第15話 すこしずつ、すこしずつ、ね

「ママ。ここ、なーんにもないねえ……」


 サクラ陛下が住まう離宮に向かう石畳を歩きながら、手をつないだアイがぽつりと言った。


「そうね……。離宮だとしても、静かすぎるわね……」


 時刻は昼時。少しぐらい昼休憩を取る人たちの姿を見かけてもよさそうなのに、辺りには私たち以外誰もいない。噴水もなく、花壇も最低限しかなく、見えるのはだだっ広い石畳とぽつんと佇む離宮だけ。建物が豪華な分、辺りの静けさが際立っていた。


「サクラ陛下は、本当に最低限の使用人しか置いてないらしいんだ」


 横を歩くユーリさまが言った。彼はサクラ陛下に面会を拒絶されているけれど、念のため私たちについてきてくれたのよ。


 辺り全体を包む静けさは、離宮の中に入ってからも続いた。カツンという足音ですらよく響く天井の高い空間。アイがつないだ手をぎゅっと握る。


『……ママ、ここなんだか怖い』


 不安そうな目が見上げてくる。


 アイは聡い子だから、きっと空気の違いを敏感に感じ取っているのね。どうしたものかしら……と考えていたら、隣で歩くユーリさまの姿が目に入る。彼も今は、アイに合わせてゆっくりと歩いてくれていた。


 私は腰をかがめてささやいた。


「……ねえ、アイ。よかったらユーリさまとも手をつなぐ? ちょっと怖くなくなるかも」


 アイがぱちくりと目をしばたたかせた。

 パパ呼び同様、こっちもまだ早いかしら? そう思っていたら、頭の中にするする文字が浮かび上がった。


『……へーか、アイとてをつないでくれるかなあ……?』


 あら? 何やら恥ずかしげにもじもじしているし、こっちは意外と好感触なのね? ……となると、ますます謎だわ。なんでパパ呼びだけダメなのかしら。これは早めに確認しておきたいわね。


「手をつないでくれるか、ママから聞こうか?」


 聞くと、アイがコクンと恥ずかしそうにうなずいた。私はまた背を伸ばして、ユーリさまの方を向く。


「ユーリさま。よかったら、アイと手をつないであげてくれませんか?」

「……私と?」


 ユーリさまが驚いた顔をした。そういえば私とアイが手をつなぐことはよくあるけれど、ユーリさまとはつないだことなかったわね。


「私はもちろん構わないが、アイはいいのか……?」


 ユーリさまはユーリさまで、おそるおそるといった顔で手を差し出してくる。その大きな手に、アイの小さな手が乗せられた。


 それからアイの小鼻が膨らみ、むふぅ、と満足げな息がもらされる。よかった、どうやら本当に嬉しいみたい。


 その様子を、私とホートリー大神官がくすくすと笑いながら見ていた。ユーリさまはまだ慣れないのか、どこかこそばゆそうだ。


「……あのねママ、もうこわくないよ」


 つないだ手をぶらんぶらんと揺らしながら、アイが嬉しそうに笑った。


「よかったわ。それにしても、みんなでおててつないで歩くのも結構楽しいわ。ね? ユーリさまもそう思いませんこと?」

「う、うむ。……悪くない……」


 ユーリさまはかなり背が高いから、アイと手をつなぐためには腰を曲げてかがまなければいけない。姿勢を維持するのも大変だろうに、一生懸命かがんでいる姿が健気でありほほえましかった。


 やがてたどりついた謁見室の前で、私たちは一度足を止めた。ホートリー大神官が進み出る。


「陛下、大変申し訳ないのですが、ここから先に進めるのはエデリーンさまとアイさまだけになります」

「わかった。私はここで待っていよう」

「アイ。ここからは私と一緒に行きましょう。……もし怖いなら、このままユーリさまと一緒に待っていてもいいのよ?」


 けれど私の質問に、アイはふるふると首をふった。

 急いでユーリさまから手を離し、両手で私にしがみつく。……あ、ユーリさまが露骨にがっかりした顔をしているわ。ちょっと悪いことをした気分。


「アイ、いっしょにいく!」

「わかったわ。もし怖くなったら、後ろに隠れていてね」


 そうして私たちは、謁見室へと足を踏み入れた。


 開けられた扉の奥。ゆったりとした椅子に彼女――サクラ太后は座っていた。


 白が多く混ざり始めた髪は高い場所でひとつに結い上げられ、まとうのは首まで覆うぴっちりとしたハイネックのドレス。

 かつて満開の桜を思わせる笑みを浮かべていた顔に、今は深いしわが刻まれていた。


 疲れた顔でサクラ陛下がこちらを見る。


「……久しぶりね、エデリーン。その子が、次の聖女かしら?」


 サッと、アイが私の後ろに隠れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る