっ! と歓声が上がった。

 各々どこからか椅子を引っ張ってきて、楽しそうに席につく。真っ先に華やかなマカロンに群がる侍女たちと、それとは反対にお口直し用のゼリー寄せや生ハムに群がる近衛騎士や侍従たち。……というかお口直し用も用意してあるのね。準備がいいわ。


 目の前の争奪合戦を見ながら、私はアイの方を向いた。


「さあアイ、どれから食べる? ……じゃなかった、どれが“ボタモチ”に近いかしら!?」


 黒いつぶらなおめめが、鹿を探す森の狩人ハンターのようにサッと机の上を走る。そのままじっくりと吟味した後、ちいちゃな指が、びしぃっとあるお菓子を指さした。


「アイはね……これ!」


 差されたのは、表面のチョコレートがつやつやと光るチョコレートケーキ。

 ケーキの上にはスライスされた真っ赤なイチゴが一列に並べられており、なんとも食欲をそそる色合いになっているわ。


「おう。お目が高いな。これはザッハトルテと言って、特別な手法を用いてこのツヤツヤ感を出しているんだぜ。見た目だけじゃなくて中身もうまいんだ。食ってみな」


 言いながら、ハロルドが見事な手さばきでケーキを切り出す。

 断面から覗くのはしっとりしたスポンジに、とろりとした赤い色のジャム、それから少し色が淡くなっているのはチョコレートクリームかしら? ただようチョコの甘い匂いを、私とアイが胸いっぱい吸い込む。


 私はフォークで先っちょを少し切ると、アイのお口へと運んだ。


「はい、あーん」


 すぐさまぱかっとお口が開き、はぷっと吸い込まれる。

 その途端、しびびび、と細かな震えがアイの体を走った。きゅっとすぼめられた口から「はふぅ……」と声が漏れる。


「あまじゅっぱ~いねぇ! おいしーい!」

「ふふん、そうだろう。本来ザッハトルテは少し大人の味だが、お子さま向けに少しクリームを足してあるからな」


 へえ。この男、やるじゃない……! 私は感心した。

 お口直し用の品といい、ただ作るのではなく、食べる人のことを考えて細かな調整を入れてくるなんて。ガサツそうな外見とは裏腹に、そんな気の利いたこともできるのね。


 隣ではアイが、ぽふぽふと自分のほっぺを叩いている。おいしい時の合図だ。それを満足げに見ながら、私も自分用のザッハトルテを一口食べた。


 ……ううん! 濃厚でおいしいっ……!


 私はうっとりとチョコの甘さに浸った。

 チョコレートとスポンジはとにかく濃厚で、でもそこにアプリコットジャムのほどよい酸味が広がって、初恋みたいにキュンとする味になっているのね。チョコレートソースの優しい甘みもあるから、くどくなりすぎずにいくらでも食べられちゃいそう……!


「おいしいねえ、ママ」

「おいしいわねぇ、アイ」


 もうひとくちアイにアーンをしながら、私たちは顔を見合わせてにこにこ微笑んだ。それを見た侍女たちも、今度は競うように自分の皿にザッハトルテを載せている。


「ふふん、どうだおれの腕前は」


 ハロルドが鼻高々と言った様子で胸をそびやかす。私は言った。


「ハロルド、あなたすごいわ! 普段の料理もあなたが作ってくれているんでしょう? その上こんなにおいしいお菓子まで作れるなんて……ユーリさまが天才料理人と言ったのも納得よ。ねっアイ?」

「すごいでしゅ、おいしぃでしゅ!」


 アイったら、口にめいっぱい詰め込んでいるせいで、語尾が赤ちゃんみたいになっているわ。

 笑いながら口の端を拭いてやると、ハロルドはなぜか顔を赤くしてもじもじしていた。


「お、おう……。それは……どうも……」


 その肩を、目が全然笑っていないユーリさまがバンと叩いた。

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