第九十八話 五月十九日

「ちょっと季忠ちゃん!いつになったら私を娶ってくれるのよ!」


那古野城で俺は帰蝶様こと濃姫様に無茶振りをされて詰められていた。

彼女の言う娶る条件は美濃を支配に収める事。普通に考えれば俺のような凡俗では二代か三代かかる大事業だ。ようするに俺では無理なので二代目に頼め。


「お気持ちは大変にありがたいのだがな帰蝶殿、落ち着いて考えて欲しい」

「かような大事業は俺のような凡俗一代で易々と成せる事ではない」


俺の無能を現実として叩きつける、なんという正論パンチでしょう。


というか帰蝶殿の父、斎藤道三は俺もふんわり聞き覚えがある。

油売りをやってお殿様に曲芸を見せて…美濃の国をもらった…?え?ヤバい奴じゃね?脚色あるにしても一代で国奪うとか正気の沙汰じゃない、そんな奴の娘が男を見せろと言っている、無茶を言うな。


「うしおちゃあああああん!」


そういうわけで信長の遺児、奇妙丸こと今は俺の子として育った『うしお』はモテモテである。


「やめなさい!私のうしおを政争の道具にしないでください!この女狐!」


対する那古野城の主であるお祐殿はうしおにべったりであった。言っている事はまだ幼いうしおを庇おうとする有難いものなのだが、彼女からはどうにも良からぬ女騎士的心意気を感じる。


そしてそれに数え六歳のうしおがしっかりと自らの意見を述べる。


「お姉さま、美濃との関係は治部大輔様のご一存もございます。父上と坊はそれに従い事を成したいと思います」


お裕殿から英才教育を受けたうしおは熱田の楠丸と違い、立派に育ってくれていた。しっかり育ってくれているのはとても嬉しい事だが、どうにもこちらはこちらで一抹の不安を感じる部分があった。


確かに治部大輔…今川義元も自軍を消耗させず尾張の兵が勝手に美濃を手に入れてくれれば喜ばしいだろう。ホント「美濃一国譲り状」なんていう斎藤道三の遺言状が無ければ頭を悩ませる必要も無いのだが…


◇ ◇ ◇


そしてその日は朝早くからうしおを連れて那古野城を出て熱田神宮に詣でた。本当に普通に詣でた。

禰宜からは「…大宮司様…朝っぱらから何をなさってるんです…」と呆れられたが「そういう日もあるんだよ」と適当に誤魔化して歩みを進めた。


空気を読んでくれているのか少し距離をおいて滝川のおっさんがついてきている気配がある。あのおっさん賭け事が絡まなければ本当に優秀なんじゃないかと最近は思いはじめている。

まぁこの先俺についてくるのではなく鳴海競馬場の方に流れて行ったら後で文句を言わねばならぬが。


うしおには既に俺の実子でない事を流れで話してしまっていたが、そろそろ知っておいた方が良い頃合いだ。

天白川を越えて鳴海城を過ぎる。あの戦の時には厳めしくも恐ろしかったが、今は街道を通る人も多く新しい商圏が出来たが故に活気もある。五年経ち時代が変わったと感じる。

そして俺達はその街道を逸れ、目的地へと向かう。


湿地の間に盛られた丘、桶狭間と呼ばれるその頂に鎮座する第六天魔王神社。

俺が半分悪ふざけでつけてしまった名前だ。


「父上、ここは…」


ここはこの世界での七不思議の一つ。

桶狭間合戦場、織田信長終焉の地。

永禄八年 五月十九日

五年前、ここ桶狭間で信長が倒れた日、人知れず誰も知らない戦国時代が幕開いた日だ。


「ここがお前の父、織田信長公が治部大輔様に敗れた場所。そして今日がその命日だ」


うしおにとっては奇妙丸なんて名前をつけた顔も知らない父親だ。彼がどのように感じるのかは分からないが…これはけじめだ。

そして出来れば彼に誰かを恨んで欲しくは無かった、だから俺は出来るだけ丁寧に昔話をする。


「信長公は那古野を守る為に治部大輔様に打って出た、当時の信長公の選択は何一つ…本当に何一つ間違っていなかった」


俺だけは知っている。信長の奇襲は成功し、桶狭間で勝利したのは信長だった事を。

あえて間違いがあるとしたら俺が敵に勝手に突っ込んだ事だろうか…


「俺は主君である信長公の最後を色々な者から聞いた」


本来なら天下を相手に大立ち回りをして天下統一を前に本能寺で散った戦国の英傑だ。時代の柱そのものだった信長の事を知りたいと思うのは当然だ。


「数の不利を覆す為雷雨の中、万難を排し勇猛果敢に切り込んできた…だがその身に数多の槍を受け膝を屈した…だがそれでもその瞳には微塵の恐怖の色を映さず、口元に微笑みを湛えていたと」


うしおは目を見開いて俺の話に聞き入っていた。そこまで詳細な話が出てくるとは思わなかったのだろう。


「目の前で看取ったその男は信長公を「傑物」と称していた」


「それは…」


聡い子だ、その人物に心当たりがあるのだろう。だがその名を伝えるような事はしない。


「その者はこの社で手を合わせ、惜しい男を亡くしたと後悔しておられた…だからこの地に社を作った事をお認めになったのだろう」


自らの父の死。そしてそのかたき、きっと見覚えのあるかたきの顔、そして父を認めたかたきの言葉…

数え六歳の子には少々情報が多すぎるかもしれない。混乱するうしおの前で俺は膝を屈め、その小さな手を握る。俺に手を握られはっと顔をあげるうしお、その瞳を逸らさず見つめる。


「うしお、俺がお前の父親だ」


俺はうしおを安心させるよう、ゆっくりと語る。


「だが知っておいて欲しい、歴史に名だたる英傑の血がお前には流れている。難しく考えるな。目を閉じ、手を合わせ、そして一緒に冥福を祈ってくれ」


うしおは困惑していたが目を瞑り、小さな手を合わせた。その手は少し震えていた。


歴史がほんの少しズレた場所で天下を相手に大立ち回りをしていた英傑はここに眠っている。

俺は「正史」のうしお…奇妙丸がどのように生きたのかを知らない。多分信長の覇道を追従し、そして何処かで潰えたのだろう。


一度ズレた歴史はもう勝手気ままに流れている。

だが俺にとって信長が宣った「天下布武」「天下統一」などくそくらえだ。

俺はうしおや皆と共に足利幕府の下で天下泰平を謳歌してやる。そう強く願い、俺もうしおと共に信長の御霊を拝した。




だが俺は祈る相手を間違えたかもしれない。

今、京で何が起こっているとも知らずに。

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