第14話 かわいい私のたからもの

「あっ、アイ……! それは……!」


 大神官に失礼よ!?

 私が慌てて止めようとしているのを察したのだろう。ホートリー大神官がさっと手をあげる。


「気にしなくていいんですよ。アイさまに撫でられたら、もしかして毛も生えてくるかもしれません。なんてたって聖女さまですからね」


 えっ!? そこなんですの? まだ髪を生やす気があるんですのね!?


 私が突っ込むべきかどうか悩んでいる前で、アイはキュッキュッと音が出そうなほどつるつるの頭を撫でている。……というか磨いている。


 それ、痛くありませんの!?

 私がハラハラと見守る中、アイはぞんぶんに撫でまわしてから満足そうにふんっと鼻を鳴らした。


「おじさん、あたまつるつるだねえ」


 ワッ! 子どもって怖い! みんなが思ってても口には出さなかったワードをばんばん出してくる!


 けれど、それにもホートリー大神官は動じなかった。むしろ嬉しそうに笑っている。


「そうでしょうそうでしょう。いやあ、アイさまにこんなに撫でてもらえるなら、この頭も悪くないですね」

「じゃあ、もういっかいさわっていい?」

「どうぞどうぞ、心ゆくまで堪能してください」


 なんてやりとりをして、またアイがにこにこしながら大神官の頭を撫で始めた。

 アイ、恐ろしい子……! それにしても大神官にはずいぶん懐いているのね。やっぱり見た目が人畜無害というか、優しそうだからかしら?


 なんて思っていると、ユーリさまが咳払いした。


「……楽しそうなところ悪いのだが、サクラ陛下の件はどうなったんだ?」

「あっ! これはこれは失礼いたしました!」


 ホートリー大神官がぺちんと自分の頭を叩く。それを見てアイがドッと笑う。かと思うと、笑いすぎてそのままひっくり返ってしまった。……ものすごくツボに入ってしまったらしい。

 大神官がそれを助け起こしながら、ニコニコと言う。


「アイさまも、ぺちぺちしてみますか?」


 ……ちょっとまって、さすがにそれは!


 だが私が止める前に、アイがにこにこしながら小さなおててをふりあげた。


――それから。


 ぺちんぺちんぺちんぺちんぺちんぺちん。


 輝くような笑顔を浮かべて、とっても小気味のいい音を立てながら、アイが大神官の頭を鳴らした。


「アッ! アイィイイ!!!」


 私は叫んだ。


 さすがに! それは! いくら本人から許可されたとしてもまずいですわ! 


 私は必死の形相でアイを抱き上げた。

 アイは不満そうにこちらを見ているが、ダメなことはダメです! 親として時には厳しく注意もしないと……! でもこんなかわいい子を前に怖い顔をしろだなんて……!


 私が親としての在り方に葛藤していると、ホートリー大神官が残念そうに言う。


「おっとと……わたくしは気にしませんのに。まるで女神ベゼの福音を聞いているようで、信徒ホートリー、身も心も洗われるようでしたよ。……また今度、王妃さまのいないところでやりましょうね、アイさま」


 いや福音絶対そんな音じゃないと思いますわ。


 アイも親指を突き出して「ぐっ!」って言ってる場合じゃないですわよ。まったくどこでそんな動作を覚えてきたのか……! 大方、最近アイをちやほやしている近衛騎士たちあたりでしょうね。

 私が近衛騎士たちの方を見ると、彼らはあわてて目をそらした。


 そこで、大神官はようやく本題を思い出したのだろう。おっとりと口を開く。


「そうそう、サクラ陛下はお会いしてくださることになりました。……ただし、ユーリ陛下ではなく、エデリーンさまならという条件付きですが」

「私?」


 私とユーリさまが顔を見合わせる。


「相変わらず、私には会いたくないのだな……」


 ふぅ、とユーリさまがため息をつく。


「私でよければ、サクラ陛下を説得しに行きますわ」

「……すまない、頼めるだろうか。一応私もついていくつもりだ」

「もちろんです」


 サクラ陛下の説得は、ひいてはアイのためになることだもの。母として、聖女補佐役として、腕の見せどころね!


 ホートリー大神官がにっこりと微笑んだ。


「では、わたくしからそのようにお伝えしましょう」


 そこで私は、はたと思い出す。


「……そういえば陛下の離宮って、少し離れたところにありましたわよね?」

「そうですねえ……。日帰りのおつもりなら、朝早くには出発しないと間に合わないかもしれません」

「となると……アイはお留守番した方がいいかしら?」


 旅行でも何でもない謁見はアイには退屈だろう。その上、いまのサクラ陛下は扱いが難しいと聞く。アイに会わせたら怖がるかもしれないわ。それだったら侍女たちとお留守番してもらった方が……。


 けれどアイは、私の言葉を聞くなりぶんぶんと首を振り始めた。


「アイ、いく!」


 タっとかけよってきて、私の手をぎゅっと握る。


『おいていかないで』


 その目は切羽詰まっていた。まるで、自分が捨てられるかと思っているよう。

 私はあわててアイに言った。


「ならちょっと遠いけれど、一緒に行きましょう」


 途端、アイがほっとした顔をする。そんなアイを、私はぎゅーっと抱きしめた。

 それから、優しい声で、聞き取りやすいようゆっくりと紡ぐ。


「アイ、心配しなくてもいいのよ。私があなたを置いていくわけないじゃない。あなたは私の宝物なんだから」

「……たからもの?」


 アイが不思議そうに見上げてくる。さらさらの髪をかきあげて耳にかけてやりながら、私は微笑んだ。


「そうよ。宝物。知ってる? 東にあるとおーい国では、宝と書いて子どもと呼んだりするのですって」


 『子は宝』。遠く離れた国の人たちが、そんな価値観を持っていると知ってずいぶん感動したものだわ。言葉が通じなくても、そういう根っこの部分は一緒なの、すごいわよね。


「……じゃあ、わたしも、たからもの?」

「もちろんよ。アイは私のだーいじな宝物」


 そう言うと、アイがきゅっと目をほそめた。照れたように、えへへ、と笑っている。そこへユーリさまが咳払いする。


「……その、アイは私にとっても宝物だぞ」

「ほっほっほ。それを言うなら、アイさまはわたくしにとっても宝物ですぞ」


 見渡せば、その場があたたかな空気に包まれていた。

 遊び相手をしていた侍女や騎士たちまでもがにこにことしている。言葉に出さなくても、その顔には『アイさまはみんなの宝物です』と書かれていた。




――その日の夜。いつものようにふとんにもぐりこんだアイが、しばらくしてからもぞ……と顔をあげた。つぶらでうるうるした黒い瞳が、じっと私を見つめている。


「……ママ」

「どうしたの? 眠れない?」


 私がトントンと背中を叩くと、アイは小さく首を振った。それから上目遣いで、おそるおそる口を開く。


「……アイは、ママにとって、たからものなの?」


 確認するような口調に、私がふっと口元をほころばせる。

 朝言ったことを覚えていたのだろう。私はとびきり優しくて甘い声で言った。


「そうよ。アイはママのだーいじな宝物よ」


 その言葉に、アイがへにゃっと顔をほころばせた。そのぷにぷにのほっぺを優しくなでながら、私はささやいた。


「おやすみ、アイ。あなたはずっと、私のかわいい宝物ちゃんよ」

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