第18話 この子を守るためなら、何でもするわ

 そんな……。


 がっかりする気持ちを飲み込み、私は代わりに聞いた。


「なぜですか」


 サクラ陛下がゆっくりと首を横に振る。


「あなたも知っての通り、今の私に力はないのよ。聖女でありながら、十年もこの国をおろそかにしてしまった。そんな私が現れたところで、あなたたちを助けるどころかかえって評判を落としてしまうわ」


 確かにそれは、私やユーリさまも懸念していた点よ。けれどかつてのサクラ陛下は本当に優しく、そして優れた聖女だった。あの頃の太后を知る民ならば、もしかしたら……!


「陛下がその気ならきっと、民はついてきてくれるはずです。十年の間は空いてしまいましたが、それでもあなたが頑張ってきた日々は確かに残っているのです」


 私の訴えに、サクラ陛下がまたもや首を振る。


「いいえ、エデリーン。十年は、信頼を失うには十分な時間よ。私を頼るのではなく、新たな方法を見つけないといけないの。……ごめんなさい、力になってあげたいのはやまやまだけれど、私にはできないわ」


 その目には、これ以上変えようのない決意が浮かんでいた。……きっとこれ以上食い下がっても意味はないのでしょうね。私は肩を落とした。


「……わかりました。今日のところは帰りますわ。……でも、まだあきらめたわけじゃありません。気が変わったら、いつでも連絡してくださいませ。……私はサクラ陛下の力を信じておりますわ」


 そう言うと、私は太后にお別れの挨拶をした。アイはまだちらちらとサクラ陛下を見ていたが、私と手をつなぐと、小さく「ばいばい」と言った。


「……エデリーン」


 歩き出した私たちに、陛下から声がかかる。振り向くと、黒い瞳がじっと私を見つめていた。


「ねえ、ひとつだけ聞いていいかしら」

「なんでしょう?」


 私は不思議に思いながら聞き返した。


「その子が先ほど言った“ママ”というのは、あなたのことかしら?」

「……ええ。アイを、養子に迎えましたから」


 私がアイの頭を撫でると、陛下の目が細められる。


「ということはあなた、本気でその子を育てるつもりなの?」


 サクラ陛下の顔が厳しくなる。


「エデリーン……。子どもを育てるのは、動物を可愛がるのとはわけが違うのよ。親がいなくなっても生きていけるよう、教え、導かないといけない。あなたにそれができるの? その子とは、血がつながっていないのでしょう? 本当に愛せるのかしら?」


 思いがけない言葉に、私はきょとんとした。それから真っすぐ背筋を伸ばして、サクラ陛下と向き合う。


「逆にお聞かせください、陛下」


 それから私は、サクラ陛下のお子である王子、王女たちの名をあげた。


「ラウルさま、ルカさま、ダントリーさま、マリナさま。みなサクラ陛下のお子ですが、もしそのうちのひとりが実の子じゃないとわかったら……その子に対する愛は失われるのですか?」


 私が出したのはあくまで「もしも」の話だが、仮に王族であっても、絶対に間違いが起きらないとは限らない。何かの陰謀によって子がすり替えられたりすることは、歴史上を探せば何件もある。


 もしが本当に起こった時。

 血の繋がりが、失われた時。

 ……たったそれだけのことで、愛情は本当に失われるのかしら?


 私の質問に、陛下がハッとした顔になる。

 そんな陛下を見ながら、私は優しくアイの頭をなでた。


「……私、思うんです。親として必要なのは、血の繋がりよりも覚悟なんじゃないかって。『この子を守り、育て、愛する』という揺るぎない覚悟が、何よりも大事なんじゃないのかって」


 横では、アイの黒い瞳がじっと私を見つめていた。


 両手を差し出すと、すぐに抱っこを察したアイの手が伸びてくる。そのまま抱き上げると、小さな頭が、私の肩にやわらかく押し付けられた。くしゃりとこすれるさらさらの髪、ふんわり香るミルクの匂い、しっとりとした息遣い。


 腕の中に感じるあたたかな生命をぎゅっと抱きしめる。


――この子を守るためなら、何でもするわ。


 そんな私を見て、サクラ陛下がふうとため息をついた。


「……そうね、私が愚かなことを聞いたわ。大事なのは、血などではなかったわね」


 うなずいて、私は続けた。


「私は未熟者なので、きっとこの先、悩んだり、嘆いたり、時には間違えることもあるのでしょう。……私自身、今まで何度両親を困らせてきたことか。でも、この子の手は決して離さないと誓っているんです。だから困った時は、ぜひ陛下にもお力をかしていただけると嬉しいですわ」


 私のずうずうしい言葉に、陛下が一瞬目を丸くしてからほっほと笑った。


「まったく、したたかな子ですこと。……でもそうね。頑張る若者を応援するのも、私たち大人の仕事ね」

「……ならぜひ、披露式典のご出席を?」


 ここぞとばかりに聞いてみたが、やはりだめだったらしい。陛下がくすくす笑いながら言う。


「残念ながらそれとこれとは別よ。下手するとあなたたちの足をひっぱりかねないのは事実だもの」

「そうですか……。でも私、まだあきらめませんからね。気が変わったら、いつでも連絡してくださいませ」

「ええ、気が変わることがあったら、ね」

「それと陛下……ときどき、アイをここに連れてきてもいいでしょうか?」

「彼女を?」


 サクラ陛下の目がアイをとらえた。今度はアイも隠れずに、じっとその視線を受け止めている。


「私は構わないけれど……この子にとっては退屈なのではなくて? ここには何もないし……」


 急にその事実を思い出したように、陛下がおろおろとした。


「その時は、みんなでピクニックでも行きましょう。陛下もずっと閉じこもっていたらお体に毒ですもの」


 ピクニックという単語に、アイの耳がぴくっと揺れた。小さな手が、急いで私をくいくいとひっぱる。


「ママ、ぴくにっくいくの?」

「今度、みんなで行きましょうね。その時はおやつに何をもっていきたい? あまーいマフィン? それとも具沢山のキッシュかしら?」

「アイはねぇ、あれがいいの。ふかふかの、しろぱん!」


 私は笑った。どうやら、いつどんな時でも、アイが白パン好きなのは変わらないらしい。

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