第一四三話 美濃蠢動

「御方様の行方が分からぬだと!?」


鷺山の館に池田恒興の怒声が飛ぶ。

一体何の目的で何処に行ったのか、見当がつかない池田は困惑する。


「へ、へぇ」


「稲葉山城への道は厳しく張っておいたのだな?」


「それは間違いなく」


「…土地の者しか知らぬ抜け道があるのやもしれぬな」


稲葉山城までは目と鼻の先、女の足でも半刻もあれば辿り着ける距離だ。監視を厳にしていた。城下にも人夫として人を配置していた、なのに彼女の行方は杳として知れなかった。


(…まさか稲葉山城の手の者に拐されたか?)


消えた者は御方様とその供の者二名。

御方様と信長公の遺児、奇妙丸様を引き込んで織田再興の正当性を主張する予定だというのに稲葉山城に全てを持っていかれてしまった、そんな徒労感を感じる。


「で、ですが今のところ稲葉山城は御方様が入ったような騒ぎはございませぬ、平静を保っております。」


稲葉山城城下には人夫に扮し相当の人が配置されていた。だが彼らの警戒網に引っかかる事はなかった。事の次第がわからぬ故に焦りばかりが募る。だがここで無様を晒し、動揺を覚られては下の者に示しがつかない。


「たわけ!周到に事を練っておれば御方様を拐すような大事、内密に進めるであろう」


まさか彼女が目の先にある稲葉山城を無視して大きく迂回し国を越えて熱田まで行ってしまったとは露知らず…


「今頃地下牢にでも幽閉されておるやもしれぬ…」


「なんと…!」

「そんな…」


その場にいた者は騒然とする。


「戦の支度をせよ!!」


「ははっ!」


「おのれ明智!人の道を外れた下衆め!」


鷺山の忠臣達に義憤の炎が灯る。


◇ ◇ ◇


「何?鷺山が慌ただしい?」


一方稲葉山城の明智光秀の下には鷺山に不穏な動きありと間諜からの報が入った。城下に人足に扮し配された鷺山の者は特段隠密の訓練など受けていない一般人である。何か動きがあれば鳴子になるとそのままにされていたのでその報告は早かった。


「十日ほど前に尾張から不審な一団が鷺山に入ったと言っておったな」


「はっ!」


「そうか、動き出したか」


その者が鷺山に入ってから雰囲気が変わったと。そして今朝から帰蝶殿の屋敷に出入りが多く慌ただしい様子だ。その者が首魁なのであろう、来て直ぐに随分と動きが活発になった。


「殿から相手は鉄砲四百を持つ危険な集団であると聞き及んでおる」

「下手に手出しをすれば痛い目をみるのはこちらであろうとも」


光秀は考える。熱田から兵を送るまでは動くなと言付かっているが、万が一攻め込まれてそのままという訳にはいくまい。こちらの城の兵は五十程度…だが命令をすれば城下から五百は集まるだろう。

何より敵の主力は鉄砲で長期戦には向かない金食いの武器と聞いている。今のところ鷺山は鉄砲を継続運用出来るだけの資金力を持っていない事は光秀も理解していた。


「城下の者とその家族に伝えよ、城に入れて匿うと」


備蓄に不安はあるものの城下の無辜の民まで戦火に晒すのは本望ではない。


「それはその…鷺山の隠密と思しき者もでしょうか?」


不安そうな部下の言葉に応える。


「そうじゃ、入ってきた鷺山の者は捕らえておけ、怪しい者は全てで構わん」

「捕らえた分鷺山の兵が減ると思え」


「はっ!」


◇ ◇ ◇


北方城は稲葉山城から歩いて一刻程の距離にある。昨今の不穏な気配を察知した草から一早く城主である西美濃三人衆、安藤守就に報告が上った。今、稲葉山城と鷺山の間で何かが起こっており鷺山が兵を挙げる準備をしている…と。


「尾張者が…美濃で好き放題しおって」


守就が嘆息する。

稲葉山城に居着いた明智光秀は土岐氏の血縁を自称しているがそんな事を守就は認めない。熱田の影響を強く受け、織田弾正忠家の嫡子である『うしお』を旗印に掲げている。そして熱田が今川の傀儡である事は明白だった。


だがそんな傀儡の子飼いの言葉に耳を傾ける美濃の国人衆が出て来ている現状を内心苦々しく思っていた。


稲葉山城は守就の娘婿、竹中重治が都合二度落としている。だが半年粘った挙句国人衆の賛同が得られず手放す事になった。守就はこの人望の無さを覚るべきなのだろうが、混迷した今だからこそ自らの手で美濃の統一をしたい、そんな気持ちを内心に強く抱えていた。


「重治、どう見る?」


「はっ」

「鷺山が兵を上げるには半端にございます」


「半端とは?」


「鷺山の防備が出来てから地の利を生かすのが定石でしょう、それを差し置いて兵を挙げるなどと気が触れたとしか思えませぬ」

「何かのっぴきならぬ事が起きたのやも…」


「のっぴきならぬ…か?」


「例えば…鷺山の中心、斎藤の帰蝶姫が…出家したか出奔したか?」


「はっはっは、あの跳ねっ返りが出家などと…」


しかし出奔はありそうだな…と守就は内心独り言ちた。


「それとも光秀めが帰蝶姫を拐し稲葉山城に幽閉でもしたか?」


「…あれはそのような御仁ではございませぬ」


「そうか」

「なんにしても尾張者同士が潰し合ってくれれば僥倖だ」


そう言って笑う日和見の事なかれ主義の舅、安藤守就は決して悪い男ではないが成果を求めるにはそれに見合った危険を甘受するべきであると竹中重治は内心で嘆息する。この男が望む美濃統一の好機であるというのに。


「稲葉山城にて匿われている子は斎藤家の血を継ぐ齢六つの子と聞いております」


「…今更稲葉山城を援けよと申すか?」


既に美濃を二分する勢力となっている光秀を苦しい時に助ければ貸しになるだろうがいくら勝ちの目が大きいとはいえ目下の政敵に塩を送るのは御免こうむりたい。渋い顔をする守就に竹中が言葉を続ける。


「いいえ」

「稲葉山城の明智を排せずして美濃は纏まりませぬ。」

「この際種の真偽の程はよろしい、ですが此度の混乱に乗じ彼を迎え入れれば義父上の下で美濃は丸く治まりましょう」


「ふむ…?」


欲を言えばそれが望ましい…が現実的には難しい。しかし竹中重治はそれを笑顔でのたまった。


「ここは漁夫の利を狙いましょう」


漁夫の利、この言葉に気を良くした守就は竹中の言葉を信じ兵を挙げる。実際は火中の栗を拾うが如き暴挙なのだがともかく竹中重治の三度目の稲葉山城攻略が始まった。

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