第9話 役立たずどもめ ★――???
――全く腹立たしい。
ずるり、ずるりと体を引きずりながら、我は暗い地の底を這うようにして進んでいた。
……ああ、今日も体が重い。喉が渇いた。お腹がすいた。
本当は一歩も動きたくない。だが、失敗したあやつらを処理せねば。……全く、聖女を片付けるためにわざわざ門をあけてやったのに、みすみす追い返されおって。
ずるり、べちゃっ、ずるり。
……ここにいたのか、役立たずどもめ。
瘴気が立ち込め、紅い月が輝く空の下。我は目当ての人間たちを見つけた。
異世界の人間である男も女も、我ですら反吐を吐きそうな匂いを醸し出している。――
ずるり。歩みを進めると、女の方が我に気づいた。ヒッと引きつった叫びをあげ、あわてて男の裾をひっぱっている。
「ね、ねえ! 暗闇に何かいる……!」
「あん? 一体何が……」
その時、雲に隠れていた月がサッと姿を現した。月光に照らされた我の姿を見て、ふたりが絶叫する。
「き、きゃあああああっ!」
「うわああああっ! バケモノ!!!」
ガタガタと震え、ぺたりとその場に座り込む。腰が抜けたようだな。
ふん、そんなに我の姿が怖いか。ならば、見えなくしてやろう。
我はビュッと手を振った。紫色の液体がびちゃっと飛び散り、それを顔に浴びたふたりが悶絶する。
「うわああっ! 目が! 目があああ!」
「痛いいいいい!」
……声まで耳障りだ。これくらいで痛いだと? おまえたちの子が受けた傷に比べれば、ささいなことだろうに。
「おい、誰かおらぬのか」
我がイライラしながら言うと、シュンという音とともに気配を感じた。
「――ここに」
「あのふたりをさっさと片づけよ。うるさくてかなわん」
「承知いたしました」
それだけ言い捨てると、我はずるりと体をひきずってきびすを返した。後ろでは何をしているのか、ぞっとするような音が聞こえる。
ああ、本当に腹が立つ。
我は心の中で毒づいた。
――女神の紋に侵入し、今にも消えそうな弱い聖女を連れてきたはずなのに、なぜ聖なる光が増しているのだ?
ずるり。ぬめった体の中から巨大な鏡が浮かび上がる。その鏡面に映っているのは、呑気に笑っている聖女の顔だ。鏡の周りが淡く白く光り始める。
……まずいな。弱いどころか、これは放っておけばさらに強く輝きだしてしまう。そうなる前に、なんとしてでも止めねば。
ずるり、べちゃっ、ずるり。
……ああ、それにしてもお腹がすいた。
我は何も食べなくても生きていける。だと言うのに、消えることのない飢餓感は、我をずっと苦しめていた。
ふと、鏡が目に入る。
その中では、ひとひねりで潰してしまえそうなほど小さな聖女が、ふかふかした、白くてまるい何かにかぶりついていた。
ぷくっとほっぺがふくれあがり、目が幸せそうにきゅっと細められる。
……なんだあれは。……おいしそうだな……。
ぐぅと、とっくに死んだはずの腹の音がなった。
◇
「――以心伝心というのは、どうやらアイの色々なことが私に見えるようになるみたいですわ」
ここ数日の検証でわかったことを、私はユーリさまに話していた。
隣では、アイがもふもふと白パンにかじりついている。どうやら朝ごはんにこれを食べるのがお気に入りらしい。目が合うと、アイはにこっと笑った。
「色々なこと、とは?」
ユーリさまがフォークを持つ手を止め、じっと私の言葉を待つ。
私たちは、三人で朝食を食べていた。
アイはお気に入りの白パンと新鮮なフルーツ。私とユーリさまはスクランブルエッグとベーコンだ。
「まず、こうしてアイと手をつなぐでしょう」
私が手を差し出すと、ピンと来たアイがパンをほっぺに詰め込んだままサッと手を乗せた。それはまるで利口なわんちゃんが「お手」をしているようで、思わず口の端がゆるむ。
しかもその表情が、「上手にできたでしょ!?」と言いたげに輝いてるものだから、なおさら。気のせいか、アイに大きなお耳とふさふさのしっぽが見える気がするわ……!
かわいさに頬をほころばせていると、するんと、私の頭にいくつかの文字が浮かび上がった。
『聖女アイ:スキル魔物探知、以心伝心(対象、王妃エデリーン)』
『ほめてもらえるかなあ?』
……ふふっ、成功したみたい。気持ちがまるわかりね。
「ばっちりよ、とってもうまくいったわ! ありがとう、アイ」
頭をわしゃわしゃしながらお礼を言うと、アイがえへへと笑った。
「と、こんな感じで、スキルを発動した時だけアイの状態や気持ちが私に見えるみたいなんです。ただ、本人はあまりわかっていないみたい」
アイの乱れた髪を直しながら、私はユーリさまに言った。陛下が考え込む。
「……ふむ。その“以心伝心”は、君にしか効果を発揮しないのか?」
「そのようですわ。対象欄に載っている名前が、私だけだからかもしれません」
「ということはアイ、いや聖女のことがわかるのは、君だけということか」
陛下の言葉に、私がこくりとうなずく。
アイはあれ以来、時々自分の言葉で話してくれるようになった。けれど根っこが引っ込み思案なのか、それともまだ警戒する気持ちがあるのか、発する言葉より隠してしまう言葉の方がずっと多い。
それに、聖女スキルが書かれた文字を、アイは読むことができないようだった。
不思議な形をした文字は、この国で使われている言葉ではない。それどころか、大陸のどこでも目にしたことのない文字だ。
……なのになんで、私だけが読めるかしら? これも以心伝心の効果なのかしら?
私が首をひねっていると、陛下が言った。
「ならば君にも役職が必要だな。彼女を助け、サポートし、この国との橋渡し役として。……エデリーン、引き受けてくれるか?」
私はにこりと微笑んだ。
「もちろん、最初からそのつもりですわ。アイは私のかわいい娘ですもの」
横にいるアイをぎゅうーっと抱きしめると、パンくずをいっぱい口の周りにつけたまま、アイが嬉しそうに笑った。
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