第3話 まま、ぱぱ、おこらないで ◆――アイ

 ばしゃん。


 みずがこぼれるおと。


 それから、ママとパパがおこるこえ。


 こわいかおをしたパパがわたしのてをつかむ。


「愛! てめぇまたこぼしたな!?」


 ばしん。パパがわたしをたたく。


「愛! 何度言えばわかるの!? 全く、あんたなんか産むんじゃなかった!」


 ごめんなさい、ママ。だからぶたないで……。


 でも、わたしがどんなにごめんなさいをいっても、ママとパパはゆるしてくれない。


「ここで反省してなさい!」


 どんとせなかをおされて、わたしはベランダにおいだされた。


 そとでは、ゆきがふっている。さむくて、わたしのからだがガタガタふるえた。


 なかにいれてほしい。


 でもそんなことをいったら、またぶたれる。


 ぎゅっとからだをだきしめても、ちっともあたたかくならない。


 だんだん、めのまえがくらくなってきた。


 たすけて……だれか、だれでもいいから、アイをたすけて……。


 そのとき、だれかがわたしのてをグイッとひっぱった。


 かおをあげるとまわりはひかりでいっぱいで。


 まぶしくてよくみえなかったけど、おんなのひとがにっこりわらってた。


 くろいかみに、くろいふく。でも、ママじゃない。


 ……あなたは、だあれ?


 ききたかったけどこえがでなかった。めのまえが、まっしろになっていく――……。



 ◆




「……イ。……アイ」


 だれかのやさしいこえ。


 ……ママ?


 めをあけると、とてもきれいなおんなのひとがいた。


「大丈夫? うなされていたわ、ひどい汗よ」


 きらきらしたきんいろのかみに、みずいろのおめめ。……えほんにでてくる、おひめさまみたい。


 ……そういえば、このひとはエデリーンというなまえだった。


 わたし、きづいたらへんなところにいて、たくさんのひとがいて……。


 おもいだしていたら、おひめさまのてがのびてきて、わたしはびくっとした。……たたかれるかと、おもったの。


「ごめんなさい、驚かせたわね」


 おひめさまは、とてもかなしそうにわらった。



 ◆




 目の前で怯えるアイを、私は痛ましい気持ちで見ていた。


 汗を拭こうとハンカチを出しただけで、こんなに怯えるなんて。今もびくびくと震え、上目遣いで私の顔色をうかがっている。


「王妃さま、食事をお持ちいたしました」


 そこへ、侍女が朝食の載ったワゴンを運んできた。


「ありがとう、そこに並べてくれる?」


 アイの前に、ベッド用の小さなテーブルが乗せられる。そこに、彼女のための食事が並べられた。


 コーンポタージュに、やわらかく煮たパンがゆ。白パン、色とりどりのフルーツ、ふるんと揺れるプリン。……ちょっと変な組み合わせだけど、今は栄養面より、幼い子が好きそうなものを集めてみたの。


 アイはそれらを、ぱちぱちと目をしばたかせながら見ていた。

 それから聞こえる、ぐぅぅという可愛い音は、アイのお腹の音ね。


「ふふ、どうやらお腹は元気みたいね? どうぞ、好きなだけ食べていいのよ」


 勧めると、アイはしばらくおどおどしたあと、恐る恐るスプーンをにぎった。


 けれど、うまく手に力がはいらないようだ。手が震えたと思った次の瞬間、スプーンがアイの手からつるりと滑り落ちた。


 ばちゃん、とポタージュの中にスプーンが落ちて、辺りに汁が飛び散る。幸い、スープは人肌に保っているので火傷するようなことはないが、アイの顔も汚れてしまった。


「あっ……! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 サーッと顔が青ざめたかと思うと、アイは泣きそうな顔で謝りだした。たったそれだけのことで、私にぶたれると思ったのかしら。


 ぎゅっと心が痛む。

 それを表には出さず、私は優しい声で言った。


「……大丈夫よ。私はあなたを叩いたりしないわ」


 それから優しく、ハンカチでアイについた汚れをふき取る。

 彼女はそれを震えながら耐えていた。


「手が震えてスプーンがうまく持てないのね。なら、私があーんしてあげる」


 言って、私はスプーンを手に取る。


 ――実はアイが寝ている間に、宮廷医師に彼女の体を見てもらっていた。


 医師によるとアイは殴られただけでなく、ひどい栄養失調にも陥っていた。

 あと少しでも遅かったら、そのまま亡くなっていたかもしれないという話を聞いて、私がどれほど怒り、同時に安堵したことか。


 あの子の親は絶対に絶対に許せないけれど、間一髪のところで間に合って心からよかったと思う。……神官たちもたまにはいい仕事するじゃない?


 とりあえず、まずはこの子の体を回復させてあげなくちゃ! そのためには、ご飯を食べてもらわないとね!


 新しいスプーンでポタージュをすくい、アイに差し出す。


「はい、あーん」


 怖がらせないようにっこりと笑えば、アイはどうしようか迷っているようだった。だが、そこで再びぐぅぅとお腹が鳴って、アイのほっぺが赤くなる。


 それからおそるおそる、小さな口を開く。そこへ私は、そっとスプーンを運んだ。


 ぱくっとくわえられる銀のスプーン。

 途端、アイの目がうっとりと細められ、ふわぁ……という、ため息とも吐息とも言える小さな声が漏れる。


 ふふふ、そうでしょう。おいしいでしょう。


 私は微笑んだ。

 このポタージュに限らず、今日運んできた料理は全て私監修の元、料理人に作ってもらったのよ。


 子供用に生クリームをたっぷり入れたあま~いコーンポタージュに、ミルクでことことと煮込んだパンがゆ。すぐに冷めてしまわないよう、全部鍋ごとワゴンに載せてもらっている。余った分? 私が食べるわよ。


「遠慮しないで、いっぱい食べていいのよ」


 言いながらまたスプーンを差し出すと、今度はすぐにお口がひらいた。


 はむっという音とともにスプーンが口の中に吸い込まれる。その拍子に、アイのまあるいほっぺたがぷくっとふくらんだ。


 あぁあ~~~!? 今の何!? すっごくかわいい……!


 子リスに餌をあげるのって、こんな感じなのかしら!?


 私はときめきに胸を押さえた。「ハァッ!」と野太い声で叫ばなかっただけ褒めてほしい。


 隣で侍女がちょっと噴き出してるのには見ないふりをして、私はせっせとアイの口に食べ物を運び始めた。

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