第16話 サクラ陛下と、聖女の秘密
「お久しぶりです、サクラ陛下」
私は腰を落として
久しぶりに見るサクラ陛下は、年を重ねてはいてもやはり美しい方だった。貴婦人と呼ぶのにふさわしい品と、柔和な顔立ち。
しかしその顔に以前のような活気はなく、今は打ち捨てられ、しおれた花を思わせるさびしさがただよっていた。
「あなたに会うのも十年ぶりかしら……大きくなったわね」
サクラ陛下が目を細める。
私は過去に、経済大臣である父に連れられて何度もサクラ陛下とお会いしたことがあるの。といっても十年以上前だから、まだ年齢が一桁の頃よ。
「おかげさまで、元気にやらせていただいております。……今は人妻になりましたわ」
「聞いているわ。今はあなたが王妃なのですってね」
私は硬い表情でうなずいた。
笑みを消したのは、もしかしたら聖女以外が王妃の座に座ることを、サクラ陛下がよしと思っていないかもしれないからだ。
陛下に限らず、世の中には私が王妃であることをよく思っていない人が実は多いのよ。
あまり重要視していなかったからすっとばしちゃったのだけれど、私とユーリさまの結婚までは色々事件もあったしね。まあ今はこうして、無事王妃の座に収まっているから気にしていないんだけれど。
だから、サクラ陛下ももしかしたらよく思っていないかもしれないと、少し警戒したの。なにせ王妃は聖女のものだと、私ですら思っていたんだもの。
そんな私の考えに気づいたのでしょう。サクラ陛下が静かに言った。
「そんなに硬くならないでいいのよ。私は王妃の座に、誰が座ろうと気にしないわ」
私はホッと息をついた。こういうところを見ると、やっぱりサクラ陛下は昔から変わっていないのかもしれない。
私が知っているサクラ陛下は、とにかく優しく、気遣いの人だった。会うのは緊張したけれど、聖女だからとおごることなく、いつも笑みを浮かべる彼女のことが好きだった。
「むしろ、あなたが王妃でよかったかもしれないわね。……ときどき思うのよ。聖女として召喚されたからって、問答無用に王妃の座に座るのは本当に幸せなことなのかって。ただの少女としてこの世界にやってこれたら、違う生活が待っていたのかしらって……」
ふっ……と、サクラ陛下の目が遠くなる。その目に映っているのは、陛下が考える“もしかしたら”の日々なのだろう。後ろでじっと話を聞いていたアイが、そぉっと顔をのぞかせた。
「……って、こんなことを言ったら民たちに失礼ね。いやだわ、歳をとるとどうも感傷に浸りやすくなって」
「そんなことはありませんわ。聖女は、重役ですもの」
サクラ陛下は十七の時にこの国に召喚されたと聞く。わが国では成人済みとは言え、まだまだ若い。私ですら、父に「お前が王妃になれ」と言われた時は一ヶ月続く父娘戦争に突入したくらいなんだもの。
「そう。聖女は重役……それなのに、今回の聖女はずいぶん小さいのね? あなた、お名前は?」
声をかけられて、アイがまたサッと後ろに引っ込んだ。代わりに私が答える。
「申し訳ありません、少し人見知りみたいで。この子はアイと申しますわ」
「愛? ……それはまた、ずいぶん皮肉な名前ね」
陛下の眉間に皺が寄る。
「聖女ということは、つまりその子も……苦しい生を強いられてきたのでしょう?」
サクラ陛下の言葉に私を目を細めた。
『聖女と言うことは、その子も』?
「あの、それはどういう……?」
「……その顔を見る限り、一般的には知られていないのね。……エデリーン、こちらにいらっしゃい」
手招きされて、私はおそるおそるサクラ陛下に近づいた。私の服をぎゅっとひっぱっているアイが、ぴたっとくっついたまま一緒に移動する。
私がサクラ陛下の前に立つと、陛下はドレスの襟元をぐいっと引っ張った。すぐに白くて細いうなじが見えたと思った次の瞬間――肩から背中にかけて広がる、痛々しい火傷痕があらわになる。
私は絶句した。
「ひどいものでしょう? これがあるから、ドレスはいつもハイネックしか着れないのよ」
「この火傷は一体……!? まさか亡き国王陛下が……!?」
あわてる私に、陛下が苦笑する。
「陛下ではないわ。あの人は女たらしだったけれど、女子供に手を上げるような人ではなかったから。これをつけたのは、私の親よ」
陛下がため息をつく。
「私の親はね……それはもうひどい人たちだったの。罵声、暴力は当たり前。言葉が出る前に、手が出てくるような人たち。この火傷も、母親に沸騰したお湯をかけられたのよ」
私はハッと手で口を押さえた。それってまるで……。
見ると、アイが真剣な顔でサクラ陛下の話を聞いていた。
「私はね、そんな人たちから一日も早く離れたかったの。だから高校卒業と同時に寮付きの会社に就職して……。内定をもらった時は嬉しかったわ、これでようやくあの人たちから離れられるって思って……」
聞きなれない単語を、私は注意深く聞いていた。高校……って、学院のことかしら?
「でもね、直前になって内定取り消しの連絡が来たの。びっくりしたわ。どうしてですかって聞きに行ったら……うちの親が怒鳴り込んだらしいのよ。『娘を就職させるなら、誘拐として警察に通報するぞ!』って」
警察。アイの親も言っていた言葉だ。
「その時に悟ったわ。私はこの人たちから逃れられない、一生、この人たちに人生を駄目にされつづけるんだって。……目の前が真っ暗になったわ」
静かな口調で、サクラ陛下が淡々と語る。その顔に悲壮感はないものの、深い諦めが浮かんでいた。
「気付いたら踏切の前に立っていたの。ふらふらと、全てを終わらせる気で足を踏み出したその時よ。……召喚紋が現れて、私をこの世界に連れてきたのは」
サクラ陛下が顔を上げる。黒い瞳は静かに揺れていた。
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