第一四〇話 美濃と明智

俺と滝川のおっさんは全力で熱田ホームに逃げた。


「恒興があそこまで思い詰めておりましたとは…」


道中滝川のおっさんは従弟が抱える闇に気付けなかった事を悔んでいるようだった。

おっさんが忙しいのは俺の都合で各地に飛び回ったりしていたのもあるかもしれない。彼の事を気に掛ける時間も余裕もなかったのだろう。それについて少々後ろめたさを感じてしまう。

だがおっさんが俺とつるむ前は借金漬けで首が回らず彼の事を気に掛ける余裕がなかったのではないかと思うと無事罪悪感が薄れた。


◇ ◇ ◇


「鷺山に不穏な動きがありますぞ」


秀さんから美濃についての報告を受ける。

秀さんには明智光秀に従い、尾張と美濃の間で小間使いをやって貰っている。

鷺山というのは帰蝶姫が隠遁している場所だか出身地だったか、元々城があったらしいのだが今は跡が残るのみで帰蝶姫の新しい屋敷を作っているという報告を軽くは受けていた。


「人夫に明らかに尾張者が多い」

「というか人夫の数が多過ぎて築城が捗り過ぎちょる」


「築城ってなんだよ…屋敷じゃないのかよ…」


俺は困惑した。とはいえこの時代那古野城みたいに屋敷の周りを堀で囲ったら城扱いする事もあり、わりと線引きは曖昧だ。


「元々鷺山城は見晴らしの良い丘にあって土塁も堀の跡もしっかり残っちょる。少し手を加えただけで十分な城になるぞ」


池田恒興が美濃で帰蝶姫を頼るであろう事は間違いない。だから彼女の住まう鷺山が慌ただしくなるであろう事も理解出来る。だが渦中の彼女はどのような気持ちだろうか。美濃で静かに暮らしたいと言っていたがそれでも恒興に唆されて信長の仇を討つとうしおを担いで尾張に攻め入るといわれてもおかしくはない。彼女とは情を通わせた仲だ、出来れば静かに余生を過ごして貰いたい。


「しかしあの池田様がそこまで思い詰めておられたとは」


秀さんはうぬぬと唸っている。


現在一色式部大輔こと斎藤龍興を追い出した美濃では二つの勢力が拮抗している。


一つは俺が支援している土岐氏と縁のある明智光秀を中心にした斎藤道三が娘、帰蝶姫とその子、うしおの勢力。

そしてもう一つは元々斎藤家の臣下であった西美濃三人衆の一人、安藤守就を中心とした勢力。これは頭のおかしい稲葉城攻めを二度も成功させた竹中重治の叔父に当たる男で美濃の国人衆を広く纏めている勢力だ。斎藤義龍、龍興の時代は明確に臣下の礼をとっていたが、現在その主人はなく美濃の統一を狙っている。

光秀はなんとか美濃の国人衆の取り込みに奮闘しているようだが如何せん国を束ねるには繋がりも後ろ盾も弱い。


そんな中に『織田家再興』を掲げる池田恒興が鉄砲四百だか五百を持って乱入してくるというワケだ。最悪である。

…恒興は五百といっていたがおっさんは四百といってるのも気になる。敵の戦力を測りたいから出来るだけ正確に鉄砲の所有数を知りたいが…どうして百丁も誤差が出るのだろうか?


「なぁ滝川…恒興は鉄砲の数を五百と言っていたが…」


滝川のおっさんは俺の発言を遮るように言葉を重ねた。


「お、桶狭間の折に百丁ほど紛失しております」


紛失…現管理者の池田恒興よりも謎に正確に鉄砲の数を把握してる発言で察する。滝川のおっさんの顔からは脂汗が垂れていた。横流ししやがったかコイツ…?俺は内心頭を抱えたが一応義元には四百と言ってるからそれでもいいか…と一応納得する。


そうして俺と滝川のおっさんの間に生まれた謎の沈黙を破ったのは空気を読む秀さんだった。


「池田様は帰蝶様がおられる鷺山に陣を構え何されるつもりじゃろうか?」


「そりゃ…織田弾正忠家の再興を願うならうしおの身柄を確保したいだろうな」


「うしお殿は稲葉山城にて明智殿の下におります故、簡単に手出しは出来ないと思われますが」


アホ城主が立て続けに二度ほぼ単身で制圧されているので勘違いされがちだが稲葉山城は山の上にある堅城だ。普通に攻めようと思ったらなかなか落とせるものではない。


「恒興はうしおを穏便に自陣営に引き込みたいだろうが、それでも最悪の場合稲葉山城を攻めてくるかもしれん」


恒興が鷺山を固めて美濃での拠点を固め鉄砲で武装し打って出る前になんとかしたいところだ。


「稲葉山城の明智光秀には鷺山に対し警戒を促すよう文を書いておこう」


「ですがその…殿は明智殿とどのように付き合うおつもりで?」


秀さんのこの質問への答えは難しい。俺は光秀との関係は最小限…どころか少し距離を置く態度に秀さんは戸惑いを感じているようだ。俺の希望としては主従ではなく一歩引いた『ただの支援者』でいたい。ただ光秀が有能過ぎるので無視も出来ないし秀さんも滝川のおっさんも光秀を好ましく思っているようで蔑ろに出来ない。というか蔑ろにすると光秀らしく逆上して謀反コースもある。


「うしおの身柄を預けている。これは光秀に全幅の信頼を置いている証左だ」


ドヤ顔で言い切ったが正直あんまり置いてない。だが話した感じ残虐非道外道の輩ではない。子供を殺すなんて無体を働く事はないだろう…多分。


「…そして高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応し現場の判断に任せるつもりでいる。その結果、光秀が美濃の国主になっても構わないと思っている」


「ええ…」「ええぇ…」


これには秀さんも滝川のおっさんも渋い顔をした。温い事を言っている自覚はあるがそもそも俺は別に美濃が欲しいなんて欠片も思っていない。


「…この後の話は聞かなかったことにして欲しいが、その場合…何年後になるかは分からないがうしおを尾張に引き取り折を見て今川に臣従を取らせ…出来れば織田家を再興したい」


「おお…」「そこまで…」


地味に池田恒興と織田家再興という方向性自体は近いのだが違いは今川へ敵対の意思の有無だ。俺と池田は決定的にその部分で分かり合えない。


「まぁそんな将来を頭の片隅に描いてはいるが…そもそもの光秀が美濃を纏められるかどうか、その後の話だ」


「「ははー!」」


二人は俺の意を汲んでくれたような雰囲気だがあくまで光秀が高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応し現場の判断に任せ上手くいった場合の話だ。この捻じ曲がった世界で『明智光秀』が何をしでかすのかわからない。

歴史小説あるあるの『なんやかんや信長の代わりになってなんやかんや本能寺で光秀に殺される』の可能性があるし出来るだけそんな未来は避けたい。というか既に明智光秀と何故か面識があるというだけでフラグが立ってる気がする。


そんな他人に聞かれたくない話をしている折に一番聞いてほしくない人物が乱入してきた。


「話は聞かせてもらった!」


障子が勢いよく開け放たれる。


「水臭いぜ兄弟!」

「俺もついてくぞ!!」


元気に爆弾を放り投げてきたのは一色式部大輔、斎藤龍興改め俺の義理の弟となった千秋龍興である。やめてくれ。


「え…やだ…」


お前が入ってくると話がややこしくなるからなマジで。


「言いたいことは分かる。だが俺だって男だ、生まれ故郷を想う気持ちがある!」


言いたいこと全然わかってねーなコイツ。お気持ちだけで結構である。


「ちょっと待て、おまえが出てきたら美濃に更に余計な混乱を招く事になりかねん」


俺は慌てて静止するべく言葉を紡いだが龍興の情熱は止まらなかった。


「今更美濃の国主なんぞに未練はねぇ!だがなぁ故郷が荒れていると聞いて何もせずにいられるほど俺ァ人間捨ててねぇ!」


その言葉は美濃の男の心意気か、それとも元国主としての責任感からなのか。人間性についてとやかく言える身分ではないが、確かに生まれ育った故郷が混乱しているのを座して見ていろというのも酷なものだ。そして厄介なのが『何も出来ない』と決めつけるのもまた違う。この調子の良い男を信じるのもどうかと思うが何かの鍵になりそうなのも確かだ。最近はアル中も大分良くなったのか精悍な顔つきになってきている。


「熱田の酒も悪くない。事が治まったら俺は此処に戻ってくるぜ!」


全然ダメだわコイツ。

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