第10話 天!使!降!臨!

「エデリーン、無事終わったよ」


 その日の午後、アイと一緒に絵を書いていた私の元に、穏やかな顔をしたユーリさまが現れた。

 この時間はいつも政務が一番忙しい時間帯なのに、どうしたのかしら? 終わったって、何が?


 きょとんとした顔の私に、ユーリさまが微笑む。


「アイを養子に迎える手続きが完了した。これで、アイは正式に君と私の子だ」

「まあっ……!」


 私はパッと顔を輝かせた。


 気持ちはもうとっくにアイの親だけど、やっぱり正式に認められると感慨深いわよね。

 堂々と家族だと言える喜び! ふふふ、今日はすれ違った人全員に「うちの子よ」って紹介しちゃおうかしら?


「よろしくね、アイ。ママは初めてだけど、一生懸命がんばるわ!」


 アイには、まだ手続きといった難しい仕組みはわからないだろう。けれど私が嬉しそうなのに合わせて、なんとなく一緒になって喜んでくれている。ぱちん、と二人で手を合わせた。


「あ。私がママってことは……」


 はたと気付いて、私はユーリさまを見た。陛下がコホンと咳払いする。


「も……もちろん、私が、パパ……だ」


 ぎこちない言葉に、私はふふっと笑う。


「よろしくお願いしますわ、


 そう言った瞬間、ユーリさまの顔がボンッと赤くなった。……あらあら? こちらも最初とはずいぶん、態度が変わりましたわね?


 くすくす笑っていたら、アイが私の手をぎゅっと握った。見るとアイがもじもじしている。それから頭の中に流れ込んでくる文字。アイが、スキルを発動させたのね。


『……ママって、よんでいいの?』


 んまあああああーーー!!!


 私は心の中で絶叫した。……一瞬だけ「ン゛ッ」って声がもれたのは聞かなかったことにしてほしいわ。


 とにかく! 『ママ』の威力ったら! 危うく私の心臓が止まるところでしたわ!?


「もちろんよ!!!」


 光よりも早くしゃがみこんで、私はアイと目線を合わせた。


「アイの好きに呼んでいいのよ! ママでも母さまでも母上でも、なんなら名前呼び捨てでもいいのよっ!」


 鼻息荒く話しかけると、アイが照れたように笑う。それから小さな声でつぶやく。


「……ママ」


 天! 使! 降! 臨!


 私はバタッとその場にくずれおちた。


「エデリーン!?」

「ママっ!?」

「ご、ごめんなさい……! あまりのかわいさに意識を失うところだったわ……!」


 それからサッとハンカチで鼻を押さえる。……鼻血が出てるとバレたら、アイを心配させてしまうものね。


「とってもうれしいわアイ。抱っこしてもいい?」


 手を伸ばせば、嬉しそうなアイがぽすっと胸に飛び込んでくる。その拍子に鼻血がじわぁとハンカチを染め上げた。でも、抱っこしてるからアイにはバレないわ。


「エデリーン……!? 君……!」


 ユーリさまがすごい顔でこちらを見ているけど、私は必死の形相でシッ! と人差し指を立てた。その意図を理解してくれたのね。あわてて新しいハンカチを差し出してくれた。


「ありがとうございます。あとで洗って返しますわね」

「全く君は……」


 やれやれという顔のユーリさまを見ながら、私はふとあることを思い出した。

 鼻まわりを綺麗に拭って、汚れたハンカチをさっとしまいこむ。


「そういえばアイ、ユーリさまのこともパパって呼んでいいのよ?」


 その言葉に、ぴくっとアイの体が震える。

 顔を上げたアイは、なぜかにゅっと下唇を突き出し、眉間にふかーいしわを寄せていた。


 ……あれ? なんか思ってた反応と違う。どう見てもこれ、嫌がってる顔よね……?


 なんで!? どうして!? 最近はユーリさまとあんなに仲がよかったのに、何がいけなかったの……!? 「パパはへーかがいい」って、言ってたわよね!?


 私が内心ものすごく動揺していると、アイがぎゅっと私の手を握った。するりと浮かび上がる文字。


『……それはいい』


「あっ、そ、そうなのね!? でもえらいわ。本音が言えるようになってきたのね!?」


 私が動揺を隠して頭を撫でると、アイは猫のように目を細めて頭をぐりぐりこすりつけてきた。その顔はいつも通りにこにこしている。

 ってことは、言い間違いとかじゃ、なさそうなのね……?


「エデリーン……その、アイはなんて……?」


 はらはらした様子で聞いてきたのは、ユーリさまだ。


 あっまずいわ、これ。目が完全に期待しちゃってるやつだ。


「えっ……と……」


 ここはなんて言うべきかしら!? 「恥ずかしがってるみたい」と嘘をつくべき!? でも、変に期待させるのも酷よね? ここは思い切って正直に……。


「そ、それはまだちょっと早い、かもしれないですわよ……?」


 途端、ユーリさまがズゥゥウウンと落ち込んだ。

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